第35話 揺れるポニーテール

「アン・ドゥ・トロワッ!」


『べコン』


「……」


『スパーン』


「アン・ドゥ・トロワッ!」


『べコン』


「……ぷっ」


『スパーン』


「アン・ドゥ・ト……ととと。わりぃ、取れねぇわ」


 目一杯伸ばしたラケットを擦り抜けて、ボールがコート後方に転がっていく。

 

 コートの隅々まで照明で照らされているわけではないので、薄暗がりの中に手を伸ばしてボールを拾った。


 時刻は19時30分


 新人戦前に妙とした約束を履行するために、バイト帰りに市営のテニスコートにきている。


 妙からのお願いは『一緒にテニスをして』というものだった。


『えっ?そんなんでいいの?俺じゃあ練習相手にもならないぞ?』


 体育で少しやったことがある程度の俺が、新人戦の県大会で3位だった妙の練習相手が務まる訳がない。


『ガチでやるわけじゃないんだから。お遊びよ』


 なんでもいいというお願いがこれでよかったのか?という思いはあるけれど、妙の要求を無下にはできない。この後にドリンクくらいは用意しようと思ってる。


 それに対する俺のお願いは……


「ほれ、ボール」


 反対コートの妙にボールを投げ返すと、妙はラケットでポーンと真上に上げてキャッチした。


 グレーをベースに肩から胸の部分まではピンクになっているシャツに白のスコート。髪型はトレードマークのポニーテール。

 

『試合の時のウェアを着てくれ』


 せっかく一緒にテニスをやるのだから気合いの入った姿の妙で……、まあ、間近で見てみたったんだよ。テニスウェア姿の妙を。


 俺のお願いを聞いた妙は、意外なことにあっさりとOKを出した。


『えっ?そんなんでいいの?』


 妙のテニスウェア姿にどれだけの価値があるなか、本人はわかってないようだ。


 ボールを手にした妙の身体がプルプルと震えているように見える。と、いうかボールを持った左手でお腹を押さえてな。


「も、もう無理。あはははは!なんでアン・ドゥ・トロワなのよ。たしかに打つ時はリズムとるためにカウントとると良いよって言ったけど、バレエじゃないんだからフランス語でカウントはやめてよ。しかも真面目な表情してるんだもん」


 俺のやり方がツボにハマったらしく、妙はケタケタ笑い出してしまった。


「1番メジャーなカウントだろ?それよりあれか?チャー・シュー・麺の方が良かったか?」


 俺はラケットをゴルフクラブの代わりにしてスイングした。


「へっ?なにそれ?」


 まあ、順当な反応だろうな。

父さんの部屋の本棚にある漫画を参考にしただけだ。


「ま、それはいいとして。そろそろ試合しようぜ。勝ち負けは別として」


 ラケットを妙に向けて真剣勝負を申し込む。もちろんハンデはもらうけどな。


「そうだね。そろそろ試合しようか。でもちゃんと勝ち負けはつけるよ?ハンデはあげるからね」


 俺から提案したハンデはサーブはアンダーからのみ、俺のコートはサービスラインから後ろしか得点にならない、逆に妙のコートはサイドラインはダブルスまでOKにするというもの。まあ、これでもハンデといえるか怪しいけどな。


「それでいいよ。じゃあ私が勝ったら—」


「まてまて、ガッツリ賭ける気じゃねぇかよ」


 首をコテンと横に倒して不思議そうな表情の妙。なんか俺がおかしいことを言ったかのようだ。


「あれ?現役のスポーツマンがハンデまであるのにやる前から諦めてるの?う〜ん、仕方ないなぁ。陣くんがどうしても—」


「言ったなお前。よし、勝負だ!負けたら言うこと聞いてやるぞ」


 スポーツマンとして、男として、この勝負負けるわけにはいかない。


。言質取ったからね〜」


 うん?これは妙に乗せられたパターンか?


「何させる気だよ?」


 視線を逸らしてわざとらしく口笛を吹いている。おい妙。夜に口笛吹くと蛇がくるぞ。


「今は言えません。試合に勝ったら教えます」


 どこぞかの議員みたいなセリフ言いやがって。


「いいだろう、その勝負受けてやる!」


♢♢♢♢♢


「ま、参りました」


「ふふふ。ハンデが足りなかった?」


 崩れ落ちた俺の隣にしゃがみ込んだ妙が、自分の膝で頬杖をつきながら俺の顔を覗き込んできた。


 目の前には妙の鍛えられたふともも。

見てはいけないという思いと見たいという欲求との葛藤で苦しむ俺をよそに、妙は早々に要求を伝えてきた。


「じゃあ、私からのお願いです」


 ニコリと笑う妙。

至近距離から見上げているせいか、照明で照らされた妙の笑顔。

 きっと俺の表情は恐怖で引きつっていることだろう。


「お、おう。ドンとこい」


「なんで緊張してるのよ?んっとね?お願いなんだけど、今度一緒にディスティニーランドにいかない?」


 少し照れたような表情の妙からのお願いは関東にあるテーマパークへの同行だった。


「へっ?なんでまた?お前学校の友達は?」


 ディスティニーまで日帰りで行くとなると結構な弾丸ツアーとなってしまう。そうなると泊まりってことになるのだが、さすがにそれはまずい。


「友達はだいたい彼氏がいるもん。それにこれは陣くんじゃないとダメなの」


 俺じゃないとダメってどういうことだ?

顎に手をやりながら考えていると、妙が上目遣いで覗き込む。


「ね?お願い」


 あ、あざとすぎだろ!


「な、なんで俺なんだよ?」


 妙に押されながらもなんとか自分のペースに持っていきたい俺だったが、あっさりと躱されてしまう。


「ああ、だって店長に頼まれたんだもん。本当は薫さんにデートって言われたらしいんだけどね。2人きりじゃ恥ずかしいらしくてダブルデートにしようって言ったんだって」


「お前、せっかくのお願いをこんなんで使うねか?別にそれくらいなら普通にOKするぞ?」


 まあ、俺に頼みたいことなんてあまりないってことならわかるけどな。


「えっ?う、うん。まあ私にもがあるしね」


 その言い方に俺は違和感を覚えた。

なるほど、さっきの試合の容赦のなさはそういうことか。


「なるほど、メリットね。で、いくらだ?」


 びくっと肩を震わせて固まる妙。


「えっと、パスポート代は店長が出してくれるし、車で行くから交通費も—」


 早口で説明する妙は俺の顔を見ていない。


「妙?いくら?お前の時給」


 さっと顔を背けた妙は少しづて俺との距離を開けようとしている。


『ガシっ!』


「妙さん?ネタは上がってるんだ。楽になろうぜ?」


 俺は妙の肩を掴んで逃がさない。


「ノーコメントで、お願いします」


 はぁ、まあ仕方ない。

今度俺もダブルデートをネタに時給アップの交渉をするか。

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