第15話 夢への誘い
休日3日目、ジルクリフは叔父の牧場に愛馬のサバッタンを連れてやってきていた。
いい加減、ストレスでどうにかなりそうだったので。
なんせ職場でも家でも妻との関係改善を迫られる。
自分としてはこれ以上、妻とは近づきたくないのだがヤツらは聞く耳をもたない。もっと優しくしろ、会話をしろ、二人で出かけろと追い立ててくる。
王宮から帰ってくれば、家族も使用人もジルクリフの味方は一人もいなかった。
みな、妻を囲んで楽しそうに王宮での様子を聞いている。
一人、疎外感を味わう羽目になった。
ここが長年住んでいた自分の家だとはとても思えなかった。
今のジルクリフに必要なのは憩いだ。
切実に。
「あら、ジル坊じゃない。仕事はどうしたのよ?」
牧場の母屋までくると、ちょうど外から帰ってきたジェミリアと会った。相変わらず、男のような恰好をしている。作業着のズボンに麻のシャツだ。
ジェミリアは叔父の娘だ。二つ年上で昔から弟のように可愛がられてきた。
ほとんどがからかわれて遊ばれていたのだが。
「いい加減、ジル坊はやめてくれよ」
「仕事さぼってこんなところにいるのだから、言われても仕方ないでしょ?」
彼女はくすりと笑うと、赤茶色の前髪をかき上げ、茶色の瞳を細めた。
「結婚したから、特別に休暇をもらったんだよ」
「その休暇は一人で馬と遊ぶためにあるんじゃなくて、妻と戯れるためにあるのだと思うわよ? 肝心の奥さんはどうしたのよ」
「…家にいる」
憮然と答えると、ほら見なさいというように彼女は豊かな胸を反らした。
「連れてきてここまで呪いにかかったら、俺はもう立ち直れない気がする」
「呪い? まあ、なんだか変わった奥さんだったものね。変り者のあんたとはお似合いじゃないかしら?」
昨日、自分が思ったことをそのまま返されたような気がした。
しかし国王ほどの変人ではないし、王妃は被り物愛好者ではない。
明らかに妻が異質だ。そして、己はまともだ。
変わった夫婦呼ばわりされる謂れはない。
「あんたが馬を連れてきて結婚すると言わなかっただけ、ましだわ。ちゃんとかは疑問だけれど、確かに人間だったもの」
親族連中のもの言いたげな視線は、たいていが今ジェミリアが説明したようなことだろう。
さすがに馬と結婚しようとは思わない。それぐらいの分別はある。
何度も言うが、ジルクリフは変り者ではないのだ。決して。
「春に生まれた仔馬たちを見たいんだが、いいだろう?」
「そっちは今、父さんがいるわ。好きにしていいけれど、新妻がいるんだから、早く家に戻りなさいね」
彼女は手を振って、母屋へと入っていった。
彼女の態度は普段、牧場経営を手伝っているからか、伯爵令嬢とは思えないほどサバサバしている。
父親の弟である叔父は伯爵家に養子に入ったが、昔から好きだった牧場経営をそのまま引き継いだ。
王都のはずれにある牧場に屋敷を構え、一家で過ごしている。
幼いころから動物に親しんでいる彼女は、苦手としない数少ない他人だ。
小さい頃は彼女と結婚してもいいと思っていたが、彼女のほうから断られた。
牧場関係者としては失格かもしれないが、自分より馬を愛する人は嫌だ、と言われたのだ。
そうして彼女は7年前に同じく伯爵家の次男と結婚し婿養子をもらったが、馬より彼女が好きだと否定できない時点で、ジルクリフに言えることはない。
早々に諦めたが、それ以来、自分が好ましいと思う女性がいなかったのも事実だ。
きちんと彼女を愛していると言えていたら、今、呪いの猫娘を妻にはしていなかったはずなのに。
後悔ばかりを抱え、放牧地へと足を向けた。
春に生まれたばかりの若い馬たちが1~2歳馬のとなりで草原をゆったりと歩いていた。草をはみ、時折駆け出し、自由に過ごしている。
栗毛、鹿毛、黒鹿毛、葦毛…様々な色が初夏の陽光を受けてきらきらと輝いている。
ちなみにサバッタンは、もう一つの放牧地に預けてある。青毛を誇らしげにきらめかせ、楽しそうに駆け回っていた。
彼は嫉妬深く、主人が他の馬たちの世話を焼くのを嫌うため、他の馬に近づくときはなるべく離れるようにしている。
許せ、親友。
俺だって仔馬と戯れたいんだ…!
低い嘶きを聞きながら、馬たちののびのびとした姿に癒されていると、牧草地の隅にいた壮年の男に声をかけられた。ジェミリアと同じように、ズボンに麻のシャツだ。首にタオルを巻いているところだけが違う。
「あれ、ジル坊。仕事を放りだすようになったら出入り禁止だって言っただろう?!」
作業着を着た叔父の言葉に脱力した。
「仕事はさぼってない! 結婚したから休日をもらっただけです」
「…1人で来ている時点でその休暇の意味は違うだろう…」
「たまには息抜きも必要なんです…」
自分に必要なのは憩いなんだ!
声を大にして叫びたいほどだ。
「結婚してまだ数日だろうに、お前、そんなことでやっていけるのか?」
「先のことなんて知りませんよ…」
大事なのは今、なのだ。
やっていけるか、いけないかと聞かれても、やっていくしかないとしか言えない。
叔父は甥の態度に呆れたような視線を寄こした。
「せっかくお前が結婚するんだと兄さんは喜んでいたのに、親不幸なことだけはするなよ…まあ、相手が馬じゃないだけよかったが」
どうしてみんな、ジルクリフが馬と結婚すると思うのだろうか。
疑問には思ったが、ふとここから離れた厩舎の近くにいる一団を見やった。
年の頃、12~3歳くらいの少年少女が10人くらい集まっている。いかにも貴族の子弟といった格好だ。ジェミリアの旦那のガスの説明を聞きながらうなずいている。
「彼らはなんです?」
「ああ、今日は学生さんたちがきてるんだ。見学だな」
「学生?」
「授業の一環だと言っていたが? そういえば、ここ数年で、来るようになったな。この前は、王宮に行ったと言っていたがお前は学生がいるのを見かけなかったか?」
「見ないですよ、俺は控室にこもってるか、練兵場にいるか、国王の執務室にいるかのどれかですから。王宮の見学なら赤銅隊の者がやったでしょうし、管轄外ですね」
ジルクリフが学生の頃にはそんな見学の制度はなかったから、詳細はわからないが王都のいろいろな場所を見学し、実地で学ぶというところか。
貴族の子弟だから軍馬を見ておくのも勉強といったところだろう。
その一団が放牧した馬を見ようと近づいてきた。
そして、運命の出会いを果たすのだ。
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