第21話 つむつむの逆襲

 紫穂里さんが休んだ翌日の午後練。

この時点でサッカー部にはあらぬ噂が広がっていた。


「おい陣。とうとう紫穂里ちゃんと付き合うことになったって本当か?」


 部室で着替えてると、扉を開けっぱなしで帯人が叫んできた。


「あのな帯人。それが本当なら俺は1番にお前に報告するぞ?」


 山本さんも言ってるだろ?「噂を信じちゃいけないよ」って。


「いや、でもよ」


「いいから、まずは扉閉めろよ」


 さっきから前を通る女子がチラチラ見てるの知ってるか?どうせならお前が脱げよ。


「おう、悪い悪い」


 バタンと扉を閉めて俺の隣にきた帯人が着替えながら話を続けてきた。


「でもよ、朝の紫穂里ちゃんの正妻感。あれ見せられたらみんな付き合ってると思うぞ?」


 それを言われると俺も何も言えない。

昨日のなんでもする宣言は冗談ではなかった。さすがに通学路で待っているようなことはなかったが。


「おはよう


 一昨日まで、西くんと呼んでいた紫穂里が休み明けに名前呼びに変わったのだから休み中に何かあったと勘ぐられるのは仕方ないだろう。しかも俺が「紫穂里」と呼ぶと口を尖らせて文句を言う。


「昨日呼び捨てでってお願いしたのに」


 その時のみんなの反応は思い出すだけでも鳥肌が立ちそうだ。


「昨日、紫穂里ちゃん家に行ったんだろ?そこでコクられるなり押し倒すなりしたってことだよな?」


「……部室で話す内容じゃないな」


 さっきまで騒がしかった部室内が、いまは俺たちの会話に耳を傾けている。帯人には嘘偽りなく話すつもりでいるので、紫穂里の名誉のためにもこんなところでは話せない。


「了解。帰りにどこか寄るか?っと朱音も一緒でもいいか?」


「さすがに勘弁してくれ。お前以外のやつに話すつもりはない」


 疑惑が晴れたとはいえ、あいつはまだ京極と繋がってるしな。関わりのない紫穂里さんのことを話す必要はない。


「そうか。じゃあ明日の帰りにしようぜ。今日は朱音と出かける約束しちまってるからな」


 わりぃ、と右手を上げて謝ってくる帯人。なんだかんだ言っても久留米のこと大事にしてるんだな。


「明日になれば気が変わってかもしれないけど、そこは勘弁な」


 これくらいの嫌がらせは許せよ?事情はちゃんと話すからな。


♢♢♢♢♢


 新人戦が近いこともあり、午後は試合形式の練習に大半の時間を費やした。

 俺は特に縦ラインの南雲先輩と、逆サイドの東野との相互理解に時間を費やした。

 

「南雲先輩、先輩が中に絞ったときはサイドも意識して下さい。空いたスペースは俺が使います」

「東野、基本はつるべの動き意識するけど帯人が持った時は積極的に行こうぜ」


 そしてうちの司令塔はというと、人が変わったかのように先輩達ともコミュニケーションを取るようになっていた。特に中盤の底でコンビを組む植田先輩とはピッチを離れてもサッカー談義に花を咲かせていた。


「植田さん、やっぱバルサっすよ。どっちかって言うと俺はイニエスタ的な役回りじゃないっすか?」

「何言ってるんだよ唐草。お前ピルロになれって言われたんだろ?やっぱりミラン時代のピルロ最高だよな!」

「あっ?何言ってんだよ植田さん。ピルロっつったらユーヴェ時代だよ。あの熟練の技見てなかったの。それとも理解できる頭がないとか?」

「あっ?お前何調子乗ってるんだ?」


 これはあれだな。純粋にうちのチームの話だけにしてもらいたいな。


 帯人と植田先輩が部室でやいのやいの言っている間に着替え終わった俺は「お疲れ様でした」と残ってるやつらに声をかけて部室を後にした。


 部室を出て鞄からスマホを出すとメッセージが届いていた。


『一緒に帰りたいな』


 案の定、紫穂里からのお誘いだった。断る理由は特にないので『了解』と送り、体育会系のマネージャー共同の部室の側で待機していた。


「あ、先輩。お疲れ様です」


 制汗剤の匂いだろうか、ほのかに柑橘系の匂いが漂うつむつむが鞄を後ろ手に持って覗き込んできた。


「おっ、バレー部も終わったか」


 俺の顔を覗き込みながら、うれしそうに微笑んでいるつむつむは動物セラピーならぬ、つむつむセラピーと呼んでいいほど癒される笑顔だった。


「ふぇっ?」


 あまりのかわいさについつい頭を撫でてしまう。それもまたつむつむクオリティ。


「あ、悪い悪い。つむつむ見てると撫でたくなるんだよなぁ。静を待ってるのか?」


 お絹もかんざしもいないということはそういうことだろう。帰りはいつも一緒だって言ってたからな。


「あ、はい。いつも部室終わったらここで待ってるので。あ、あの?ひょっとして先輩も一緒に帰ってくれるんですか?」


 キラキラと目を輝かせているつむつむに、俺は馬鹿正直に紫穂里を待っていると言ってしまった。

 

「……そう、ですか」


 そう言ったつむつむは、俯いたまま鞄を正面で持ち直してブラブラさせている。


「あ〜、つむつむごめんね。待った?」


 どうしたものかと悩んでいると、静が紫穂里と一緒にやってきた。


「ううん。私も今きたところ」


 なぜかデートの待ち合わせをしたカップルのようなやり取りをしだした静とつむつむ。


「お任せ陣くん。帰ろうか」


 気落ちしているつむつむを他所に、紫穂里は俺の左腕に抱きついてきた。


「陣くん?」


 俯いていたつむつむが顔を上げて、じっと俺を見つめてくる。


「あ、あの……せ、先輩達はひょっとして、お付き合い、してるんですか?」


 その声色は弱々しく、身体は小刻みに震えている。


「あ〜、いや。お付き合いしてないぞ」


 正直に俺が答えると左腕がぎゅ〜っと締め付けられた。不機嫌ですと言わんばかりの紫穂里を他所に、つむつむはほっとした表情でそっと俺の右腕に触れた。


「よ、よかった。ま、まだダメですよ?」


 ん?何がダメなんだ?


「くふふふふ。お兄ちゃん。そろそろ覚悟決めないと後で後悔することになるかもよ?」


♢♢♢♢♢


 その後、寄るところがあるからと静とつむつむは2人で帰り、俺は紫穂里と2人夕暮れの住宅街を歩いていた。

 左腕はホールドされたままなのだが、以前とは違い柔らかな感触をこれでもかと言わんばかりに押し付けられている。いや、挟み込まれてるのか?


「あの、紫穂里さん?」


 沈黙に耐えきれずに紫穂里を見ると、じっと俺を見ながら「呼び方」と一言注意をしてきた。


「あ〜、紫穂里?ご機嫌ななめですかね?」


 いや、もうどう見ても機嫌が悪いんだけどね?何か怒らせるようなこと言ったかな?


「別に、私が怒れることなんてないもん。ただのヤキモチだから気にしないで」


 フンっとそっぽを向く。

なにそれ?ただ単にかわいいんですけど。


「ヤキモチ焼くようなことあった?」


普通につむつむと話してただけだよな?さすがに他の女の子と話すな!なんて言わないよな?


「……彼女」


「彼女?」


「大島さん。かわいいんだもん。陣くん、大島さんと話してる時、いつもうれしそうな顔してるよ?」


 たしかにつむつむと話すのは癒されるけど、それは紫穂里だって同じなんだけどなぁ。


「あのね?じゃあ俺が紫穂里と話してる時はうれしそうじゃない?」


 う〜ん?と言いながら、左手の人差し指を頬に当て考えてた紫穂里はしばらくすると、


「自惚れかも知れないけど、笑ってくれてると思います」


 自分で言って恥ずかしがってどうするの?


「自惚れじゃなくてその通りだと思うよ。だからヤキモチ焼く必要ないんじゃないかな?」


 俺だってこんなことを言うのは恥ずかしいけど、紫穂里の不安が解消できるならば言うべきでしょ?


「あ、ありがとう」


 俺の肩にコテンと頭を預けてきた紫穂里が「ふふっ」と思い出したように笑い、


「私に惚れさせる!なんて言っておきながら弱気になってちゃだめだね、反省するから、んっ!」


 両手でグイッと左肩を押さえられ、体勢を崩したところで頬にキスされた。


「毎日しちゃうよ?」


「……いやいや、まずいでしょ」


 俺の言葉なんて聞こえてない紫穂里は、小さな右手で俺の左手を握ってきた。


「我慢できないもん」


 この人は案外子どもっぽいのかも、と認識を改めた。


♢♢♢♢♢


 翌朝、朝食を食べ終わり学校に行く準備をしているとインターホンが鳴った。


「は〜い」


 1番近くにいた母さんが対応していると、「あらあら。ちょっと待っててね」と弾んだ声を出していた。


「陣、かわいい女の子がお迎えにきてくれたわよ」


 右手で口元を隠しながら「ふふふ」と笑う母さんはとても不気味だ。


 それにしてもかわいい女の子って?

ひょっとして紫穂里か?とりあえず顔を出すか。


「は〜い」


「せ、先輩!おはようございます」


 扉の向こうで母さんの言う通り、かわいい女の子が勢いよく頭を下げていた。


「おはよう、つむつむ。静ならさっきトイレに入ったからちょっとだけ待ってて—」


「ちが、ちがいます。今日は先輩を、じ、陣さんと一緒に学校に行きたくて迎えにきました」


 ん?陣さん?


「へっ?俺?」


 あっ、やべっ。変な声出たや。


「はいっ、これから毎朝よろしくお願いします」


 さっきよりも勢いよく頭を下げたつむつむ。ランドセルを背負っていたら荷物を全部落としそうだ。


「はい?毎日?」


 俺の聞き間違いであって欲しいという願いを込めた問いかけは「毎日です」というつむつむの満面の笑顔の前に消滅してしまった。

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