第11話 幸福にはほど遠い

結局、荷物が多くなったので家に帰ることにした。

紙袋二つを両手に抱えたジルクリフを見て、猫娘が帰ろうと言い張ったのも大きい。

公爵家に戻ってくると、両親と義姉は食後のお茶をサロンで楽しんでいると執事より伝えられた。


結婚式の日から次兄の妻は実家に泊まっている。

あの猫娘が何をしでかすのか不安なのだろう。次兄は仕事などで自分の屋敷に戻っていていないが、義姉は両親の傍にいてくれる。二人の心の安定のために頑張ってほしいところだ。


昼食はサロンで簡単に食べることを執事に告げ、まずは自室に向かった。簡単に着替えるとサロンへと足を運ぶ。

穏やかな初夏の陽気が、サンルームに差し込み、その中で三人が楽しげに語らっているところだった。


「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、あらシアはどうしたの?」


シア?!

え、聞き間違えたか?

母親の言葉に驚きつつ、ひとまずその横にいる父親に胡乱な瞳を向けた。


「彼女なら部屋で着替えていますよ。それより、父上、お聞きしたいことがあるのですが?」

「なんだ?」


静かにお茶を飲んでいた父親が顔を上げて首を傾げた。身長の大きながっしりとした体躯は騎士にとって好ましい。引退してしまったが、日ごろの鍛錬は欠かさないのだろう。衰えの見えない姿は実の父というひいき目に見ても誇らしい。

尊敬する父親ではあるが、見かけはいかめしい顔の頑固親父に見える。

ちなみに長兄と次兄は父親似で、ジルクリフは母親似だ。

母はクナイ国の伯爵家の出なので黒髪をしている。生粋ではないので、瞳の色は青色だ。それを受け継いでいる。ちなみに瞳の色は母方の祖父の色だと言われているから、どちらにしても異国寄りではある。

対して父はこの国の一般的な色合いの茶色の髪に緑色の瞳だ。兄たち二人も同じ髪色である。

王都で妻と果物屋台の店主との会話を聞き取れたのも母親の母国語を学んでいたからだった。

しかし、今はそれどころではない。


「どうして彼女におこづかいなど渡したのですか?」


アイリシアが今日持っていた金の出所を尋ねると、なんとジルクリフの父親から渡されたとのことだったのだ。しかも、見せてもらった額はおこづかいと気軽に呼べるものではなかった。夜会用のドレスなら余裕で買えるほどの値段だ。

ジルクリフは今まで一度も父から手渡しでこづかいをもらったことはない。母親から渡される程度だ。

そもそも公爵家の買い物など、店に言づけて直接買えば済むので、金を渡されること自体がまれであるのだが。

学生の頃はよく街に買い物に行っていたので、おこづかいでいろいろと買い食いした経験はある。その時には母からもらったおこづかいであった。

別に拗ねているわけではない。

ないはずだ。


「私だってシアに何かしてあげたかったんだ」

「は?」

「こづかいくらい、いいじゃないか。可愛い義娘なんだから」


自分の耳を疑わざるを得なかった。

いま、父親は可愛いムスメといったのか?!

父親には愛されているとは思うが、愛情表現を軽々しく口にする男ではない。

自分はあまりそんなことを言われた記憶はない。まあ、息子に対して可愛いと言われても困ってしまうが。


しかし、両親はアイリシアとは一歩距離をおいていたはずだ。結婚式のときのなんとも言えない表情は記憶に新しい。

それが一転、彼らはそろって親愛の表情を浮かべている。

本当に昨日仕事に行っている間に何が起きたんだ?

帰ってきたときの執事と妻の穏やかなやり取りや、今の両親の態度から夢でも見ているような現実離れした感覚を味わっていた。


「失礼いたします、こちらにご用意してもよろしいか」


執事がワゴンを押したメイドを連れてサロンへと入ってくる。

テーブルの上に簡単な軽食を並べていく。

サンドイッチにキッシュやパイといったところか。

果物やお菓子もある。


「あら、あなたたち食べて来なかったの? 随分と早い帰りだったけれど、街はきちんと案内できたのかしら」

「彼女の行きたい場所がなかったんですよ。まあ、土産も買ってきたし楽しめたのではないですか?」


母親に返事をしながら、そういえば、と思い返す。

ジルクリフは一度もあの猫娘が食事をしているところを見たところがない。

だが、母親は違うところに憤っているようだった。


「ジル、シアにはもう少し優しくしなさいね。あなたったら末っ子で自分が甘えん坊だからって、好き勝手ばかりして。散々心配かけてようやく女の子を連れてきて結婚してくれて安心していたのに。まさか、女の子に優しくできないだなんて思いもよらなかったわ」

「え、どういうことです?」

「あなた、婚約期間中ですらシアに会いに行かなかったそうじゃない。こちらに来てからもすぐに仕事だと言ってシアを放っておくし。休みをとって出かけたと思ったらすぐに戻ってくる始末で。愛想つかされても引き止められないでしょう」

「そうだぞ、せっかくあんな天使みたいな可愛い子が嫁に来てくれたのに無碍にするなんて信じられん。実家に帰ると言われたらお前のせいだぞ」


いやいや、妻は呪い姫なんて呼ばれて恐れられているんですが。

そもそもあの猫の顔は可愛いのだろうか? みんなには天使に見えるのか??

はく製ばりの猫の被り物が知らない間にぬいぐるみのように可愛い認識されることが一般的になりつつあるのか?


確かに所作は美しいと思う。

声も可愛いし、聞いていて心地よい。話し方から穏やかな人格もうかがえる。

公爵家の令嬢など気位が高くて扱いづらいという印象しかないが、彼女からはそんなことを一度も感じたことがない。

控え目で夫をたててくれる。だが、卑屈というわけでもない。楽しそうにしている気がする。


だが、あの猫の被り物がすべてを台無しにしている。

そう、力強く断言できるにもかかわらず、両親は自分を責める始末だ。

事態が急展開すぎて、頭がついていかない。

両親の横にいる義姉にすがるように視線を移す。金茶色の髪をゆるく編んで片側で一つにまとめている。湖を思わせる青い瞳は優しげで、可憐な女性だ。

いかつい容姿の次兄の横に並ぶには小柄さが引き立つが、次兄が穏やかで物腰の優しい男だと知っているので、お似合いの二人だと思える。

彼女は静かに微笑んでいた。


「義妹を傷つけるのは許しませんよ?」


なにげに一番怖いのは、義姉だった…。

恐怖心を精一杯抑え、必死にうなずくしかなかった。


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