第23話 儚くも美しい
「旦那さまはお仕事に真摯です、決して先ほど閣下が述べられたようなことはありません。事実無根ですわ!」
「あ、アイリシア…?」
声をかければ、少女がくるりと顔を横に向けて睨みつけてくる。金と翠の位相の違う色彩には涙があふれて次から次へとこぼれているが、気にした様子もない。見慣れた色合いは、被り物と同じだからだろう。なるほど、彼女自身の色を現していたのだ。
紛い物よりもずっと煌めく異相に、思わず言葉を飲み込む。
「旦那さまも! 部下の方もひいては騎士さまが侮辱されているのだから、きちんと怒ってくださいませっ」
「…すみません」
金色の髪は複雑に編みこまれ、一つのお団子になっている。色合いは母親や弟と同じだ。なにより声が明瞭に自分の耳に響くが、これまで聞いていた音が同じだ。
怒っているから少し掠れているけれど、耳に心地よい澄んだ愛らしい声だ。
「いや、それは悪かった…反省するから。とにかく、あの、アイリシア、呪いは大丈夫なのか?」
「今はそんな話ではありません!」
「いや、俺は被り物が脱げたら死ぬ呪いだって聞いていたんだが…?」
「え、被り物、ですか? え、あれ? そういえば、私———きゃああああああっっっっつ!!!」
アイリシアは顔に両手をあててペタペタと触り、それが素肌だと知ると一瞬にして真っ赤になった。真っ白な肌が、本当に大丈夫かというくらいの染まり方だ。
そのまま悲鳴をあげて会場を逃げ出した。速馬でもあれほどの瞬発力はないだろう。
ぽかんと見送っていると、ぽかりと頭を叩かれた。
「まだ呪いなんて信じていたのか。あれは物のたとえだって言っただろう。被り物がなくたって彼女は死ぬわけじゃない。あの猫の頭はきちんと回収してお前の家に届けておいてやるから、お前は妻をとっとと追いかけろ」
いつの間にか傍にいたグリナッシュが、呆れたように背中を叩いてくる。情報が多すぎて混乱しているが、とにかくジルクリフも会場を後にした。
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警備に立っていた騎士たちに聞いて回ってなんとか王宮の中庭にやってきていた。中庭には真ん中に噴水と小さな東屋がある。舞踏会も始まっていない刻限に中庭を利用する者もいない。
そのため、すぐに薄い水色のドレスを見つけることができた。
噴水の縁に腰かけて俯いている少女は儚げで、頼りない月の光の下では消え入りそうだ。
「アイリシア」
「すみません!」
静かに名前を呼べば、小さな肩がふるりと震えた。まるで虐めているような錯覚を覚える。一歩近づくと、鋭い声が刺さる。思わず立ち止まってしまう。
「黙っていて申し訳ありません! こんな瞳の色の違う娘なんて、気持ち悪いですよね…」
下を向いているので表情はわからないが、ぽたぽたと落ちる涙が細い光に照らされてきらきらと光る。
確かに彼女のいうように、左右で瞳の色の違う子供は前世の罪を背負った呪われた子供だと言われている。だがおとぎ話のような曖昧なもので、実際に呪いにかかったという者も聞いたことがない。
だいたい、子供を寝かしつけたい親が寝物語にそんな呪われた怪物がやってきて食ってしまうぞ、と脅しに使われる程度だ。いい大人である自分が振り回されるものでもない。
「近づいてもいいか?」
待ってみても彼女からの言葉は返ってこなかったので、大股で近づいてそっと顔に触れる。膝まづき、上を向かせて左右の異なる色の瞳を覗き込んだ。
猫の瞳と同じ金翠の瞳は、淡い光の下では吸い込まれそうな輝きを放っている。
「綺麗だな」
「え?」
「こんなに綺麗な瞳を隠してたのか」
「え、ええ…?!」
ぼんっと音をたてそうなほど、彼女の顔が赤くなってそのまま逃げ出そうとするので、思わず腕を掴んで抱き寄せた。すっぽりと腕に収まる華奢な体に、庇護欲が掻き立てられる。
「なぜ猫を被ってたんだ?」
「あ、あの、すみません、すみません…放してください!」
「いやだ」
真っ赤になりながら腕の中で悶える彼女は純粋に可愛い。猫の被り物があまりに巨大すぎてごまかされていたが、やはり実際の彼女の背丈は小さい。そんな小柄で愛らしい生き物が震えて泣いているのだ。胸には愛おしいという感情が泉のように湧き上がる。
女性に対してそんな気持ちになったこともないので、ひたすらに興味深かった。手放すなんて考えられない。
「そもそも放したら逃げるだろう?」
アイリシアは無言だ。それは肯定ということだろう。
なので、彼女からの懇願は聞き入れることはできない。
「で、なんで猫を被っていたって?」
「…陛下に言われて…あの、私の目って変わっているでしょう? 陛下にご相談したら、何か隠すほうがいいのではないかと提案されまして…私自身、とても素顔で旦那さまの前に立てませんでしたし……」
ぽつりぽつりと俯きながら話す彼女は首まで赤い。思わず意識がそちらに吸い寄せられるが、必死で堪えて言葉を拾う。
要約すると、彼女は昔から瞳の色が違うので呪われ子だと言われていたらしい。ただし、気にしているのは両親だけで、領民も王妃もそれほど気にはしていなかったが、初対面では必ず驚かれる程度には奇異に映るとの自覚があったようだ。
「旦那さまを前にするとどうしても、あの、恥ずかしくて…すぐに顔も真っ赤になってしまうので、だから被り物ってすごく落ち着いたんです」
「恥ずかしい?」
それは自分の隣に立つことが我慢ならないという話だろうか。
そもそも巨大な猫の頭を被ることは恥ずかしくないという彼女の羞恥はどこに琴線があるのだろうか。
思わず半目になってしまったジルクリフを誰が責められるだろう。
そもそも諸悪の根源はやはりあの悪友だったのだ。面白いことが大好きな彼の薄ら笑う姿が思い浮かぶ。迷信など信じない自分が左右の瞳の色が違うだけで呪い子などと言われて嫌悪を感じるわけがない。長い付き合いなのだから、彼もわかっているはずだ。明らかに面白さを追求した結果だろう。
王命まで使って少女の人生がかかった結婚を無茶苦茶にするとは何事かと、怒りすら湧く。
内心で忌々しく思っていたが、続く彼女の言葉で思わず固まる。
「10歳になる頃、王妃さまに誘われて馬術大会の見学をさせていただいて、旦那さまの速駆けを見たんです。私、とても興奮してしまって…それで、馬に触ってみたくなって試合終わりの馬を近くで見ていたら突然、馬が暴れだして―――助けてくれたのが旦那さまでした。それからずっと、あの、お慕いしていました…」
「は?」
「そのご相談をずっと王妃さまと陛下が聞いてくださっていて。縁談まで調えていただいたんですが、もうずっと申し訳なくて…あの本当にご迷惑ばかりかけてすみませんでした。このまま離縁していただいて構いません。短い間でしたが、お世話に―――」
「待て待て待て」
話が飛躍しすぎてついていけない。
迷惑? 離縁?
いや、それよりも、なんだって?
「誰が誰を好きだって?」
「ええ? 改めて聞かれると、とても恥ずかしいのですが…あの、私、ずっとジルクリフさまが好きで…」
「君が俺を?」
確かにこの結婚は政略結婚ではないが、王命だ。
まさか、恋愛が絡んでいたなんて僅かも考えたことがなかった。
だが、アイリシアはずっと真っ赤になったままで、腕の中に抱きこんでいるからか彼女の心臓の音も早鐘のようにどくどくしている。
つられて、ジルクリフの体温もどんどん上がっていく。
「ちょっと、顔をあげてくれないか」
そっと手を添えて顎を持ち上げると、金と翠の瞳にぶつかった。潤んだ瞳は溢れんばかりの愛情や恋情が込められていて、ジルクリフを射抜いた。
なんだ、とすとんと心に落ちた。
「俺ばかりが君を好きなのだと思っていたんだ」
小柄だけれど姿勢のよい凛とした姿に。
いつまでも聞いていたい耳に心地よい声に。
ふんわりとした柔らかな白い手に。
試合の勝ち負けよりもひたすらに無事を気遣ってくれる優しい心にも。
猫の被り物は確かに恐怖を感じたが、中身の彼女には好感しかない。挙げればきりがないほどに好ましく思っていたが、彼女の感情が見えなくてイライラとしてしまった。
グリナッシュにも指摘されたが、己は愛するよりも愛されたいのだ。末っ子気質だと言われればそれまでだし、我儘だと言われればそうだろう。
だが彼女はジルクリフを想ってくれていたのだ。何より瞳が雄弁に愛しさを物語ってくれている。
それがわかれば、あっさりと逃がすわけもない。
「愛しているよ、アイリシア。もちろん、このまま俺の妻でいてくれるだろう?」
「は、はぃ?! あの、私、え、なぜ?」
「俺が君を好きで、君も俺を好きなら離れる理由はないだろう。恥ずかしいというなら、ずっと目を閉じていればいい。いつでも手を引いてあげるよ」
「え、えっ? ありがとうございます??」
戸惑いながらもアイリシアはぎゅっと目を瞑った。恥ずかしいからだろうが、男の腕の中で目を閉じるだなんて迂闊にも程がある。
もちろん、そっと口づけたのは言うまでもない。
「ん、んふ?」
驚いて目を開けた彼女の色彩の異なる瞳を真近に覗き込んで、思わず惚れ惚れと見とれてしまった。体を引こうとしたアイリシアの背中をぎゅっと抱きしめ、ゆったりと柔らかな唇を堪能する。啄んでは離れ、くっついては軽く食む。
「ふぁ…あ、旦那さま…」
「結婚式でも味わえなかったから、もう少し堪能させてくれ」
「あンぅ…ん、も、ダメ」
拒絶の言葉もそのまま飲み込んで、何度も何度も口づける。それは、アイリシアが羞恥で意識を手放すまで続けられたのだった。
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