第14話 永久就職
「いらっしゃいませ、お客様4名様ですか?奥のお席でお願いします」
休日の18時以降というのは飲食店にとっては稼ぎ時である。無論それは俺の働く無双庵も例外ではない。
ホールでは妙とパートの
無双庵は6人用の座敷席が4つ、4人用のテーブル席が6つ、カウンター席が8つ用意されている。
キッチンには店長と大学生アルバイトの
「キムさん、月見大と山菜並です」
湯切りした麺をどんぶりに移してキムさんの前に置いた。
「了解〜」
つゆを入れ手際よくトッピングをしてカウンターに乗せる。
「桐生さん、4番さんの月見大と山菜並ね」
タイミングを合わせたかのように現れた妙が「はい」と返事をしてご提供に行った。
「桐生さんはよく周りを見てますね。いつもいいタイミングで顔出してくれるからタイムロスがほとんどないんですよね」
ちょうど待ちがなくなったのでキムさんが店長に話しかけていた。
「あの子は本当に視野が広いな。周りを見ながら自分が次に何をやるのかを常に考えてるんだろうな」
それもあるんだろうけど、1番は思いやりだろうな。自分がどうすればということよりも相手がどうして欲しいかを考えているように思える。
「それに対してあいつは……どっちが年上かわからないな」
店長の視線の先にいたのは布目さん。
店長と布目さんは高校時代からの付き合いらしく、店長が空手部の部長をしていたときに1年生マネージャーとして入部してきたらしい。
人当たりもよく話しやすい人なんだけど、仕事に関して言えば要領が悪いんだよな。
いまもおぼんいっぱいにどんぶりを乗せてるんだけども、明らかに乗せ過ぎで慎重に歩くものだからいつもより動きが遅くなっている。あれなら乗せる量を減らして往復したほうが早そうだ。
「薫さん、変わりますので3番テーブルさんの注文のお伺いお願いします」
すかさず妙がフォローに入って洗い物を下げにきたので、キッチンののれんを上げておぼんを受け取った。
「お前、よくこんな重いの持ってこれたな」
元を正せば布目さんが積み過ぎたのが原因なんだけど、それでも平然と運んできたのはお見事としか言いようがない。
「これでも鍛えてるからね」
ウインクをしながら袖をまくり力こぶを見せてくる妙の右腕は、力強さとは全く縁のない白く綺麗な腕で思わず息を飲むほどだった。
「陣くん?」
反応がないと思った妙が怪訝そうに顔を覗き込んできたことで声をかけられたことに気がついた。
「あ、おう。そんな綺麗な細腕見せられても説得力ないぞ」
最近、女子のちょっとした仕草にドキドキするようになってしまった。どうも京極と別れてから女子に対する免疫力が下がったみたいだ。
「おいおい陣、バイト中に同僚をナンパなんてやってくれるじゃないか」
突然店長が太い腕で肩を組んでくるので、思わずよろけてしまった。
「はぁ?ナンパなんてしてないじゃないっすか」
なあ、と同意を求めて妙を見ると「えっ?」という表情で固まっていた。
「妙?」
固まっている妙の目の前で手を左右に振るとようやく気づいたらしく、俺の顔をジト目で睨みつけてきた。
「陣くん?そういうとこだよ」
妙には責められるし、店長はニヤニヤとからかわれるし。
「解せぬ。布目さん、俺なにかおかしなこと言いましたか?」
今度は無理なく下げ物をしてきた布目さんを味方にすべく目で訴えてみた。
「無自覚って怖いよね〜」
だめでした。
「でもね?」
「はい?」
「ちょっとうらやましいな」
布目さんが遠い目で呟いた。
♢♢♢♢♢
20時、今日はこの後店長が用事があると言うことで早めの閉店。
店長、布目さん、妙と俺の4人で閉店作業の前に賄いを食べていた。
ちなみに阿武さんは旦那さんが帰ってくるからと20時ちょうどに帰り、キムさんは「JKとコンパだぜ」とハシャギまくっていた。
妙に軽蔑の眼差しを向けられていたこと、気づいてました?
「へ〜、試合か」
大会は土日に行われるため、今後のシフトに影響がでるので事前に店長に相談を持ちかけた。
「私の方はそんなにかからないと思います。試合があっても夕方からなら入れますから」
うん、俺は試合があった日は家でゆっくりしたかったんだけど、妙がこう言ってしまうと言いづらい。
「陣はどうせ補欠だから関係ないだろ?妙ちゃんの護衛もあるんだから頼むぞ」
「補欠って決めつけるのはどうかと思うんだけど!」
確かに俺は妙と違ってまだ試合に出れるかどうかは微妙ですけどね?
「まあ、いいじゃねぇか。それよりもお前、もう空手はやらないのか?」
今更、そんな昔のこと言われてもなぁ。
俺と店長は元々同じ道場に通う兄弟弟子の関係だった。とは言っても俺は中学に上がる前には辞めてしまったけど。だから、そんな話をされてもね?
「……栄北サッカー部の秘密兵器なんで」
店長から目を逸らしながらうどんを啜った。
もう空手をやるつもはない。
「まあまあ、先輩。西くんサッカー頑張ってるみたいですよ?彼女にもかっこいいところ見せてあげないといけないから今回はやってくれるはずです」
「ねっ」とかわいくウインクしながら布目さんは話を逸らしてくれた。まあ、そっちも地雷源なんですけどね?
「別れたんですよね〜、だから別にかっこつける必要はないんですよ」
なるべく軽い感じで、もうなんとも思ってませんよと。
「えっ?あっ、なんかごめんね」
深刻な表情になり頭を下げてくる布目さんに左手を左右にひらひらしたがら「大丈夫ですよ」と伝えた。
「全く、布目も他人の心配してる場合じゃないだろ?お前もいつまでもフリーターしてないでまともな職につけよ」
店長の手刀が綺麗に布目さんの分け目に入った。この人も案外鈍感だ。
しばらくの間、頭を抱えてた布目さんは箸をバンっとテーブルに置くと隣に座っている店長と向き合った。
「先輩!」
布目さんの真剣な表情に固唾を飲んで先を見守っていると、
「私の就職先は決まってます」
「お、おう。そうか?それなら俺も応援するぞ」
勢いに押される店長が両手で布目さんを押し留めている。
「本当ですね?言質取りましたからね?」
「大丈夫だ。俺はお前の味方だから」
「わかりました!じゃあ、言いますよ?」
俺たちはここにいてもいいのだろうか?妙と目配せをして席を立とうとしたがときすでに遅し。
「私は!先輩のところに永久就職したいんです!いますぐじゃなくていいので、考えてください」
布目さんは店長の返答も待たずに逃げていった。
♢♢♢♢♢
「びっくりしたね」
「だな」
あの後、ポンコツと化した店長と逃げた布目さんのせいで閉店作業は23時までかかってしまい、ただいま妙を家まで送っている最中です。
「結婚するかな〜。う〜ん!結婚して欲しいな」
両手を上げて伸びをしながら妙は叫んだ。
「おい、声」
でけえよ、と注意すると「あはははは」と笑ってごまかした。
「でもうらやましいなぁ」
「なんだ妙はもう結婚願望があるのか?」
そう聞くと妙は顎に手をやり考え込む。
「そのうちね、いまはまだ恋に恋してるって感じかも。あ、着いちゃったね。じゃあまたね」
胸の前で小さく手を振る妙に「またな」と声をかけて踵を返そうとしたところで「ねぇ」と引き留められた。
「どうした?」
振り向いた俺に妙は優しく笑いかけてくれた。
「そのときは、よろしくね」
この時はまだ、俺は言葉の意味が理解できていなかった。
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