第17話 吹き上げる水の飛沫

アイグラム=ファン=ベルケンは12歳で、学園の2年生だった。

姉のアイリシアを心から慕っているそうで、ジルクリフの腕の中でもがいては「認めない、結婚を無効にしてやる」と息巻いている。

子供にそれほど期待しているわけではないが、周りが敵だらけのこの状況では、唯一の味方だ。


ありがたく、心のオアシス、救いとさせていただこう。


ここで出会えたのも運命に違いない。

彼は女の子に間違えられそうな可愛らしい顔立ちをしている。アイリシアの母である公爵夫人によく似ていた。

ジルクリフもどちらかといえば女顔だったので、小さい頃は苦労した。彼も苦労しているに違いない。

女の子と間違えられ、告白されたこともある。いや、性別を知っていても告白しにきた者もいた。強くなろうと心に決めた瞬間だ。

そんなところも共感を覚える。果てのないほどの一方通行だが。


「いい加減、離せよっ!」


腕を振り回してきたので、さっと腕を解いた。

アイグラムは肩でぜえはあと大きく息をしている。

可愛いと言えば、本気で怒られるだろうことは予想できたので胸中でつぶやくことにする。


「お、お前、いったい、なんのつもり、だ…っ。僕に取り入って、どうする…?!」


心なしか顔が赤い気がする。相当、怒っているようだ。

もしくは息苦しかったのかもしれない。

眼を白黒させて混乱している少年に、ジルクリフは素直に謝った。


「すまん、ようやく会えて感動してしまった。こうして会うのははじめましてだよな? 結婚式では見かけなかった」

「どうして参加するんだ。僕は認めてないって言ってるだろ」

「ああ、それでいなかったのか…」


まあ、参加しなくてもよかったとは思う。あの異様な空気に包まれた結婚式には。ワーストの思い出作りには最高だろうが。

叔父とガスが複雑そうな顔をしているのがわかる。二人はもちろん参列者なので、同じような考えなのだろう。


「とにかく、姉さまにはこの結婚をやめるように毎日、手紙を出しているんだ。そのうち、離縁状を叩きつけられるはずだから覚悟しろ」

「そうか、えらいな! よく頑張ってるよ」


ジルクリフは筆まめな彼の金色の柔らかい頭をよしよしと撫でた。手触りがいい。馬のたてがみよりも細い毛で艶やかだ。


「バカにするなっ」


ぱしんと手を払いのけられて翠色の瞳で鋭く睨みつけられる。

なんだか既視感を覚えると思ったら、この翠の瞳はあの無機質な猫の片方の瞳の色とそっくりなのだ。

どれだけ精巧に作られているのだろう。人の瞳の色に合わせたガラス玉を探してくることはなかなかに大変だ。


ガラス玉だよ、な?

改めて猫の被り物の製作費用に疑問を感じたとき、視界の端で馬が暴れているのが見えた。


「なにやってんだっ」

「危ない、離れろっ」


叔父とガスが怒鳴っている間に、ジルクリフは駆け出していた。

馬は柵の内側で暴れているが、すぐ手前には数人の学生の姿がある。

仔馬と言っても、体重は大人の4倍以上はある。脚力だって無視できない威力だ。


ジルクリフは馬の近くで硬直している子供を引きはがした。馬は暴れて足を何度も振り上げ、いろいろなものを蹴り飛ばしている。やや離れた位置まで子供を抱えておろすと、すぐに戻って馬を宥めた。


体躯を優しく叩いて、落ち着くように声をかける。

脱力した学生にガスが話を聞いている。大きな声をあげてしまい、馬がその音に驚いてしまったようだった。


「クル、大丈夫だ。怖いことなんてないぞ」


栗毛の仔馬は、春に生まれた仔たちの中では一番体格がいいが、繊細だ。好奇心は強いので知らないものにすぐに興味を示してよっていくがすぐにパニックになる。

今回は見知らぬ学生たちに興味を惹かれたのだろう。

クルは頭もいい。何度も会いに来ているジルクリフに気が付いて、徐々に落ち着きを取り戻した。


「相変わらず、鮮やかだな」


叔父がゆったりと隣に立つ。


「クルが賢いんですよ、それよりこのまま毛づくろいしてもいいですか?」

「ああ。だが、新婚なんだから早めに帰れよ」

「わかってますよ…そうだ、アイグラム!」

「呼び捨てにするな!」


少し離れたところで成り行きを見守っていた義弟に声をかけると、ものすごく怒気のはらんだ声で返された。

どんな呼び方をしたところで、呼びかけるなと怒られそうではある。あえて、彼の怒りは無視しよう。


「休日にはいつでも家に遊びにこい、姉さんにも会いたいだろう?」


少しでも家の居心地をよくしてくれ…。

ジルクリフは祈りを込めながら、彼がうなずいてくれるのを待つ。


「――っ、お前の許可なんか…っ」


許可がなくても姉には会いたいだろうが、いかんせん姉がいるのはベルツ=ファーレン公爵家だ。

きっぱりと否定したいができないジレンマにアイグラムが真っ赤になってうなっている。微笑ましい光景だが、ここで笑顔を向けるのは得策でないことくらいわかっている。

小さくても味方は大事だ。


「ジル、なんだか悪いこと考えてるだろう…?」


叔父が呆れたような声をかけてきたが、かまうまい。

自分が何より優先すべきは心の平穏なのだから。

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