第19話 母

 紫穂里さんがお父さんに連れて行かれた翌日。朝練に紫穂里さんの姿はなかった。


「おい陣、紫穂里ちゃんどうしたんだ?」


 練習後、部室で着替えてる最中に帯人に聞かれた。


「いや、俺に聞かれてもな? 俺も誰かに聞こうと思ってたくらいだ」


 候補としては先生、キャプテン、硯先輩もしくは3年のマネージャーだろうな。


 とりあえず1番聞きやすい中西先輩に声をかけた。


「有松?何言ってるんだよ。俺よりもお前の方がな仲だろう。お前が知らないのに俺が知ってるわけないだろ?」


 ニヤけた顔がイラついたので、彼女であるバレー部キャプテンの華さんにいろいろリークをしておこう。


「とりあえず本人にメッセ飛ばしておくか」


 制服に着替えた俺は教室に向かう最中、紫穂里さんにメッセージを送った。


 教室に行くとすでに久留米がきており、その前の俺の席には遠慮がちに京極が座っていた。

 

 別れる前のありふれた風景。


 でも、別れた今となっては迷惑以外のなにものでもない。


「あ、おはよう西くん」


 俺に気づいた久留米が、右手を軽く振ってきた。そして京極も「おはよう」と呟いた。


「おはよう」


 挨拶を返した後、席を占領している京極をどうやって追い払おうと考えていると、予想に反して京極はスッと席を立つと「いくね」と久留米に言って教室に戻って行った。

 俺の横を通り過ぎる際に「またね」と言った京極の声は、今までに聞いたことがないくらい弱々しかった。


「あのさ、ひょっとして別れてからほとんど話してない?」


 今の様子を見た久留米が遠慮がちに聞いてきた。久留米なりに思うところがあるのだろう。


「話すことないしな」


 机に鞄を置き、席に座りながら久留米と向き合う。


「でも、一度話をした方がいいんじゃないかな?ひょっとして勘違いしてることとかあるかもしれないし」


 勘違いねぇ。


「それはあいつの勝手な都合だろ? いまさらフラれたことを責めるつもりはねぇよ。俺の中ではだいたい切り替えはできた。いまさら蒸し返されてもしょうがないだろ?」


「そう、なのかもしれないけど、さぁ」


 俺の顔色を窺いながら続けようとする久留米の言葉を俺は遮った。


「新人戦の後に話がしたいってメッセがきた。一応、そこで言い訳を聞いて終わりだ」


 それを聞いた久留米は言葉を探しながら俯いていた。お前が気にすることはないんだけどな。


♢♢♢♢♢


 昼休憩になりクラスの仲の良いヤロウ達と弁当を食べているとスマホにメッセが届いた。送り主は紫穂里さんだ。


『ちょっと体調崩しちゃった。心配かけてごめんね』


 体調? 昨日あんなことがあったばかりだから鵜呑みにはできない。優しい紫穂里さんのことだから俺が気にしないように隠してるだけの可能性もある。


 夕方、様子を見に行ってみるか。


♢♢♢♢♢


 放課後、練習を終えた俺は一人で紫穂里さんの家を訪れていた。

 何度か家の前まで送ってきたことはあるが入ったことは一度もない。


「デカッ」


 紫穂里さんの家は染料を扱う会社を経営してるらしく、紫穂里さんはいわゆる社長令嬢ってやつだ。昨日会ったお父さんが社長だろう。どうりで迫力があったわけだ。


『ピンポーン』


 連絡をすると断られるような気がしたので、少し強引かもしれないが直接くることを選んだ。


『はい』


 しばらくしてインターホンから女性の声が聞こえてきた。紫穂里さんによく似ているが紫穂里さんではない。お母さんだろうか?


「あの、栄北高校サッカー部の西といいます。紫穂里さんいらっしゃいますか?」


 内心ビクビクしていたがなんとか失礼のないように名乗れたはずだ。


『えっ? 西くん? ひょっとして紫穂里の後輩の?』


 その声からは驚いた様子が伺えたが、なんで俺のことを知っているんだ?


「はい、紫穂里さんの後輩です」


でいいんだよな?


『あららら。ひょっとしてお見舞いに来てくれたのかしら?ちょっと待っててね』


 声が途切れると門戸から『ガチャ』という音がした後、玄関から綺麗な女性が出てきた。

 紫穂里さんよりも落ち着いた印象のその女性は、いかにも大人と言う———


「きゃ〜! 君が西くんね。紫穂里からいつも聞いてるのよ。うんうん、イメージしてたよりもかわいらしい子ね。どちらかと言うと草食系なのかしら? でもそれだと紫穂里も奥手そうだからなかなか進展しなさそうね。ここは私が———」


「あの、お母さんですか? お姉さんではないですよね?」


 はじめの俺のイメージは一気に消し飛んだ。

学校で見る女子のノリにもついていけそうだ。


「あらやだ! 西くん口が上手ね」


 お母さんは両手を顔の下に当ててクネクネ身体を動かしている。


「お母さん?」


 軟体動物と化したお母さんの後ろの階段をパジャマ姿の紫穂里さんが降りてきた。


「あ、紫穂里さん」


 あれはジェラピケだろうか?白とピンクのボーダーの部屋着姿の紫穂里さんは俺を見つけるとそのまま数秒固まった。



「き、」


「「き?」」


 俯きながらプルプルと震えている紫穂里さんをお母さんと2人で見ていると、やがて……


「きゃ〜!」


と雄叫びを上げながら階段を駆け上がっていった。


「へっ?」


 あまりの光景におかしな声が出てしまった。


「あはははは。西くんがいたことのびっくりと部屋着姿見られた恥ずかしさで逃げ出したみたいね。かわいいわね〜、あ、西くんごめんなさいね。どうぞ上がって」


♢♢♢♢♢


 リビングに通され、ソファーに座るように促された。


「西くん、コーヒーでもいいかしら?」


「あ、はい。ありがとうございます」


 そう答えるとお母さんは「ちょっと待っててね」とウインクをしてキッチンへと入って行った。


「西くん、今日はわざわざ来てくれてありがとうね。休んだ理由は本人から聞いてね」


 お母さんはクスクスと笑っていることから深刻なことではないということがわかった。


「あの、昨日なんですけど」


 俺は昨日の夜のことをお母さんに説明した。


 お母さんはコトンと俺の前にコーヒーを置き正面に座った。


「はは〜ん。そういうことだったのね。うちのだんなも紫穂里も詳しく教えてくれなかったから、とりあえずだんなだけお説教しておいたのよ」


 お母さんはカップを手に取り、紅茶を一口飲むとニッコリと微笑んでくれた。


「だってそうでしょ? 娘の恋路を邪魔するなんて無粋なことをしたのよ? 母親として許せないじゃない?」


こ、恋路?


「あ、あの?」


 俺が困惑しながらも口を開こうとお母さんがわかってるわよとでも言いたげに言葉を繋いでくれた。


「去年の夏過ぎくらいだったかな? 紫穂里から西くんって名前をよく聞くように—」


「お母さん!」


 勢いよくリビングの扉があけると、お母さんの言葉を遮るように紫穂里さんが声を上げた。


「あらっ、紫穂里。部屋着姿でも可愛かったのにわざわざ着替えたの?」


 その意見には俺も同意します。

ライトブルーのパーカーと白のキュロット姿になった紫穂里さんは、かわいいと言われたのが恥ずかしかったのか、俯きながら俺の隣までやってきて、袖をつっと引っ張った。


「私のお部屋で話そう」


「え〜、私まだ西くんとお話ししてないんだけど?」


 お母さんが両手でテーブルを叩いて抗議しているが、紫穂里さんは構わず俺の手を握った。

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