第16話 大理石の中の
叔父の傍に立っているジルクリフに気がついたガスが、片手をあげた。
「あれ、ジルさん、来ていたんですね」
ジェミリアとほとんど背丈の変わらない小柄な朴とつとした青年だ。そばかす顔がやや幼くも見えるが、彼は自分より5歳も年上だ。
伯爵家の出ということで、身分を気にしている彼はジルクリフをさん付けで呼ぶ。
「お義父さん、ここで子供たちを自由に見学させようと思うのですがよろしいでしょうか?」
「ああ、構わんよ。馬に触れるときだけは注意しろよ。不用意に手をだすと噛まれるか蹴られるかもしれん」
「わかってますよ。じゃあ、いったん解散だ。声を掛けたらまたすぐに集まってくれよ。あまり遠くに行かないように」
子供たちは大きくうなずいて馬の柵の近くへと散らばっていった。
だが、3人の学生がジルクリフの傍へとやってきた。
1人はイヤイヤついてきている様子だが。少女に腕を取られ、引きずられてきた。
「あの、ジルクリフ=ベルツ=ファーレン様ですか?」
「ああ、そうだが」
赤茶色の髪をした少年が薄い青色の瞳をキラキラさせながら見上げてくる。
その横にいた金色の髪の少女が同じく憧憬の瞳を向けてきた。
「僕、ユリウス=ヂェ=ルクと申します。こちらはマリー=ホル=アッシェントです。ジルクリフ様は、寮監のマクシムを覚えておられますか?」
「マクシム、懐かしいな。まだ寮監をやっているのか」
少年から出た名前は、ジルクリフが学生の時の寮監と同じだった。
やや禿げかけた中年太りの小柄な男だ。いつもイライラしていて、寮生をいたぶるのが好きだった。
貴族の子弟が集まるため学園の教師たちは権力を恐れて事なかれ主義を貫いていたが、寮は治外法権だった。
いくら親の権力を振りかざそうともマクシムはこたえない。
親たちが学生の頃の恥ずかしい出来事を書き留めたノートで脅しているからだ、とも言われている。
権力が役に立たないこともあると、学生たちは早々に学ぶことになる。
彼は常に寮で最上位にいた。
ジルクリフたちが寮にいた頃も同じだ。つまり王太子がいても彼は態度を改めなかった。
ある意味、尊敬に値する人物ではある。
まあ反抗心の強い貴族子弟たる寮生が大人しくしているわけもないが。
「では、あの暗黒寮生の噂は本当ですか?」
「暗黒寮生?! なんだ、それは?」
「寮の食材を盗みだして売りさばいたとか、部屋中を黒一色に染め上げたとか、階段に油をまいて寮監を突き落としたとか、風呂場に蛙を放って一晩寮監を眠らせなかったとか」
心当たりのある出来事を次々と並べ立てられ、沈黙するしかない。
ちなみに、風呂場の横が寮監の寝る場所だった。蛙の大合唱はいい安眠妨害になったのは言うまでもない。
風呂場って音が無駄に響く。
ガスが何をしているんだと若干青ざめている。彼も寮監にいじめられた記憶があるのだろう。
叔父は楽しげに笑った。
「ジル坊はやんちゃだなぁ」
「まあ、学生の頃ですし…」
今は違う、と声を大きくして宣言したいほどだ。
悪友だって、それぞれ大人しくなった…はずだ。というか、一人は国王で、一人は宰相だ。落ち着かなければこの国の先行きが不安になる。
日々を振り返って断言できないところが、なんとも居心地が悪いのだが。
今も、悪友の嫌がらせで呪い猫娘と結婚させられている自分の境遇を思えば少し考え込んでしまうが。
「本当なんですね! 僕たちはあなた方を勇者と称えて日々を頑張っているんです」
「あ、ありがとう?」
あの黒歴史がいつのまにか、語り継がれるようになったとは驚きだ。
しかも褒められるなんて。
特に部屋を黒に染めたのはグリナッシュの報復の一環だったりする。
王妃との婚約をからかったときにジルクリフとアルドの部屋をインクで染め上げたのだ。
確か、そのインクは寮監が大切にしていた高価なものを使用していたはずだ。外国産のどこかの有名なインクだと噂で聞いた。
同時に寮監からは殺意を込めた反撃が行われたので、二人で対応に苦慮した。挟み撃ちはきつかった。
苦い思い出だ。
若気の至りということで水に流してほしい。
握手を求められたので、複雑な気分のまま少年と握手を交わす。
小さいけれど剣だこだらけの彼の手は将来性を感じさせる。
大きくなったら彼は騎士になるそうだ。
そういえばたまに若い部下からも同じような視線を向けられていたことを思い出した。
もしかして、ジルクリフたちと寮監との闘いを知っている連中だったのだろうか。
青銅隊隊長として憧れられているものだと思っていたのだが。
「今年も馬術大会が近いですが、もちろん出場されますよね」
きらきらした顔で微笑まれたので、ようやく子供たちが自分の顔を知っている理由がわかった。騎士を目指しているのだから、馬術大会を見に来ていても不思議はない。
「ああ、今日も調整にきたところなんだ」
「そうなんですね。応援しています」
眩しそうに瞳を細められれば罪悪感が胸に湧く。叔父の視線が若干冷ややかな気もする。まさか呪いの猫娘である妻から逃げているとも言えない。
複雑な心境で横を見ると、先ほどから睨みつけてきていた金髪の少年がふんと鼻を鳴らした。
「くだらないな」
「アイグラム、その態度はよくないよ」
ユリウスの指摘に横にいたマリーも同意する。
「そうよ、失礼だわ。いくらジルクリフさまがお義兄さまになられたからって。身内になっても礼儀は守らないと…」
「僕は認めないからな!」
うん? お義兄さまだって?
不思議な言葉が聞こえた気がして、しげしげともう一人の少年を眺める。
鋭く睨みつけてきた翠色の瞳に敵意と憎悪を見て、ジルクリフは心が震えた。
「僕はアイグラム=ファン=ベルケンだ、絶対に義兄上だなんて呼ばないからな!!」
堂々と宣言した少年は、自分の腰までしかない体を大きく見せようと胸をはった。
「心のオアシスよっ」
ジルクリフは歓喜に震える心で、小さな義弟を抱きしめたのだった。
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