第12話 淡い光に包まれて
「あっははは、それでお前、逃げ出してきたのか」
執務机の前で笑い転げている悪友を、ジルクリフは目を細めて見つめている。
今日は青銅隊の面々に妻を紹介する日だが、その途中で国王に呼ばれてしまい、妻を青銅隊の控室に残して執務室に顔を出している。
部下たちのすがるような視線を振り切ってこちらに向かうのは、若干の優越感を伴う。
こんなところに呪い姫をおいていくな、という無言の訴えを無視するのだから。
なんせ、昨日は一日、家中の者から非難の視線を向けられていたのだ。
新妻を放っておくなという無言の圧力がすごかった。
猫の被り物を被った呪い娘だぞ、と声を大きく反論したかったところだが、あいにくとそんな優しい空気にはならなかった。
居心地の悪さといったらない。
それが、一転すがられる立場にかわったのだから浮かれても仕方がないとも思う。
だが、目の前で国王に大笑いされると面白くない。
昨日一日の報告をしろと言われたから状況を説明しただけだ。王都に買い物に出たこと、周囲の反応。そして両親や家の者の態度の急変など、だ。
何が何だかよくわからない心境でいるのに、笑われるだけとは…。
「別に家から逃げ出してきたわけでは…彼女を青銅隊に連れてくるのが約束でしたから」
彼女のあずかり知らぬところで起きた揉め事だが、白銅隊の隊長は青銅隊の部下にしっかりと事情を説明させたうえで彼女に謝ってほしいと言っていたのだ。
なので、今日は部下と彼女の顔合わせが本題なので、自分は付き添い扱いだ。
彼女だけを置いてきたのは、部下たちへのささやかな嫌がらせだが。
目の端に涙まで浮かべて笑い転げていたグリナッシュは、しみじみとつぶやいた。
「さすがだなぁ…」
「なんです?」
「いや、こちらの話だ」
何かを思い出してニヤニヤしていた彼に、昨日から不思議に思っていたことを思わずぶつけてしまう。
「あの、俺の妻って生きていますよね……?」
化け物だったり実は死人だったりするのだろうか?
楽しげに喉の奥で笑っていた国王が、一転胡乱な目を向けてきた。
「なんで、そんな馬鹿なことを思ったんだ?」
「いや、彼女、まったく食事を摂らなくて。というか、食べてるところを見たことがないので…」
人間と同じものが食べられないとか、特殊な食嗜好があるのだろうか。
まあ、一番気になっているのは彼女の姿はきちんと猫頭に見えているのかどうかが知りたいのだが。
もしかして自分にだけしか猫の頭に見えていないのだろうか。
だからみんな彼女を天使などと言って味方になるのか?
「ああ、食事か。まあ、あんな恰好なら食事をするのは難しいかもな。放っておけばてきとうに食べているだろう」
「ああ、そうなんですか」
グリナッシュは大きな問題ではないと首を傾げただけだった。物を食べている姿など想像できないが、頭の隙間から差し込むとか、どこかに小さなあけ口がついていてそこから食べられるとかだろうか。
しかし、彼にはきちんと猫の被り物は見えているようだ。少しがっかりした。
「それより、昨日出かけて彼女の好きなものはわかったか?」
「好きなもの、というか…彼女は子供がほしいようです」
「……お前、淡泊そうだが実はケダモノだったのか?」
途端に、表情を消した幼馴染みに、思わず怒鳴ってしまう。
「だから、あの妻とどうこうなる趣味はありませんよっ」
ひどい誤解だ。特殊な性癖は持ち合わせていないと何度言ったらわかるのだろうか。
「彼女が市場で買ったのは安産祈願の蹄鉄です。嬉しそうに抱えていましたよ。あとは家の者たちへお土産に果物を買ったくらいです。特に行きたい場所や欲しいものがある様子はありませんでしたね」
「なるほど」
驚きもなくうなずいているグリナッシュを見て、王妃と友人関係を作っている妻を思った。
「陛下も妻と知り合いですか」
「まあ、リンがあんなになついている人間は珍しいからな。よく話題にはなるし、茶会に招く回数も多いから顔を合わせることくらいある」
国王に直接聞いたことはないが、彼は年の離れた妻をとても大切にしている。言葉の端々から気遣いが感じられる。
ただ、時折聞く話から察するに、王妃はかなりの人見知りであるようだ。
王妃なのにそれで務まるのかとは思うが、今のところ特に大きな問題にはなってはいない。
国王が囲っている王妃を批難できるほど彼の治世は荒れてはおらず、またその必要も見受けられないからだろう。
世継ぎを、との声は多少上がるが、それも彼女の年齢を考えれば十分待てる。国王が斃れても、嫁いだ彼の姉の子供が代わりを務めるくらいには政治は安定している。
ふと、年の差については、自分も同じだということに今更気が付いた。
昔、彼の年の差婚をからかった報復だろうか。
「だから彼女を私の妻にしたのですか?」
「一番の理由は別だが。彼女の性格はお前にとって好ましいとは思ったよ」
にやにやとした笑顔を向けられて、見透かされたような気がした。
憮然とした顔をすれば、彼はますます面白がったようだ。
「いい加減、認めればいいだろうに。これだから愛されたい願望の強い末っ子は困るな」
「なんの話かは分かりかねます。ところで、アルドはどちらに?」
部屋には本日、国王付きの近衛である部下のアーバンしかいない。
「ああ、あいつはいつもの準備で呼ばれているだけだ。馬術大会が近いだろう? 今年もお前は騎馬戦だけに出場か」
「速駆けにはでたいんですが、止められていますしね」
「お前が出たら賭けにならんからな」
馬術大会は騎士たちの士気を上げるためと、日ごろの鍛錬の成果を発揮できる場だ。
種目がそれぞれ速駆け、流鏑馬、騎馬戦の団体と個人がありトーナメントで勝ち上がる。
速駆けは馬に乗ってコースを周回するのだが、俺はそこで4年連続1位をとったので殿堂入りとなってしまったのだ。
流鏑馬は走る馬に乗って標的の的に弓を射る競技で、騎馬戦の団体は鎧を着こんだ騎士が三人戦車に乗って相手と戦う競技となる。
中でも花形は騎馬戦の個人で、鎧を着こんで馬にまたがった者が馬上で盾を構え槍を交える様は特に白熱する。
非公式ではあるが、毎年賭けも行われている。国王も黙認しつつ、賭けに興じているためわりと盛況だ。一般の平民にも見学を開放しているため、当日は馬場がかなりの賑わいを見せる。
今のところ、ジルクリフは騎馬戦の個人で2回優勝しているが、好敵手がいるため、なかなか連続で勝つことは難しい。
速駆けに出れば、愛馬のサバッタンと共に並み居る軍馬を蹴散らせ優勝する自信はあるのだが。
賭けが成立しないと国王に怒られ、出場を禁止されてしまったのだ。
「今年はどちらが勝つんだろうな、ヘンリックスの意気込みはすごいぞ」
赤銅隊の隊長である男の名前を出され、思わず顔をしかめてしまう。
暑苦しい男で、縦にも横にも幅のある体は視界に映るだけで煩わしい。
騎馬戦の個人の優勝候補でもあり、同じ隊長職にあるので日常生活でも妙に張り合ってくる。
王宮で顔を合わせたら、たいていは部下を巻き込んでの騒動に発展するくらいには仲が悪い。
ちなみに牛に似ている顔立ちと侯爵家の次男であることから、家柄と顔はジルクリフのほうが圧倒的勝利ではある。
赤銅隊が王宮であまり人気がないのも隊長の資質によるものだと思っているが、本人に告げたことはない。気が引けるくらいには、自分のほうが絶対的有利な立場だからだろう。
しかしそれは今までの話だ。
あの呪いの猫娘と結婚すると知ったとたん、ヤツは急に大きな顔をしだして憐れんできたのだ。
呪いが移るから婚礼後は王宮に顔を出すのもいかがなものか、とまで言われた。
この一か月のヤツの助長ぶりは目に余るものがある。
さすがに我慢の限界だ。
まあベンエルに言わせればそれほど我慢しているようには見えないとのことだが。しょっちゅう赤銅隊と揉め事を起こし尻ぬぐいさせているのだから。
「今年は完膚なきまでに叩きのめしてやりますよ」
公式でヤツに仕返しできるチャンスを逃すはずもない。
「ほどほどにしておけよ…」
煽ったくせに、グリナッシュは肩をすくめてやれやれと息を吐いたのだった。
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