番外編 夫に猫を被るワケ⑪

一般の観覧席に座ると、横に座ったメイリアがため息をついた。


「どうして今年もこの席なのですか」


馬術大会は出場する騎士の応援ができる席は3種類あって、家族や恋人が座れる関係者席と、貴族の席、一般市民の席と別れている。

毎年、アイリシアは一般の席に座って競技を眺めていた。

ベルツ=ファーレン公爵家が一緒に見ようと声をかけてくれたが、できれば猫の被り物を外したかったアイリシアはジルクリフにばれることを恐れて断ったのだ。

一般席からでも十分に観戦できるので、アイリシアはわくわくとした瞳を闘技場内に向けた。


国王の宣言からの盛大な開会式の後には各競技に向けて騎士たちが整列し開始を待っている。

壮観な景色に会場も熱気に包まれている。

青銅隊の制服を見つけて、アイリシアは視線をさまよわせた。

ジルクリフの姿がないことは分かっているが、つい目で探してしまう。

あの目立つ黒髪がないことを確認して、ふうと息を吐く。


「だって被り物が邪魔をしてせっかくの旦那さまの勇姿を見逃してしまうのは悲しいわ。ご家族とご一緒では被り物を外して観戦もできないし」

「まあシアさまがご納得されていらっしゃるならそれ以上は申しませんけれど」


それでもメイリアは不服そうだ。

なんとか宥めていると試合が開始した。

正面の円型コースは速駆けが行われ一度に八人ずつが競う。その左右には流鏑馬の直線コースがあり、並べられた的に向かって射ながら一人ずつ駆け抜け予選を行っていく。

勝負はわりと速く進むため、あっという間に試合が終わっていることもある。あちらでもこちらでも競われているので目移りしてしまうのも事実だ。ただしこれは予選だからであって決勝は一つの競技をじっくりと行ってくれる。


「姉さま!」


席について眺めていると、不意に声をかけられた。見上げると弟が立っていた。

母譲りの金色の髪が陽光を受けてきらりと光る。

久しぶりに会った弟は記憶の中よりも幾分か背が伸びている。成長期の少年の姿は目覚ましい。


「あら、アイグラム。久しぶりね」

「姉さまはこちらで観覧なさるのですか」

「ええ。いつもこちらだったので違う場所だと落ち着かなくて」

「では、僕もご一緒してもよろしいですか」

「もちろんよ」


にこりと微笑んで隣を示せば、彼は嬉しそうに腰かけた。

毎年二人で並んで観戦していたので、懐かしい気持ちが強い。

アイグラムは自宅にいるといつも横にいたので、より一層その気持ちが強まった。くっつきたがる甘えん坊な弟は背が伸びても変わらないらしい。


結婚して家を出たからだろうか。貼り付くようにぴったりと横に座った弟の横顔は嬉しさで溢れている。彼には寂しい思いをさせている、と申し訳ない気持ちになった。

だが、結婚という事実に頬が熱くなったのも事実だ。


まだ式をあげて一月ほどだ。なので、ふとした折りに妻になったのだと実感するとにやけてしまう。

内心で悶えていると、冷ややかな声がかけられた。


「いい加減、離縁されてはいかがです?」

「突然、どうしたの?」

「手紙で再三伝えましたよね。構ってもらえないお飾りの妻で、顔すら見せていないのですから、もう離縁してもよろしいのでは?」

「またその話? 被り物をしているのは私の事情だと話したでしょう。寛大な旦那さまはそれを受け入れてくれているのよ。感謝しこそすれ、批難されることではないわ。むしろ謗られるべきは私のほうよ」

「どうして姉さまが!」

「旦那さまが素敵過ぎて恥ずかしくて素顔が晒せないなんて妻失格でしょう」


憤る弟にアイリシアは己が不甲斐なくて思わず力なく笑ってしまう。

アイグラムはなぜか傷ついた顔をした。


「被り物を強制されているわけではないのですね」

「? ええ、そうよ。最初に説明したでしょう。どうしても旦那さまを前にすると恥ずかしくて……意気地のない姉でごめんなさいね」

「姉さまは悪くないです」


弟は悔しそうに顔を顰めると、ぎゅっとズボンを握りしめた。


「幸せですか…?」

「もちろん。大好きな旦那さまのお傍にいられるのだもの。私にもう少し勇気があればあなたが不甲斐ない思いをしなくてもすむのだけれど」

「僕のことは気にしないでください。姉さまの幸せが一番ですから」


弟の気持ちが嬉しくて、ポンポンと握りしめられた手を叩く。


そんな時に落胆の声が響いた。

馬術大会は午前が速駆け、流鏑馬、騎馬戦の団体と個人の予選が行われる。観客席はそれらを囲むように高い場所に席が設けられており、どこからでも競技が臨める。

試合はすっかり進んでおり、予選も殆どが終わったようだが、周りの観客からは口々に批難する声が上がる。


「今年はどうしちまったんだ?」

「くっそー、俺は青銅隊にかけたんだぞ」

「俺は赤銅隊だ!」

「おい、もっとしっかりしろ!」


野次は止まることがない。主に青銅隊と赤銅隊に向けられているようだ。


「どうしたのかしら?」

「今年は青銅隊も赤銅隊も調子がよくないようですね」


ずっと眺めていたメイリアが説明してくれる。


「旦那さまは特に何もおっしゃられていなかったのに」


ジルクリフは昨年の優勝者なので予選は出場せずに午後の決勝戦から始まることになる。夫が出ていなくても最初からしっかり観戦したいアイリシアは毎年1日眺めているが、確かに今年は青銅隊も赤銅隊も生彩さに欠けている。


決勝戦は上位8人で行われるが今のところ決勝に残ったのは流鏑馬と騎馬戦個人で青銅隊の副隊長が、速駆けで青銅隊の騎士が一人くらいだ。

せめて二人にはそのまま、決勝戦で良い結果をだして欲しいと願うしかない。


「労いのお弁当を差し入れしようかと思っていましたが迷惑かしら…」

「むしろ元気づけられてよろしいのでは?」


お弁当は昼近くになればエマが持ってきてくれる手筈になっている。

メイリアの助言に不安を覚えながら、アイリシアは勝負の行方を見つめるのだった。

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