第14話 小鳥たちよ

「あっははは、やっぱり逃げ出してきたんだな」


執務机の前で笑い転げている悪友を、ジルクリフは目を細めて見つめている。

さっきもこの光景見たような気がする。

もう何度目になるかわからないため息を吐く。国王の執務室に出戻ってきた自分に、言える言葉は少ない。確かに批難してきたのだから文句など言えるはずもない。


「あんな暴れ馬みたいな部下に囲まれるのなんて勘弁してください」


素直に逃げ出してきたことを認める。

ちなみに未だ国王の警護中のアーバンは部下でもまともだった。静かに報告を聞いているだけで行動に不審な点は見られない。

このまま呪いに感染しないことを祈るばかりだ。

グリナッシュの横で書類を片づけていたアルドが眉間に皺を寄せながら呻いている。

外の用事は済んだらしい。


「コイツから話は聞いていたが、凄まじいな…」

「陛下から? 一体どんな話です?」

「呪いの影響力の話だ」


アルドの代わりに心底楽しそうに国王が答えた。


「やっぱり呪いなんですね?! なんとかしてくださいよ、あれじゃあ仕事にならない」


意気込んだジルクリフに、二人はやや呆れたような視線を向けた。


「いや、物のたとえだろう。本気にするなよ…」

「バカなこと言ってないで、さっさと彼女を迎えに行け」


二人のあまりに冷静なツッコミに、首をかしげるしかない。

あれ、猫の被り物は呪いのせいではないのか?

そもそも最初に呪い姫の話を教えてくれたのはアルドだったはずなのだが。

少なくとも、彼らは呪いを全く信じていないことは察せられた。


「迎え、ですか?」

「妃殿下から、お前の妻の迎えは必ず夫であるお前自身が来ることとの命令を受けている」

「は?」

「さっさと行かないとリンの機嫌が悪くなるぞ」


妻の機嫌が悪くなると大変なのはそれを宥める夫であるグリナッシュだ。それが大変であればあるほど、ジルクリフに向けられる報復が重くなるのは想像に難くない。

退室を願うと、さっさと王妃の住まう白宮へと向かうのだった。



#####



白宮の入り口を固めている白銅隊の近衛の女性騎士に近づくだけで、彼女は事情を察したようだった。


「妃殿下より話は承っています、このままお進みください」


まっすぐに伸びた回廊を示された。

促されるまま入り口をくぐると、回廊の横には庭園が広がっていた。

その真ん中に白い東屋がある。王宮の白宮は代々国王の家族が住む宮殿だ。つまり妃殿下のみならず、子供がいればその子供たちも幼年期までは同じ宮殿に部屋を与えられる。

そのため白宮はかわいらしい装飾や柔らかな曲線で溢れている。

東屋も若い女性が好みそうな装飾に、色とりどりの花が飾られている。

そこで二人の少女がお茶をしていた。


黒髪を揺らし少女が楽しげに笑えば、巨大な猫の頭も同じように揺れている。

異様な光景だ。決して微笑ましいとは言えない。

だが二人を眺める白銅隊の面々はうっとりと二人の光景を見つめているのだ。

いつのまにかはく製の猫の頭を愛でるような流行が生まれたのだろうか。

流行に疎い自分には理解できないが。


「ベルツ=ファーレン殿、しばしお待ちください」


庭園に一歩足を向けると、それまで二人を愛でていたミレーナ=エル=ラウンディが静かに声をかけてきた。


ジルクリフは数歩先の東屋の手前で立ち止まる。

猫の頭がぐりんとこちらを向く。

いつも通りの光景に、必死で心臓をなだめる。いい加減、この動悸にも慣れたいものだ。だが、この様子だとまだまだ落ち着かないのだろう。

猫娘につられて、王妃もこちらに視線を向けた。

黒曜石の瞳が鋭くジルクリフを見つめる。

不機嫌さを隠す気はないようだ。


「ベルツ=ファーレン卿、あなたどういうつもりなの?」

「どう、とは?」


問われた意味が分からず首を傾げたが、その反応は王妃の怒りに油を注いだようだった。


「あなたの妻に対する仕打ちよ! 自覚がないとは言わせないわ」


猫娘に目を向けると彼女は王妃の横で震えていた。たぶん、オロオロしているのだろう。猫頭が小刻みに揺れるさまは見ていて不気味だ。

うっかり嘆息する。

今日一日、どこに行っても批難の視線ばかりだ。なぜ、こうも詰め寄られるのか、いい加減うんざりしてきた。

しかし、王妃は人見知りではなかったか?


夜会などで国王の横に並んでいる姿は、いつも微笑を浮かべてはいるが、会話は短くほとんどの臣下は彼女が三言以上話しているのを聞いたことがないはずだ。

国王の話の中でもそのようなことを聞いたような気がする。

だが、目の前で憤っている少女は微塵も人見知りだとか引っ込み思案だとかの後ろ向きな要素は見当たらない。

それとも友人の境遇にそれほど腹を立てているということだろうか。


「冷遇しているつもりはありませんが。妻からそのような話がありましたか?」

「…シアはそんなことは言っていないわ! むしろ、あなたを褒める話ばかりよ。昨日のことだって嬉しいとしか話さないもの。でも、あなたの態度は褒められたものではないでしょう」


結婚してまだ三日目だ。仕事もあるし、早々妻ばかりを構えるほど暇ではない。

だが、どいつもこいつも口を開けば妻を構えと押し付けてくる。

そもそも、自分で望んだ結婚でもない。

王命だし、逆らえない。呪いで仕方ないのかもしれないが、妻の被り物にも目をつぶっている。ものすごく寛容な態度だと思う。

感謝されこそすれ、批難される謂れはないはずだ。

だが、9歳も下のそれも格上の相手に不敬を働いても仕方がない。

苛立ちをなんとか飲み込んで、努めて平静な声を心がける。


「妃殿下のお心を患わせて心苦しいのですが、先日夫婦となったばかりですので、もう少し時間をいただければと存じます。ところで妃殿下、お怪我の具合はいかがですか?」


ジルクリフの言葉に、その場の全員が息を飲んだ。王妃は顔を強張らせている。


「え、ええ。もうすぐ自分で歩けるようになりますわ」

「それはよろしいですね。では、こうして迎えにも参りましたので、このまま妻をお返し願えますか?」

「…結構よ。シア、また遊びに来て。今度はきちんと招待状を出すわ、お茶会にしましょう」

「ありがとうございます。リン様のお怪我が早くよくなるように祈ってますわ」


妻の言葉に、王妃の顔はひきつった笑みを浮かべる。

二人のやりとりから、妻は何も気がついていないと思える。だが、王妃は気づいている。

ただ純粋に自分を心配する親友を責めることもできず、王妃は簡単に礼を言って、自分たちを退去させた。

白宮を出て、本宮殿に近づいたころ、ジルクリフは妻から聞かされた話を思い出していた。

王妃の親友とまで呼ばれている妻の結婚式に彼女が参加できなかった理由について、だ。

最初は妻がそんな立場にいると知らなかったから王妃の姿を見なくても何も思わなかったが、知ってからは疑問に感じた。

国王が自分の友人として参加していたから混乱を避けるために参加しなかったのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。

王宮に向かう馬車に乗りながら猫娘に尋ねれば、彼女は顔を曇らせて王妃が足に怪我を負って歩くことに支障があるため国王が参加を止めたと聞いたと答えた。

足に怪我を負ったと聞いた時には、何かに躓いた程度なのかと思っていた。だが、実際は白宮を走っていて転んだのだ。その際に足を捻挫してしまったのだと妻は説明した。

白宮で捻挫するほどの勢いで走るってどんな状況だと思っていたが、妻はわりとよくあることだという。

実際、妻も走り込みに付き合わされていたらしい。


ダイエットのため、だとか。


その話を王妃や白銅隊の者は必死で隠したのだろう。国王は感づいているとは思うが、まさか自分まで知っているとは思わなかったようだ。

そして、その事実を妻が話したと彼女たちは気がついた。

今頃、妻に口止めしておかなかったことを悔やんでいるだろう。年頃の少女にとっては羞恥を覚える話のようだから。

この情報は、いい抑止力になりそうだ。王妃がまた文句を言ってきたら、いつでもこの情報で脅せる。

妻は情報の価値に気が付かず、王妃はジルクリフがこの情報を握っていることに不安を感じているようだった。

賢明だな、と内心でこっそりとつぶやく。

おとなしくしていれば、情報を広めたりはしない。そのまま静かに養生してほしいと心から思う。

しかし王妃への見方が次々と変わっていく。人見知りでもないし、お淑やかでもないようだ。

国王は変わり者で気にしないだろうが、世間的に見た王妃とはずいぶんと様子が違う。

まああの国王の相手をしていられるのだから、普通の精神じゃもたないのかもしれない。


ジルクリフは主夫婦を思ってこっそりと息を吐くのだった。


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