第5話 笛吹き謳う人たちの
完全に国王陛下に囲いこまれ、逃げ場をなくしたジルクリフは結局、彼のいうとおり諦めるしかなかった。
往生際悪く、結婚式当日にやはり彼の仕掛けた盛大ないたずらである可能性を捨てきれなかったが。
その夢も結婚式を迎え、大司祭に祝福されてしまって崩れて壊れた。
結果、燃え尽きた炭のような気分で終えた結婚式は多少の騒動はあったものの、呆気なく終わった。
そのあとの王都にあるベルツ=ファーレン公爵家に移った祝宴のほうがひどかった。
何人かは気分が悪いと言って欠席になった。参加した者たちは一様に口が重い。
まるで葬式のようだった。
ちなみに諸悪の根源たるグリナッシュは式だけの参加で早々に王宮へ戻っている。宰相のアルドが執務室で待っているからだろう。
仕事人間ではあるので、これからやり残した書類の片づけだと思われる。
ジルクリフとしては、この結婚式が国王の悪ふざけではないかといつまでも疑っていたせいで、まったく現実味がない。
ただ、状況が移ろっていくことに身を任せるだけだ。
怖いのは、何の反応もせずに無言で座っている猫少女、もとい自分の嫁である。
本日の祝宴の主役なのでホールの一段高い中央に並んで座っている。祝いの席に来た招待客を見渡せる位置となる。
作り物の猫の目は瞬きができないらしい。ただじっと一点を見つめている。どこを見ているのかまでは定かではないが、頭が全く動かないのだ。
それがものすごく怖い。
口は糸で縫い付けてあるのだから、目の前に並ぶ料理の数々も食べられないのだろう。手をつけられることはなく、彼女の前に放置されている。
時折、勇気のある者が挨拶に来るが一言、二言で戻ってしまう。会話がまったく弾まない。ジルクリフの両親も親族もただ事の成り行きを静かに見守っている。長兄は領地を離れられず今回は参加できなかったが、王都に別の屋敷を構えている次兄夫婦は両親の横に座っている。
何度ももの言いたげな視線を寄こしているが、自分ですらも今の感情を明確に言葉にはできないため、気づかないふりを決め込んでいる。
両親は初めてみた自分たちの義理の娘の姿をどう思ったのだろうか。気がかりではある。散々、結婚相手に揉めていた三男が、ようやく相手を決めたのだ。最後は平民でもいいから誰か連れてこいと言われていたほどである。
そもそも三男に、そこまで結婚を強要することもないはずだ。本来であれば。爵位は長兄が継ぐ予定で、次男は侯爵家に婿養子に入っている。
三男など家の財産を少し渡して好き勝手生きても世間的にはあまり問題視されない。騎士という職にも就いているので、どちらかといえば肯定的なほうだ。問題があるどころか、貴族のたいていの次男、三男はそんなものだ。
しかし公爵家は国で担うべき重要な仕事を与えられているので、補佐するのは家族の役目となる。ベルツ=ファーレン公爵家は軍馬を輩出しているので、一族は牧場関係者だ。人手は今のところ足りてはいる。だからこそ、ジルクリフは騎士をやっているし次男は婿に行けた。
ただ、それ以外にも広大な領地経営や牧場関連に付随する事業などは多岐にわたる。その一部でもいいからジルクリフが結婚し、伯爵などの地位につけて管理してほしいと親は昔から言っていた。
次兄にも同じことを言っていたが、あいにくと彼は婿に行ってしまったので、両親の期待は一心に自分に注がれたわけだ。公爵家など、どこも似たようなものだろう。
また、生き物を共同で育てているという集団意識が強く、一族の結束は固い。
特に結婚に対する思い入れも強く、皆、結婚ひいては家族はいいものだと妄信している。
ジルクリフとしても家族には感謝しているし、別に嫌っているわけではない。ただ、見知らぬ他人を連れて来られても嫌悪しかないだけだ。かといって顔見知りや知人を恋人にしようという気概もない。
要するに、恋愛も結婚も自分の人生にとって、そこまで価値のあるものだと思えない。そちら方面にまったく興味を示さない三男に親族一同はやきもきしていたようだ。その筆頭である両親は、とにかく身分問わず、人間でありさえすれば年齢ですら乗り越えると、老婆や幼女趣味まで受け入れると明言した。
はっきりと言っておくが、ジルクリフにそんな趣味はまったくない。問い詰めてきた二人にも真っ青な顔で必死に説得した記憶は今でもおぞましく、背筋が震える。だがあまりに必死に否定したため、むしろ本気にされたのはツライ思い出だ。
そんな両親もまさか、猫の被り物を被った娘が現れるとは思わなかったはずだが。
そこまで言ってしまった手前、反対することもできず様子を窺っているのだろう。
そんな静かで重い空気の中、ただファン=ベルケン公爵夫妻だけはにこやかに料理を平らげていた。ソースは何だの隠し味はどうだのとうちの給仕係を捕まえて楽しそうだ。
できるならば、その輪に混ざりたい。
ぼんやりとそんなことを考えていると、突然茶色の頭がぐりんとこっちを向いた。
やめて、怖いっ!!
突然、動かれると本当に驚く。思わず傍らに置いてある儀式用の飾り剣をつかんで曲者っと成敗したくなってしまう。
いや、結婚式の直後の祝宴の席で妻になったばかりの少女を切り捨てるなんてどんな夫なんだ。
狂っているとしか思えない。
ジルクリフは必死で心を落ち着かせながら、できるだけ動揺を悟られないように声をかけた。
「どうした?」
「召し上がられないのですか?」
先ほどからジルクリフの前の食事が減っていないことに気が付いたのだろう、アイリシアがか細い声で問いかけてきた。
「ああ、なんだか気持ちがいっぱいで…」
心の余裕がないとお腹も空かないらしい。式の前に軽く食べた軽食が最後だというのに、腹はまったく不満な声をあげてはいない。
「…わかります」
え、わかるの?!
ジルクリフは妻の言葉に若干引いた。
だが、彼女の言葉は嬉しそうに聞こえた。自分のように緊張や状況の異常さからくる余裕のなさは微塵も感じられないのだが。
「そろそろお時間でございます」
彼女が家から連れてきた傍付きの侍女がそっとアイリシアに声をかけた。花嫁は早めに退席する。
そして夜に向けての支度を始めるのだ。
ジルクリフは隣の気配がなくなってほっと息を吐いたが、その事実に気が付いて愕然とした。
これから、花嫁との初めての夜がやってくるのだ。
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