第20話 悲しくも
次の日の朝、青銅隊の詰所に向かう途中の回廊で、ジルクリフは盛大に顔をしかめた。
遠くから一目でわかる巨躯を揺らしながら、赤銅色の平時の軽装に身を包んだ男が歩いてきた。
見間違えるはずもない。ヘンリックス=マトル=ヲーグだ。
この国では見慣れた茶髪に青い眼をした彼の年齢は俺より3つ上の28歳。牛に似ている顔立ちは、荒々しいの一言に尽きる。というか、同じ人族かと問いたくなる。
侯爵家の次男であり、赤銅隊隊長だが、今だ独身。
噂では妖精に恋している夢見がちな男らしい。
本人に直接確かめた猛者が今のところいないので、正確なところはわからないが。
時折、妖精がどうだとか独り言をつぶやいては、頬を染めている姿を見たものがいるとかいないとか。ある意味、怪談だ。
信憑性がまったくない。噂など、所詮そんなものだ。
だが、そんな妖精に恋している噂話など微塵も感じられないほど、彼の性格は苛烈だ。
職務を忠実に全うし、騎士という職に誇りを持っている。とりわけ、近衛騎士に。
そのため、青銅隊と衝突することもしばしばで。
縄張り争いに発展するのも職務にこだわるからだ。
なので、馬術大会の近い今の時期はとにかく会いたくない男となる。
しかも、呪い姫と結婚したと知ったとたん、自分のほうが優位にたったという態度を隠そうともしない。
アイツが結婚できる可能性など皆無だ。家柄目当ての女たちですら、彼の容姿に恐れをなして近づこうともしない。
なんとかやり過ごしたいが、回廊は一本道で、横に逸れるには中庭に出るしかない。
一方で、彼の姿に怖気づいて逃げたと思われるのも癪だ。
向こうが気づかないことを祈ったが、遠目からでも彼の気配が変わったのが分かった。
確実に気づかれている。
「ジルクリフ=ベルツ=ファーレンっつ!!」
地獄の底から響いていると勘違いしそうなほど、地を這う重低音が回廊に響き渡った。遠くを歩いていた女官がびくんと大きく肩を揺らしているのがわかる。
静かな王宮の朝からなんと迷惑な男だろうか。
どすどすと廊下を踏みしめて大股で近づいてきたヘンリックスは、鬼気迫る形相で、ジルクリフの前に立ちはだかった。
自分よりも身長がある大きな体は、横にも分厚い。筋肉の塊と言っても間違いではない。暑苦しい熱気を孕んでいる。
仕事が始まった直後から、気の重い出来事だ。まだ、職場にも着いていないのに。
「朝から、いったい何の用だ?」
常よりも殺気だっているヘンリックスの様子に、眉根を寄せた。
馬術大会目前で気が高ぶっているのかと思えば、それだけではないらしい。
はっきり言ってしまえば、取り乱していると言ってもいいほどだ。
「貴様、貴様がーーーーっ」
至近距離から、鼓膜を突き破るような大音声を聞いて盛大に顔をしかめる。
戦場ではないのだから、そんな声量迷惑なだけだ。
「おい、とにかく落ち着いたらどうだ…」
「貴様が、俺の、俺の―――っ、妖精さんを奪ったんだろうが!!!!!」
頭の中にぐわんぐわんと響く言葉の意味を理解するのに数分がかかった。
妖精さん…??
生まれてこの方、そんなおとぎ話の存在に出会った覚えはない。
「身に覚えはない、言いがかりだな」
「しらばっくれるなっーーー! だいたい、お前はいつもいつもいつもーーーっ!!!」
牛が吠える。
比喩だが、目の前に迫られ、滂沱の涙を流しながら唸る男には、それ以上かける言葉が見つからなかった。
「た、隊長、どうしたんですか?」
「え、隊長が泣いてる?!」
「おおい、ちょっと、大変だーー誰か、誰か!!?」
騒ぎを聞きつけて、赤銅隊の制服に身を包んだ男たちが次から次へと現れては、事態を大きくしていく。
そういえば、赤銅隊の詰所に近かった、とぼんやりと考える。半ば、現実逃避ともいう。
「俺たちの隊長になんてことしてくれるんだ!!」
「そうだ、そうだ!…というか、どういう状況??」
「隊長が泣いているとこ、初めて見たわ」
「俺も…」
「俺だって…」
やってきた男たちは状況がわからず、一応ジルクリフを批難するも、戸惑い顔を見合わせ始めた。
結局、10人ほどがヘンリックスを囲って、一斉に自分に視線を向ける。
「ええと、結局、何があったんですか??」
それは、心の底から!
俺のセリフだと思うんだ!!
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