第45話 俺専用の女神さま

「おらおら!右がガラ空きだぞっ!」


 インハイ地区予選。

第一シードの俺たちは順調に決勝まで駒を進めていた。


「オーライ!」


 帯人の司令塔もいまではすっかり板につき、攻撃のバリエーションも増えてきた。この地区予選を通じて確かな手答えを感じていた俺たちは自信を持って試合に臨んでいた。


 帯人からのロングフィードをダイレクトでニアの下田に送る。


「ほい、いただき」


 キーパーを引き連れながらスライドしてきた下田はボールを一旦スルーして、残していた右足でファーサイドに流し込んだ。


『ピピー』


 決勝は3–0で勝利し、俺たちは県大会出場を決めた。


「帯人先輩、お疲れ様でした!」


 試合後、俺から強奪したタオルを帯人に渡す静。親友つむつむ同様、実妹の動きも積極的になってきている。そのおかげで俺は久留米から恨み言を聞かされる羽目になっているわけで……。


♢♢♢♢♢


「ねぇ、西くん。最近サッカー部の1年がよく帯人の側にいるんだけど知ってるかな?」


 俺の記憶が確かなら久留米に静を紹介した記憶はない。この場は知らぬ存ぜぬで通すべき—「西さんって言うんだけどね?」確信犯かよ。


「あ〜、そうなのか?オレニハナンノコトカワカラナイ」


 実際、部活中ではよく話してるな程度にしか俺は把握していない。


「帯人とはどうなんだ?」


 なんて静に聞いても素直に答えるとは思えないしな。


「ふ〜ん?まあ、西くんは自分のことで手一杯だもんね」


 ブーたれた表情の久留米が机に突っ伏しながらため息混じりで言ってきた。


「ん?まあ、そうなのかもな。インハイ予選もあるし、期末試験もあるからな」


 そう、夏休み前には期末テストがある。そして赤点でも取ろうものならレギュラーの座は自動的に剥奪される。


「も〜、そういう意味で言ったんじゃないんですけど?現実逃避したい気持ちはわからなくもないんだけど、ね?」


 わかってはぐらかしてるんだよ。


「まっ、お前も頑張れよ」


 項垂れる久留米に心からのエールを送っておいた。


♢♢♢♢♢


 県大会に向けた練習も佳境を迎えた金曜の夕暮れ。

 練習後にマネージャーミーティングがある紫穂里を残して俺は1人帰宅をしようと校門に差し掛かったところで京極に捕まった。


「あっ、お疲れさま陣。一緒に帰ろう」


 あの頃と同じ笑顔で話しかけてくる京極。その笑顔に胸がザワザワとする。

 否が応でも思い出されるあの頃の記憶。あの頃の気持ち。まさか、まだこんな気持ちが残っているだなんて思ってなかった。これは愛情ではなくただの情のはず。


「陣?」


 いつの間にか隣を歩いている京極が俺の顔を覗き込んできた。


「……なんでもねぇよ」


 夕焼けに染まる京極の顔を直視することができずに、俺は視線を逸らして歩き続けた。


 特に会話のないまま自宅のそばまでくると、自宅の前には買い物袋を両手に持った母さんがいた。


「あらっ!2人ともお帰り。一緒に帰ってきたのね」


 俺たちを見つけた母さんはうれしそうに近づいてきた。


「たまたま一緒になっただけだよ」


 俺は母さんの両手から買い物袋を奪いとってさっさと自宅に入った。

 キッチンに袋を置いて自室に戻ると、部屋着に着替えて晩飯までテスト勉強をしていた。


「陣〜、ごはんよ」


 しばらくすると階下から母さんに呼ばれたのでリビングに降りて行った。


『ガチャ』


 扉を開くと、食卓にはなぜか京極が座っていた。


「今日、姫ちゃんのところ2人とも遅いみたいだから家で食べてってもらうことにしたのよ」


 笑顔で答える母さんに苛立ちを覚えながら、俺も自分の席についた。 

 俺の隣には京極。あの頃からそこはこいつの特等席だった。


 いつの間にか帰ってきていた静も母さんを手伝って配膳をしている。どうやら今日はハヤシライスみたいだ。


「はい、お兄ちゃん」


「ああ、サンキュ」


 静が俺の分を置いてくれたが、全く食欲が沸いてこない。それどころか気分が悪くなってきた。


「お兄ちゃん?顔色悪いけど大丈夫?」


 自分の席に座った静が心配して俺に声を掛けてくれた。


「ごめん、ちょっと夜風に当たってくるわ」


 その場にいることができなくなった俺は一旦自室に戻り、スマホと財布を持って家を出た。


 時刻は20時を少し過ぎたあたり。

コンビニでお茶を買い、近くの公園のベンチで一口飲み気を落ちつかせる。


「はぁ、情けねぇ。なに惑わされてんだよ」


 自分の心の弱さに嫌気がさしていると、ポケットのスマホが震える。


「もしもし」


『あ、陣くん。いま大丈夫かな?』


 電話の相手は紫穂里だった。


「うん、いいよ」


 誰かと話してた方が気が紛れるだろう。


『えへへへ。今日一緒に帰れなかったから声聞きたくなっちゃった』


 電話越しだけど、顔を赤くしながら上目遣いで話す紫穂里が想像できる。


「そっか」


 ありがたいはずなのに素っ気ない反応になってしまう。


『あれっ?陣くん、ひょっとして外にいるの?』


 妙な静けさが伝わったのだろうか?


「うん、よくわかったね」


『うん、なんとなくかな?陣くんの声もなんとなく元気なさそうだし……』


 そんなことまで伝わってたんだな。


「そんなこと……」


 ないよと言いたいのになぜか言葉

でない。


『ねぇ、陣くん。今から会えない?』


 遅い時間ではないとは言え、周りはすでに真っ暗だ。


「女性が出歩く時間じゃないよ」


 紫穂里のありがたい申し出を俺は断った。


『ん〜、じゃあ、わがまま言うね?陣くん、私に会いに来て?家の前ならいいよね?』


 普段なら断るところだが、紫穂里の声にホッとしている俺は抗うことはできない。


「いいよ。待ってて」


 俺は通話を切ろうとすると「そのままで」という紫穂里の要望通り、話しながら歩いた。


「着いたよ」


 家に着くと、紫穂里は玄関の外で待っていたらしく、すぐに飛び出してきた。


「いらっしゃい」


 月明かりに照らされた紫穂里の笑顔が眩しくて、思わず目を瞑ってしまう。


「そこの公園行こうか」


 紫穂里の家の斜向かいにある児童公園まで手を引かれて行くと、そのままベンチに座らされた。


「んっ、しょ」


 隣に座ると思っていた紫穂里は、俺の正面に立って頭をギュッと抱きしめてきた。


「へっ?」


 突然のことに動揺していると、そのまま頭を撫でられた。


「なんか寂しそうだったから。少しだけおとなしくしててね」


 紫穂里にされるがままに、俺は身を委ねていると、いつの間にやら心のモヤモヤはなくなっていた。


「あったかいな」


 俺の顔は紫穂里の豊かな胸に包まれているのだけれど、いまは邪な気持ちよりも、その温もりをずっと感じていたかった。


「ふふふ。なんかうれしいなぁ」


「ん?なんで?」


 頭を撫で続けながらも、紫穂里はうれしそうに笑っている。


「あのね?不謹慎かなって思ってはいるんだけどね?陣くんが弱みを見せてくれてるのがうれしいの。頼ってくれてるのかな?甘えてくれてるのかな?って」


 紫穂里の言う通り、俺はいま紫穂里を頼ってるし甘えてるんだと思う。


「さすがは癒しの女神さまだね」


 紫穂里の腰を軽く引き寄せて抱きしめる。


「本当はね、そんな風に言われるの嫌なんだ。でもね、陣くんを癒せるならそれでもいいかな?」


 頭を撫でるのをやめた紫穂里は、俺の頭をギュッと抱きしめる。


「俺専用の女神さま?」


「うん。それがいいな」


 月明かりの中で見せるその笑顔はまさしく女神さまのようだった。

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