第6話 見慣れない仮面の下では

ジルクリフは寝着に着替えて夫婦の寝室の扉の前に立っていた。


本館の一階の奥には両親の部屋がある。

ここは本館の建物の左翼部分の2階だ。

実家暮らしの三男が花嫁を迎えるにあたり、本館の左翼の二階部分を三男に譲ると両親が決めたからだ。


そもそも結婚後には爵位を賜る予定なので別に屋敷を構えてもいいのだが、あの猫娘と二人きりの生活にジルクリフは戦慄し、実家暮らしを継続させてもらえるように頼んだ。両親は気にした風もなく了承し、本館の一部を改築してくれた。


ひと月の工事にしては、内装が丁寧だ。寝室と風呂と居間を改装して作ったのだが、居心地のよい空間になっていた。

最初に聞いた職人たちは悲鳴をあげていたそうだが。終わった後は、血の涙を流して仲間たちと喜んでいたらしい。

そんな裏事情を新妻が知るはずもなく。彼女は夫婦共同の風呂に入って、今では二人の寝室でくつろいでいるとのことだった。

彼女につけた侍女からの報告には、ただうなずくことしかできない。


祝宴は彼女が退室して早々にお開きになった。過去に例を見ない盛り下がった席だっただろう。最後まで楽しそうだったファン=ベルケン夫妻が心の底から羨ましい。彼らを勇者として讃えてもいい。


ジルクリフは深呼吸すると、そっと扉を開いた。

寝室の中央に夫婦のベッドが置かれている。その隅にちょこんと腰かける彼女がいた。

サイドテーブルのランプの光がぼんやりと彼女を照らしている。壁に映った巨大な猫の頭の影がさらに化け物じみた大きさで揺れていた。


ぎゃーー怖いーーっ


ジルクリフは基本的にお化けとか幽霊だとかを信じていない。だから怖くはない。近衛のメンバーで王宮肝試しを開催した時だって部下を怖がらせて楽しんだだけで、全く平気だったのだから。


生きた人間のほうがよほど怖いと思っていた。だが、彼女は別だ。


自分の中で彼女の位置づけは人というより得体のしれないお化け寄りだ。だが、心底、怖い。陛下の言葉通り彼女に嫌悪感は全く抱かないが、だからと言ってこの恐怖心をどうすることもできない。


「旦那さま…?」


物音に気が付いて、ぐりんと猫の頭が振り向いた。

彼女は立ち上がって近寄ってこようとする。それをジルクリフは慌てて無言で制した。

そして、できるだけゆっくりと部屋に入るとベッドの近くで立ったままこちらの様子を窺っている彼女の傍に歩いていく。


「ええと、ふつつか者ですが、末永く可愛がってください」


彼女はややうつむきがちにつぶやいた。おかげで、猫の顔がより近づいた。離れるわけにもいかず、泣きたい気持ちを抱えたままジルクリフはただ立ち尽くした。


「旦那さま…?」

「ああ、こちらこそよろしく…」

「お疲れですか?」

「ああ…いや…、あの、君も疲れただろう?」

「いえ、私は大丈夫です、から」


彼女は体の前で手をもじもじとさせている。ガウンの下は寝着なのだろうか。どこか寒そうな様子に、ジルクリフは慌てて彼女に夜着をかける。

そのまま、彼女の手を引いてベッドの端に二人で腰かけた。


猫の金翠の瞳が、ランプの光を受けてきらりと光る。無機質なガラス玉だと思っていたが、宝石をちりばめたかのように輝いている。

本当に金がかかった代物だ。

金持ちの道楽はよくわからない。いや、公爵家という括りでは同じ範疇に入るのだろうが。


ファン=ベルケン公爵は陶器に夢中なようだった。彼女は被り物のディテールに夢中なのだろうか。呪いだから仕方がないのだろうが、頭はこれ一つだけなのか、どれくらいの金がかかっているのか、なぜ猫なのか。


妻となった少女との初めての夜にベッドで腰かけているこの状況で思い浮かぶのは、作り物の頭のことばかりだ。

こんな状況で床入りなんてできるわけないだろう?!


「ありがとうございます」

「え?」


軽い混乱状態にあったジルクリフに、彼女の言葉は意味がわからなかった。

いぶかしげに問い返すと、彼女は夜着を軽くつまんでみせた。

先ほど寒そうだと思って彼女にかけたものだ。


「ああ、いや、大したことじゃない…」


答えつつ、ひどく緊張していることにとまどう。

貴族の子弟が集まる学園に通って、そこそこ夜会に参加していれば、それなりの社交術は身につく。女性と話すのも慣れたものだ。


とくにアルドが近寄りがたい雰囲気を醸し出しているので、グリナッシュも含めて三人でいるときに話しかけられるのはいつもジルクリフだった。

だが、こんなに緊張したことはない。

なぜだろうと思って、目が見られないからだと思いいたった。


ジルクリフは昔から馬に囲まれて育ってきた。ベルツ=ファーレン公爵領は軍馬の名産地だ。質のよい馬を育てるすべを受け継ぎ、いくつもの戦で成果を上げている。

自分にとっては立派な家族だ。そして、彼らのつぶらな瞳はいつも愛情と信頼を映していた。

その視線に囲まれ応えるのは、居心地がよかった。


一方で貴族たちとの交流は居心地の悪いものだった。

彼または彼女が浮かべるのは、打算と嫉妬と羨望。時に嫌悪だったりする。愛情なんてものは時折、そこに淡くあるかないかだ。

家柄、容姿、財力、そして出世。何もかもが約束されている者への周囲の反応は簡単に想像できた。


だが、公爵家の三男で、家族に甘やかされてきたジルクリフには世間の視線はとても気持ちの悪いものだった。

しゃべれぬ動物と長年一緒にいた影響で観察力と洞察力が優れていたのだろう。感情が透けてみえるのもよくなかった。

結果として、幼馴染みからは人間不信と言われ、部下からは馬バカと言われるまでになった。


相手の目をみれば、おおよその人柄がわかる。思惑も、自分に向けられる感情も。

けれど、彼女の瞳は巨大な被り物のせいでわからない。

声と雰囲気で様子を探るだけだ。

だから、緊張するのだろう。神経を使うともいう。彼女の行動一つ一つに、注意を向けてしまう。だから、一緒にいるとひどく疲れるし恐怖を感じるのか。


「すまないが、明日も仕事なんだ。しばらく忙しくて休みがない」


両親はいるが、明日から彼女はこの屋敷で一人になる。

暇になるかもしれない。


「家の中は自由にしてくれていい。ああ、一階の奥は両親の部屋があるから、そこ以外ならどこにいてもいいから。案内を誰かに頼んでおこう」

「わかりました」

「じゃあ、おやすみ」


ジルクリフは立ち上がって夫婦の寝室の続き部屋となる俺の自室の扉へと向かう。

そこは改装される前からの自分の部屋だった。もちろんベッドもある。


「おやすみなさいませ」


彼女の声がやや淋し気に聞こえたのは、気のせいだと思いたい。

ジルクリフは振り向きもせず、そのまま寝室を立ち去った。




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