第9話 思いのままの生き様を

特別休暇を取らされた日、ジルクリフは妻と連れ立って街の商業区域にきていた。

家からここまで馬車に揺られ、たった今降りたところだ。ちなみに、馬車の扉は両方が開くため、彼女の頭でも難なく乗り込むことができた。馬車のポテンシャルに打ち震えた瞬間だ。


昨日は家に帰り着いたのが遅いこともあり、彼女とは手短に話すことしかできなかった。今日の朝食の席で改めて休みになったことを告げ、彼女にでかける支度をしてもらったのだ。


「旦那さま、今日はどちらに向かわれるご予定でしょうか?」


紫色の淡い色の簡素なドレスに身を包んだ猫娘が見上げるように頭を動かした。


「君は行きたいところはあるか?」

「私の、ですか?」


彼女にうなずいて見せると、猫の頭が左に傾いた。首をかしげているらしい。

頭が大きいから少し動かすだけでも大きなリアクションになるのかもしれない。


「そうですね、旦那さまの行きたいところに連れて行ってほしいです」


そうなると、叔父が経営している牧場になるのだが。

王命は街に連れていくだからなぁ。

街でよく行く店となると部下を連れ立っての酒場が圧倒的に多い。若い少女を昼からそんな場所に連れて行ったと知った時の幼馴染み二人を想像すると恐ろしい。


「俺が行く店は酒場とかになるから…じゃあ、街中を歩いて気に入った店に入るというのはどうだろう」

「ええ、わかりました」


二人で店が広がる商業区域の門をくぐった。

くぐりながら、ふとこれはいわゆるデートではないかと気が付いた。

よく考えたら、デートというものをしたのは初めてだ。

打算だらけの女狐たちと二人で出かけるなど気持ちの悪いことができるはずもなく。王都に異性と来るとなると、母や義姉の付き添いや、従妹の買い物に無理やり付き合わされる程度だろう。


ジルクリフは少しドキドキしてきたような気がした。

だが、すぐに周囲の様子を見て、そんな甘酸っぱい気持ちはどこかへ吹っ飛んだ。


「えっ?! なんだ?」

「今日は何かのお祭り?」

「お母さーん、猫の人がいるよ?」

「しっ、見ちゃダメ!」


通りを歩いている人たちが猫の被り物に気が付くとぎょっとして道を開けていく。

静かなざわめきが波のように広がっていくのを眺めながら、いろいろ諦めた。


店に入るのは無理じゃないか?

囲まれた店内で、混乱が起きても逃げ場のない店員が何をするのか考えるだけで疲れる。

国王はここまでの騒ぎを予想できていたのだろうか。街へ買い物に行けとの王命だが、せめて行く場所の指定も欲しかった。

それとも軽い集団パニックにも対処しろとのことだろうか。求められるハードルが高すぎる。


彼女はこの騒ぎの中、ゆっくりと進んでいく。頭は同じく微動だにせず、一点を凝視している。

姿勢は無駄にいい。

小柄だが、いつもまっすぐに立っている。若い騎士連中にも見習わせたいほどに、キレイな立ち姿だ。

だから頭が大きくてもぐらぐらと揺れないのだろう。

横を歩く彼女に歩幅を合わせながら、彼女のことをなにも知らない自分にこっそりとため息をついた。


「妃殿下のご友人なんだって?」

「ええ、親しくさせていただいています」

「君は外にほとんどでたことがないと聞いていたんだが…」

「? そうなのですね。まあ、学園にも通っていませんでしたし舞踏会や夜会にも出席したことがございませんからそのように思われているのでしょうか」


不思議そうな様子に、ジルクリフはなるほどと昨日、白銅の隊長から聞かされた話を思い返して合点がいった。

友人が結婚相手に冷遇されていることを王妃が嘆いている、というのが彼女の訴えだった。

そもそも昨日の騒ぎは、青銅隊の部下が隊長の結婚相手が呪い姫で不幸だと話していたところに、白銅隊の者が偶然居合わせてしまい、口喧嘩に発展してしまったのだそうだ。


なぜ妻の悪口を白銅隊の者が聞いて怒るのか、つながりがよくわからなかった。

王妃は今年16歳になる。他国に嫁いでいた先王の年の離れた妹が政変不安で実家に戻ってきた際に連れてきた娘だ。

国王グリナッシュの従妹に当たるが、他国の血を濃く受け継ぎこの国には珍しい黒髪に黒曜の瞳を持つ美少女でもある。

3歳でこの国にきて、母親はすぐに他界してしまい後ろ盾がなくなってしまったため、先王が当時の王太子グリナッシュの婚約者とした。


12歳で3歳の婚約者ができた彼のことをもちろんジルクリフたちは盛大に祝った。その頃は学園に通っていた時期なので三人とも寮暮らしだったが、男子寮を巻き込んでとんだ騒ぎになった記憶は今でも鮮明に覚えている。

王族の結婚など年の差もあるだろうが、グリナッシュは顔をしかめていた。何事も前向きに面白がる彼には珍しい表情だった。

だが王命であるので彼には受け入れるしかなかった。そこで二人がからかうために祝いをしたものだから、彼の怒りという報復はすさまじいものだった。

なので、その日以来彼の婚約者、現在の王妃について彼に尋ねることはなかった。結婚式は彼の戴冠した翌年に盛大に行われ、夜会などで見かけることもあり顔は知っているがほとんど話したこともない。


もちろん王妃の交友関係など知る由もない。

だが白銅隊の隊長曰く、先王の信認厚いファン=ベルケン公爵の娘が同じ年ということもあり、アイリシアは3歳の頃から王妃の遊び相手として王宮に出入りしていたらしい。なので、王妃の最も信頼ある友人なのだそうだ。おかげで白銅隊の者たちとも親交があった。

白銅隊の者は皆、王妃とその親友とも呼べる娘との仲睦まじい様子を見守っているのだという。

そんな主君の大事な友人を侮辱されたとあって、白銅隊は怒りが収まらなくなったらしい。


ジルクリフとしてはこの呪いの猫娘が王妃と楽しげに語らっている姿を想像して、微笑ましい気分にはまったくならないのだが。そんなことをミレーナに告げようものなら、一瞬で手打ちにされそうな気がする。平手ですむかどうかも怪しい。拳で語られれば甘んじて受ける所存ではるが、できるだけ痛いのは避けたい。

なので、素直に謝罪した。そして部下の誤解を解くためにも後日、妻をこの場に連れてくることを約束した。


ミレーナは満足げに頷くと青銅隊の控室を出て行った。そのあと医務室でケガの手当てをしていた青銅隊の部下たちを連行した。控室に残っていた者たちもすべて引き連れ、錬兵場に行き、みっちりと訓練を施した。すがすがしい午後を過ごしたことは間違いない。おかげで書類仕事が溜まってしまい、帰宅時間が遅くなってしまったのだが。

新婚早々新妻を放って帰宅が遅くなったジルクリフに対して家族の対応は冷ややかだった。一方で、猫の被り物をきちんと被った新妻は静かに迎えてくれた。

正直怒っているのかはよくわからないが、今日出かけることを手短に告げて別れた。


今も隣にいるけれど、彼女の感情は全くわからない。


「明日、君を職場に連れていきたいんだが、予定はあいているか?」

「ええ、予定はないのですが、旦那さまの職場ですか…何か差し入れを持って行ったほうがよろしいですか?」

「気を遣わなくても大丈夫だと思うが」

「では、こちらでなにか見繕いましょう」


部下の面々を思い出し、苦笑する。呪い姫から何かもらったとなったら大騒ぎしそうではある。反応が楽しみだ。


「ジルクリフ様?」


部下たちの様子を思い描き、少し愉快な気持ちになったとき、背後から声をかけられた。

年若い女のものだったが、聞きなれた声に思わず舌打ちしそうになるのをこらえ、振り返った。そこには想像通りの人物が立っていた。

若草色の華美なドレスに身を包んだ二十歳ほどの女性———ミリアーネと、侍女、そのやや後ろに下男が控えている。

街に出るにはやや派手すぎるドレスは彼女の容姿をさらにけばけばしく引き立てていた。

金色の巻き毛を揺らし青い瞳を眇めてミリアーネが駆け寄ってくる。


「やはり、ジルクリフ様でしたのね。このような街中で会えるだなんて、奇遇ですわ」


気色ばんだ声と、ねっとりとした視線に軽い吐き気をもよおす。

だが、何とか唾を飲み込んで固い声で答えた。


「今日は妻とでかけておりまして」

「つ、ま…? ああ、ご結婚された――っ!!?」


横にいるだろう妻に視線を向け、ようやく彼女は猫の被り物に気が付いたようだ。どれだけ、ジルクリフに注目していたのだろう、と不思議になるほどの変わりようだった。

侍女も下男も彼女の傍に立っていた二人は早々に気が付き、声も出なかったというのに。


ミリアーネの蒼白な顔を見て、心の中で喝采を叫んだ。

猫娘も大いに役に立つ!


アイリシアを嫁にして心の底から喜んだ瞬間だった。

ミリアーネは公爵の娘で、昔から何かとまとわりついてきた女だ。年は5つ離れているので学園で同じ時期を過ごしたことはないが、夜会や式典ではよく顔を合わせている。彼女の父親も相手が公爵家三男であることに乗り気らしく、早々に結婚の話を持ち出され、断っている。だが、何度断っても機会を見ては勧めてくる。


正直その根性は感心してしまうが、なにより娘と父親の瞳に浮かぶのは権力と金に対する欲望だけだ。ミリアーネに至っては、そこに彼女自身への愛情と自信がある。これだけ美しいのだから、男なら誰でもいうことをきかせられるだろうという絶対の自信だ。


それが早々に断られたため、自尊心をいたく傷つけられた彼女は散々つきまとってくるようになったのだ。

ジルクリフに少しでも近づいてくる女性を手あたり次第にいじめているとも噂で聞いているが、その実態を見たことはないため注意することも難しい。

自分にとっては腐れ縁の忌まわしい存在ではあるのだが。

言葉の出ない彼女に、ジルクリフは初めてにこりと微笑むことができた。


「新婚なもので…これで失礼しますね」


存外に邪魔をするなとの意味を込めてアイリシアの腰に手をまわし、ゆったりとその場を去る。

いつもは強引でしつこい彼女もさすがに追ってくる勇気はないようだった。


「よ、よろしいのですか…?」


なぜか震えているようなアイリシアの声に、気のせいかと首を傾げつつ晴れやかな笑顔を向ける。


「ああ、いいんだ。それより、ちょっと露店でも見て回ろうか」


商業区域の大通りは大きな店舗を構えた店が立ち並んでいるが、一本細い道に入れば露天商たちが店を広げている。

生活雑貨や宝石などのアクセサリー、剣や骨とう品など、売り物も様々だ。

二人で露天商の買い物客に紛れると、アイリシアの細い腰から手を離した。

明らかにほっとした息を吐いている少女の気配に、ジルクリフは苦笑する。奇抜な頭のせいで忘れてしまうが、彼女はまだ16歳なのだ。初心な猫娘というのもなんだか奇妙な気もするが。

だが彼女はすぐに周囲の様子を気にし始めた。猫の頭が右に左にぐりんぐりんと回っている。


視界が狭いんだろうな…


猫の顔のどこに覗き穴があるのかはわからないが、動きを見ているとほぼ正面しか見えていないようだ。それもごく一部だろう。

慣れた生活圏は活動できるが、見知らぬ場所での動きはものすごく制限されるだろう。通りを行く人は猫の頭に驚いて勝手に飛びのいてくれるので人にぶつかることはないが、店先においてある箱などには躓いてしまっている。

そっと息を吐くと、アイリシアの手を取った。


「旦那さまっ?!」


ひっくり返った声をあげた少女に、腰ではないのだから許してほしいとの意味を込めて道端を顎で示す。


「危なっかしくて見てられないな。ほら、こっちにこい、そこには水がめがあるから」

「すみません、ありがとうございます」

「たいしたことじゃない。何か欲しいものでもあったか?」

「ええと、あそこのお店はなんですか?」


アイリシアは慌てたようにやや前方の右手の露天商を空いたほうの手で指している。そこには蹄鉄がずらりと並べられていた。

いろいろな色に塗られたものがあるのは観光用だろうか。


「ああ、蹄鉄か。馬の蹄を守るためにつけるものなんだが、幸運のお守りとしても有名だ。色によっていろんな意味があるんだが―――」

「あの、安産祈願とかもありますか?」


ん、安産??

自分たちはまだナニモしてないけど? というか手をつなぐだけでも驚いていたアナタが?

必要があるのか??


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