第10話 口ずさんでみても

一通り露天商を見て回り、ジルクリフたちは広場へとやってきていた。

円形状に広がる広場には、放射線状に屋台が並び、おいしそうな匂いがしている。

そろそろ時刻は昼食の頃だろうか。屋台の近くには簡単な食事スペースがあり、そこに座って食べることが可能だ。

そこかしこで楽しげに食べている人たちの姿が見える。穏やかな光景だが、ここに一石を投じる者がいる。

それが自分の妻だと思うとめまいがする。


「何か食べたいものはあるか?」


頭を押さえながら、傍らの猫娘に尋ねた。

猫の頭がやはりぐりんぐりんと左右に動いている。近くでは男が食べ物を喉に詰まらせて目を白黒させているし、遠くでは飲み物でむせた者が隣の者に背中をさすってもらっていた。

串焼きを売る店主はひっくり返す手を止めているのか、やや焦げた匂いが漂い始めている。


だが極力、周囲を意識しないように努める。多大な精神力を必要とするが、日々の鍛錬を思い出せばどうにかなるはずだ。

むしろ近衛の任務のほうが心休まるってどういうことなんだろう…

彼女は先ほど買ったオレンジ色の蹄鉄(安産祈願、だ)をしっかりと抱えながら、一つの店の前で足を止めた。

そのまま屋台に頭をぬっと突っこんだ。


『これはもしかしてクナイのものですか?』


果物らしきものが並んでいる屋台の主人は浅黒い肌に黒い髪の男だった。瞳も黒い。

果物を切り分けて販売してくれる店のようだが、店主はクナイ国の人間だろう。

そして、彼女が話した異国語は王妃の国の言葉だった。

猫の頭が突然現れて男は驚愕に固まっていたが、聞き慣れた母国語でしゃべりかけられたからだろうか、やや態度を軟化させた。

彼女が指し示した赤い色の楕円形の果物を掲げて見せた。


『ええ、そうです。クナイ産ですよ、言葉がわかるのですか?』

『友人がクナイの者なので、一緒に言葉を学んだのです』

『なるほど。向こうでは大人から子供まで大好きな果物なんです。ナガーナという柑橘系で、乾燥に強く長持ちする。甘酸っぱい酸味がクセになるものですよ、おひとつご友人にいかがでしょう?』


さすが商売人といったところだろうか、一度話せばスラスラと商品の説明をしてくれる。


『では、籠いっぱいもらえますか?』

「そんなに買ってどうする?」

「お義父さまやお義母さまたちは、召し上がられませんか?」


家へのお土産になるらしい。


「ああ、それなら―――」

「それとクライスさんとシューマさんとカレンさんとポッドさんと…そうだ、エマはお菓子を焼いてくれるそうです!」


大丈夫だろうと続くジルクリフの言葉を遮った、妻の口から怒涛のように人物名が出てきたことにぎょっとした。

名前には心当たりがある。執事に庭師にメイド頭に馬丁だ。エマは自分の家で雇った彼女付きの侍女だ。男爵令嬢だったはずだが、菓子など焼けるのか。

自分の知らなかった情報にうっかり思考が流れてしまいそうになったが、慌てて切り替える。


いやいや、そうじゃないだろう。彼女が公爵家にやってきてまだ二日だ。実質、一日しか経っていないだろう。

それなのに、彼女のこの馴染んだような口ぶりはなんだ?


『お菓子にも使えますか?』

『そうですね、焼き菓子などによく使われますよ。冷たい水でよく冷やして食べてもおいしいですけどね!』


アイリシアと店主の穏やかな会話を右から左に聞き流しながら、軽い混乱に陥っていた。

執事はプライドが高いし、庭師は頑固爺で作業中に近づかれるのを何より嫌う。メイド頭はいつもピリピリしてメイドたちから怖がられている。決して、そんな優しげに名前を呼ばれる存在ではないはずだ。

ちなみに馬丁は若い好青年で、仕事熱心だ。だが、彼を思い出しただけでなぜかジルクリフの胃のあたりがムカムカする。

呪いが順調に広がっているのだろうか。そのうち、公爵家の者たちが猫を被りだすのか?


想像して戦慄した。

そんなジルクリフの心境には気づかず、彼女はさっさと金を払い、品物を受け取っている。

自分で買い物や支払いができる令嬢も珍しい。欲しいものをお付きの者に示せばその者たちが支払いを済ませ、荷物も家へと運んでくれるからだ。だが彼女は可愛らしい花柄のポシェットから自分の財布を出してお金を払っている。品物も受け取れば自分で持つ。

公爵家のお姫様がなぜ、そんな庶民のような真似ができるのだろう。

しかも、その金の出所はどこからだろう。

実家から幾ばくかのお金を持ってきているのだろうか。


「オカイアゲ、アリガトね~」


ジルクリフの疑問をよそに、この国の言葉で、のんきな店主の声が青い空に響いたのだった。




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