第20話 決意表明

紫穂里さんに手を引かれて2階の部屋に通された。白を基調としたパステルカラーで統一されたその部屋は、ふんわりとした優しい時間が流れているようだった。


「ど、どうぞ」


透明なセンターテーブルの横に置かれたクッションに俺が座ると、紫穂里さんも正面にちょこんと座った。


表情を見る限り体調が悪いようには見えないけど頬はほんのり赤い。


「体調はどうですか?」


俯き気味でもじもじしている紫穂里さんに話しかけると、パッと顔を上げて慌て出した。


「あっ、ああ、そう!そうなの、ちょっと頭痛が痛かったからね」


そうとう焦ってるのだろう。めったに見られないポンコツ化した紫穂里さんだ。


「で、いまは大丈夫なんですか?」


まあ、見え見えの嘘なんだけどしばらく話を合わせてみよう。


「えっ?あ、うん。さっき正露丸飲んだから大丈夫だよ」


「……」


「西くん?」


俺が黙っていることを気にしたのか、紫穂里さんが顔を覗き込んできた。


「そうですか。じゃあ大丈夫ですね」


ニッコリと俺が答えると、自分の誤りに気づいたらしく恨めしそうに口を尖らせている。


「もう、今日はやっぱり調子が悪いみたいだよ」


ぷいっと顔を背ける仕草がかわいらしくて、我慢できずに笑ってしまった。


「あはははは。もう、ずるいっすよ紫穂里さん。なんで俺が悪者扱いなんですか」


せっかく乗ってあげたのになぁ。


「ずるいもん。西くんはずるいもん」


真っ直ぐに俺を見つめるその瞳はみるみるうちに涙で潤んできた。


「紫穂里さん?」


溢れる涙を拭うこともせずに、紫穂里さんは俺を見つめ続けている。


「私……私はこんなに西くんのこと好きなのに。好きだから踏み込めないのに。いつも西くんは余裕な顔して!今日だって、お父さんのせいで西くんに嫌われたと思ったら怖くなって学校に行けなかったのに。それなのにメッセージくれて、家まで来てくれて。そんなことされたら我慢できないよ!」


堪えきれなくなったのだろう。

紫穂里さんはポロポロと涙を流しながら俺に抱きついてきた。


「ごめんね。困っちゃうよね?でも私ももう無理なの。これ以上は我慢できない」


抱きしめることのできない自分の腕をもどかしく思いながら、紫穂里さんの想いに応えようと素直な自分の気持ちを伝えた。


「紫穂里さん。迷惑だなんて思いませんよ。

むしろ嬉しいです」


紫穂里さんほどの女性に想いを寄せられて迷惑な人間はほとんどいないだろう。それでも俺は……


「ごめんなさい。俺はまだ誰かと付き合うことはできません」


また裏切られたら。そう思うと踏み込むことができない。紫穂里さんにしろ、つむつむにしろ気持ちはすごく嬉しいし、申し訳ない。


「今はまだ怖いんです。また裏切られたらって。紫穂里さんを疑ってるわけじゃないんです。それでも踏み込んでやっぱりダメだった時、紫穂里さんと元の関係にも戻れなくなるのは嫌なんです」


自分勝手なことを言ってると思われてもしょうがない。元々断った時点で終わる可能性だってあるのだから。


俺を抱きしめる紫穂里さんの腕の力が強くなる。俯いてた顔は真っ直ぐに俺の方に向き、その瞳にはすでに涙はなかった。


「今は?」


「はい?」


「今はって言ったよね?」


「……はい」


俺から離れた紫穂里さんは両手で俺の手を握り言った。


私もフラれるね。でもごめんね。私そんなに諦めよくないんだ。だからね」


紫穂里さんとの距離が0になり俺の唇に柔らかい感触が残る。


「私が、その気に……、ううん。私じゃなきゃダメって思ってもらえるようにするから。そのためにこれからはなんでもするからね」


ギュッと俺に抱きついて顔を胸に埋める。


なんでもする?


「今のは私の決意表明。だから、覚悟しておいてね」


♢♢♢♢♢


それからしばらくの間、紫穂里さんは俺に抱きついたまま動かなかった。

まあ、厳密に言えば動けなかったんだろう。

時折「うぅぅう」とか「やっちゃった」とか言う呟きが聞こえてきた。


「あの、紫穂里さん。そろそろ離れてもらっても」


俺は違和感に気づきさりげなく紫穂里さんに話しかけた。


「紫穂里って呼んで欲しいなぁ。さんはいらないよ陣くん」


違うんです。今は違うんだってば。


「ああもう、紫穂里。ちょっとあっち見て」


俺は扉を指差して紫穂里の視線を誘導する。

「えへへへ」と満足そうに微笑んだ紫穂里の表情が一気に固まった。

まあ、そうなるよね。


「あらやだ!見つかっちゃった」


扉を開けてピョンと部屋に入ってきたお母さんの表情はニヤニヤ。対して紫穂里は顔面蒼白。実の母親にこんなとこ見られたら耐えられないよな。


「お、お、お」


なぜか俺に抱きついたままお母さんを指さしてワナワナと震えてる紫穂里は、言葉を忘れてしまったかのように何も出てこないようだ。


「そうそう、西くん。晩ご飯できたから一緒に食べて行きなさい」


イタズラが成功したかのようなお母さんの表情は、まるで少女のように輝いていた。

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