第22話 溶けて、消える
馬術大会の後は表彰式を兼ねた舞踏会が開かれる。
そのまま夜会になるので、いったんは着替えて出席だ。
家族とともに出席する者も多いので、一度は家に帰る者もいるがジルクリフは控室に閉じこもっていた。
「隊長、そろそろ行かないと遅れますよ?」
「いやだ、行かない」
「そんな子供みたいなことをおっしゃらず」
「お前が悪いんだからな」
睨みつければベンエルが苦笑した。
「あれが実力ですって」
「嘘だ。絶対に手を抜いただろう」
午後の部は騎馬戦団体戦と個人戦の決勝戦だ。個人戦はジルクリフとベンエルの青銅隊隊長と副隊長で争う形となった。ベンエルは前青銅隊隊長でもあるので、実力は相当だ。ヘンリックスとの戦いではなかったが、それなりに楽しめると心を躍らせていたが、結果はジルクリフの圧勝となった。
しばらく馬上で打ち合って、あっさりとベンエルが落馬したのだ。落馬は失格となるので、必然的にジルクリフが勝ったということになった。だが、決勝戦が数分などなかなかあることではない。
「隊長ほど若くはないので、午前の試合をこなすだけで精一杯ですよ。握力が衰えて、あまり強く握れなかったんです。それなのに隊長が相手とはツライ……これ以上、私に恥をかかさないでください」
「私に恥をかかせたのは、お前だ! 大体、昼だってあっさり妻の差し入れを受け取って勝手に広げるし…」
「隊長がせっかくの好意を断ろうとされるからですよ。ああいうのは喜んで受け取るべきです。あいつらだって喜んでいたじゃないですか」
「不甲斐ない部下に、なぜ妻の手料理を食べさせなきゃならないんだ!」
不機嫌に叫べば目を丸くしたベンエルが、申し訳なさそうに頭を下げた。
「それは…気が付かなくて申し訳ありません。そうですよね、新婚ですもんね。妻の差し入れは独り占めしたいですよね…いや、でもまさか、隊長がそれほど独占欲が強いだなんて……そうか、そうですか」
「なんでそんなニヤニヤしているんだ? 午前の部で散々な結果しか残せなかった部下が情けないという話だろうが。引いてはお前の監督不行届だ。副隊長の責任でもあるんだからな」
「ああ、はい。そうですね。重ねて申し訳ありません」
「だから、そのにやけた顔をやめろ」
妻からの差し入れは5段の弁当だった。
だがぎっしり詰まった料理はあっさりと部下の胃袋に収められ、ほとんど自分に口には入らなかったのだ。
食べ物の恨みは恐ろしいということをベンエルはもっと実感すべきだ。
結果的にジルクリフは空腹を抱えて、午後の決勝戦に挑むことになった。イライラが増長したのは言うまでもない。
#####
祝賀会は王宮の大広間で開かれる。
王宮の大広間の手前で待ち合わせているので、着替えてゆっくりと向かう。
「ジル、こちらです」
母が片手を上げたが、それよりも前に猫の頭が目立っていたのですぐに妻を見つけることができた。人込みにも大活躍である。薄い水色のドレスは可憐だが、いかんせん顔に目がいってしまうので、コメントしづらい。
「もう、一度家に戻ってきてもいいでしょうに。こんなに可愛い義娘を放っておくなんて信じられない不甲斐なさですよ」
「そうだぞ。シアに視線が集まって追い払うのが大変だったんだ」
なぜかプリプリと怒っている両親に、ジルクリフは困惑するしかない。呪いの猫娘に視線が集まるのは当然だろう。なぜ、疑問に思うのか問いただしたい。
両親の横で猫娘はオロオロしていた。微妙に頭は揺れている。
怖いから、あまり動かないでほしい。
微震はダメだ。恐怖が増す。
だが、一方でイライラが増したのも確かだ。
よくわからない自分の感情を持て余しながらも、口では殊勝なことを告げる。
「申し訳ありません、試合の後の処理で手間取りまして」
「そんなもの下に押し付けて帰ってこんか。ラドクリフはすぐに戻ってきて二人で会場入りしているというのに」
今まで馬術大会に出場していた父があっさりと叱りつける。
ラドクリフも確かに馬術大会に出場していたが、午前だけで試合は終っているはずだ。一緒にされても困る。
「こんなところにずっと立っているのもなんですし、中に入りましょう。お手をどうぞ、姫」
「は、はい」
手を差し出せば、小さな白い手が重なる。日に焼けた自分の手とは構造が違う。同じ生き物だとは思えないほど、柔らかくてしっとりしている。
そっと手を引けば、両親もそれ以上は何も言わなかった。
少しだけイライラが晴れた気がしたが、ジルクリフは気のせいだと思うことにした。
会場に入れば、壁いっぱいに料理が並び、それに沿うように丸テーブルが置かれている。人々は思い思いの場所で談笑していた。
表彰会にはもう少し時間があるのだろう。
同じように会場の端へと移ると、両親は知り合いを見つけてそちらの方に挨拶に行ってしまった。妻の被り物のせいで、人が少し遠巻きにしているのでジルクリフはあえて動かないことを選んだ。
やはり、妻の格好は人嫌いのジルクリフには都合がいい。
「そういえば、昼の差し入れは助かった」
「あ、いいえ。あの、お口に合いましたか?」
「ああ、うまかったよ。好物ばかりが入っていたから…」
公爵家の料理人と一緒に作っているので、ジルクリフの好物を詰め込んだ弁当だった。
おかげでほとんど口に入らなくて、悔しい思いをしたのだ。
「お守りもありがとう。おかげで怪我はしなかった」
左腕を見せれば、ふっと息を吐く音が聞こえた。
「はい、ご無事で何よりでした。お疲れ様です」
どんな表情で彼女が言っているのかわからない。けれど、声には安堵が滲んでいて、ジルクリフの胸を温かく満たしてくれる。
ふと、彼女の顔が見たくなって、見られないことを残念に感じた。
今なら顔を見ても嫌悪や失望を感じないだろうとなぜか確信できた。
「うん。君なら、勝てなくても文句は言われなさそうだな」
「文句、ですか?」
「隊長ともなれば、優勝することは当たり前だってね」
「ええと、男の方の世界やお仕事のお話は、私にはとても難しいのですが…愛しい人には元気でいてもらいたいです。ですから、私は感謝の気持ちしかないのですが…あ、でも、あの優勝されたことは素晴らしいと思いますし、お姿もすごくかっこよかったのですが、もうドキドキしすぎて心臓が痛くなってしまって。やっぱりこうしてご無事なお姿を見てしまうとすごく安心いたします」
「そうか、ありがとう」
妻の言葉は一心に自分の身を案じてくれていたのだと実感できた。勝敗の関係ないところで、体だけを心配されるのはどこかくすぐったくもある。
なんだかほわんと心が温まった時に己の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おや、ジルクリフ君じゃないか」
ふと声をかけられて振り返れば、小太りの背の低い男が立っていた。ラウンディ=ジン=ガウトラン公爵だ。横には娘のミリアーネの姿もある。豪奢な金の巻き毛は飾り付けた宝石できらめいてる。ドレスはかわいらしいデザインだが紫色なので、悪目立ちしている。
妻とは異なる目立ち方だ。
「結婚したんだってねぇ、おめでとう。奥様はなんとも、可愛らしい方で羨ましいよ」
さすがは腹黒だ。アイリシアの猫の被り物をちらりと一瞥しただけで穏やかな微笑を浮かべている。
「ありがとうございます。こんな若輩者にももったいないくらいの自慢の妻でして」
アイリシアの腰に手を回して、仲の良さをアピールすればジン=ガウトラン公爵はふんっと鼻を鳴らした。
「それはなによりだね。それよりミリアーネも君にお守りを送ったはずだが、どこかに大事にしまっているのかな」
「丹精込めて選んだ腕輪を贈らせていただきましたのよ」
「申し訳ありません、妻からもらったものを優先してしまいました。新婚なのでご容赦ください」
むしろ新婚だとわかっているのに、必勝祈願のお守りを送られても困る。基本的には家族や恋人など近しい人から送られるものだからだ。だからこそ、ジルクリフはこれまでお守りの腕輪を身に着けていなかった。
決まった相手がいないとのアピールも兼ねていたのだ。
騎士の詰所宛に送られてきていたが、ジルクリフは本人宛に送り返すようにベンエルに指示したはずだった。
つまり差出人のない宝石のお守りは彼女からの贈り物ということだ。
「そんな狭量な奥様でもないだろうに。そんな大きな顔をしているのだから」
「私が、妻が可愛すぎて溺愛しているのですよ。ですから、彼女は何も知りません。新婚に波風たてようだなんて悪趣味ですね、勘弁してください」
殊更穏やかに聞こえるように返すが、腸は煮えくり返っている。
アイリシアの被り物は呪いだ。それを当てこするだなんて、意地が悪いにもほどがある。
「ふうん、その奥方にいいところを見せようとして、今日の試合は勝ちを譲られたのか」
最初はミリアーネとの仲を勧めてくるのかと思ったがそうではなかったので、長々と絡まれる理由がわからなかったが、彼の言葉でようやく見当がついた。
馬術大会は賭け事が裏で行われている。国は非公認だが、貴族や一般市民もかけられるのだ。各競技の優勝者を当てたり、1位から3位までの組み合わせを当てるものなどもやっている。今年は青銅隊と赤銅隊が散々だったので大穴が当たりだったりと大波乱だったようだ。
ジン=ガウトラン公爵は騎馬戦の個人に毎年大金を賭けていると聞いた。きっとジルクリフ以外に賭けて大損でもしたのだろう。
「君も隊長なのだから、副隊長に勝ちを譲られているようじゃあまだまだだね。そもそも新婚だからって浮かれていたんじゃないのか。下馬評では圧倒的にヘンリックスくんが優勢だったんだ。それが今日になっての大番狂わせだからな。噂も当てにならないが、近衛騎士全体でたるんでいる。近衛騎士がたいしたことないのだと思われても仕方がないね」
「不甲斐なくてすみません、もっと腕を磨きます」
「新婚だからって大目に見られるのもいいが、やはり御前試合なのだから真剣に取り組んでもらわないとね」
「あら、お父さま。さすがにジルクリフさまがお可哀そうよ。このように立派な猫のお嬢さまと結婚されたのだから同情を引くのは当然ではなくて…?」
「同情で勝つ騎士など、憐れなだけだと思うがね…」
アイリシアを微妙に侮辱したまま進む会話にジルクリフは苛立ちを感じた。
どうしてこの親子はこうも自分の神経を逆なでするのか。だからこそ、人間は煩わしくて嫌いだ。愛馬のサバッタンのつぶらな瞳を思いだしながら、なんとか表情を取り繕う。
だがそこにふっと隣にいる猫娘の翠と金の無機質な瞳も混ざって少し落ち着いた。
猫の瞳は感情を映さないからこそ、ふっと笑いがこみ上げる可笑しさを孕んでいる。
だいたい、全体的に近衛騎士が不甲斐ない中で優勝したのだから、経緯はどうあれ労ってくれてもいいだろうに。まあ、こんな腹黒から褒められても嬉しくもないが。
そう思う一方で仕方ないとも嘆息する。
だから、祝賀会に行きたくないとごねたのだ。あんなにあっさりとした決勝戦などどう考えてもデキレースだと思われるに決まっている。
ベンエルにあったら絞めてやると内心で誓って頭を下げれば、ぶんっと風を切る音が耳を横切った。続く悲鳴に思わず顔を前に向ける。
やや離れた人垣がぱっくりと開けた床に、ごろりと猫の巨大な頭が転がっていた。先ほどまで心に浮かべていたあの無機質な翠と金の瞳が、じっと虚空を見つめている。
ひいいい、生首のようで気持ち悪いな!
怖さが倍増だ。
戦慄したまま眺めていると、真横から凛とした声が響く。
「旦那さまを侮辱なさらないでください!」
思わず横を見れば自分の肩ほどの背丈の小柄な少女が仁王立ちのまま、両方の眼から涙を溢して泣き叫んでいたのだった。
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