第2話 君の心は
そもそものことの起こりは、悪友でもあるエルジアス王国国王の一言から始まった。
春の穏やかな陽光さす王宮の執務室で、国王グリナッシュ=ラファ=エルジアスはペンを走らせていた手をいったん、休めた。
「そういえば、お前の結婚相手を決めたんだったな」
隣の国で鳥に当たって男が死んだらしいぞ~みたいな軽い口調だった。そして言葉の意味の分からなさも同様だ。
青銅色の平時の近衛服に身を包み傍らに控えて壁際に佇んでいたジルクリフは、国王の金色の髪をぼんやりと眺めた。
彼は、書類を眺めながら沈黙している。秀麗とは言わないが、わりと整った精悍な顔立ちは意志の強い男らしさに溢れている。
黙しながら書類を眺めているとより一層、その印象が際立った。
無骨な黒檀の政務机はピカピカに磨かれているが、その表面は書類にほとんど隠され、今は拝めない。そんな書類に囲まれた男がつぶやいた言葉はきっと自分に向けられたものではないのだろう。
聞き間違えたのか、もしくは一人言かと聞き流そうとした瞬間、グリナッシュの横で書類を整理していた細身の男が口を開いた。
金茶色の髪にハシバミ色の瞳をした男はこの国の宰相であり、幼馴染みでもある。
3つ年上の彼は、アルド=グン=サルト。グン=サルト公爵家の長男だ。三人の中では一番の良識人であり、面倒見役でもある。
神経質そうな顔立ちをしかめている様は、常に周囲に多大な威圧感を与えている。彫像のように彫りの深い整った容姿や細い体つきなどから鋭い印象を与える彼の存在自体がものすごい圧力なのだ。
ちなみに昔からよく三人でつるんでいたが、それぞれに整った容姿とそれなりの地位にいたため紳士淑女の間では評判が高かった。
一部では三位一体の建国神にも喩えられているほどだ。豊穣の国王、知略の宰相、武力の近衛騎士隊長といったところだろうか。
そんな宰相は今朝から機嫌が悪かったらしくジルクリフが執務室に入ってきたときからひどいしかめつらをしていた。しかし、さっきの国王の一言でさらに落ちたらしい。
地の底から響くような重低音が耳に届く。
「バカが、軽く聞き流していると大変な目にあうぞ…」
「もう決まっているから苦情は受け入れん!」
そんな冬将軍の横で、楽しげにグリナッシュは笑っている。笑うと彼の表情は一変して親しみやすい雰囲気になる。そこが可愛いと宮中の噂であるが、アルドに言わせれば人を食った悪い笑みだ。
書類から顔を上げ、胸を張っている姿は、愛馬のサバッタンが馬術大会の速駆けのレースで優勝した時と同じ瞳をしている。
すごいでしょ、褒めて!という顔だ。
え、この冷気を自分一人でどうしろと?
窓の外はあれほど明るいのに、どうしてここはこんなに寒いんだ。
空色の瞳を細めご機嫌そうな主と、ハシバミ色の瞳を吊り上げた宰相の間で、ジルクリフは軽くため息を吐いた。
末っ子気質が憎らしい。空気を読んで、場をなんとかしようと思ってしまう…。
ぼんやりした頭を切り替えて、グリナッシュの言葉を吟味した。
「結婚相手、ですか?」
この場合、自分の、ということだろう。お前の結婚相手と言われたことだし。
ジルクリフの結婚相手になろうと数多の見合い話が舞い込んできたのも遠い昔だ。なんせ家柄よしの三男坊で、顔もよく、国王付きの近衛騎士の隊長とくれば言ううことなしだろう。優良物件の筆頭だ。
だが、ここ1年ほどは、ひっそりとしていたというのに、なぜ今更そんな話があがるのか。
政略的な見合いをことごとく潰してきたはずだ。まだ残っている家があるとは思えない。
「相手はファン=ベルケン公爵令嬢だ」
「ファン=ベルケン公爵?」
「知らんのか? イノシシの特攻公爵だぞ」
アルドが鼻を鳴らした。馬バカであるジルクリフでもさすがにほかの公爵家の情報くらいは知っている。
ファン=ベルケン公爵領は王都の北西側に位置する。山寄りの風光明媚な観光地だ。
広大な森林といくつもの湖沼が広がり、材木や毛皮などでかなり儲けている。
40歳くらいの年齢で、いつも穏やかに微笑んでいる上品な男だが、彼は周囲からイノシシ公爵と呼ばれている。
そこに悪意はない。ある意味、誉め言葉だ。ただし、取り扱いには注意が必要だとの警告を込めたものでもある。
彼は一度火が付いたら止まらないのだ。周りをなぎ倒し突き進んでいく。
有名な話がある。
国の行く末についての重大な会議中に、公爵のもとに身重の妻が転んでケガを負ったとの知らせが届いた。緊急会議にどうやって知らせたのか未だに謎なのだが、公爵は部屋を飛び出そうとした。
その行動に気が付いた会議出席者は彼をもちろん止めた。国の行く末がかかっているのだ、しかも急を要する案件でもある。なんせ大国である隣国との戦争をいかにして回避するかという重要な議案だったのだから。
会議を見守っていた近衛騎士も同様に公爵を押しとどめた。
必死の攻防に、しかし彼はその手を振りほどき王都の屋敷へと駆け込んだのだ。
中肉中背の優男に、どこにそんな力があるのかと誰もが疑ったほどだ。そのほかにも、長雨で川が増水した際に、決壊を体で防いだだの、さらわれた娘を悪漢から救い出しただのと数々の逸話がある。
伝説の騎士か、それとも英雄か?!
そんなツッコミを入れてしまうほどの華々しい活躍っぷりだ。
「いや、イノシシ公爵は知っていますよ。ですが、彼は家族や領民を溺愛しているでしょう。政略結婚に娘を差し出すとは思えなくて…」
ジルクリフの家であるベルツ=ファーレン公爵家は、良い軍馬を輩出する。その関係から騎士になる者も多く、王族に近い位置にある。長兄は王都の南東にある領地経営に忙しくほとんど中央には顔を出さないが、父親も次兄も騎士だ。
対してファン=ベルケン公爵は王都の屋敷と領地からほとんどでてこない。国王の呼び出しには応じるが、必要最低限にしか王宮に出向かないのだ。夜会や貴族たちの狩猟会などにはほとんどといっていいほど参加しない。
野心とは無縁の男であることは周知の事実だ。
そして、彼の家族も王宮に出てこないので情報は皆無に等しい。かろうじて娘と息子がいるとわかっているくらいだろう。
そういえば昨年あたりに彼の息子が王都の学園に入学してちょっとした騒ぎになったと部下から聞いたような気もするが、興味もないので詳細は知らない。
「だから私は反対したんだ…っ」
ギロリと国王を睨みながら、アルドが吐き捨てた。
政略結婚じゃないから反対したとは、どういうことだろう。
他に何かこの結婚の要因があるのだろうか。
「苦情は聞き入れんと言ってるだろう。そもそも当の本人がケロリとしているんだから、部外者が口をはさむのは野暮だぞ」
のほほんとグリナッシュが答えると、烈火のごとくアルドが噛みついた。
「コイツは何も考えてないだけだっ」
ジルクリフは言い争う二人をただ眺めるしかない。どうやら、自分のことで揉めてるようだが、なぜ言い争うのかは謎だ。
「話はついてるから、今からお前、ファン=ベルケン公爵家に挨拶してこい。仕方がないから公務ってことにしといてやるよ」
「は?」
「あ、代わりの騎士の手配はしとけよ。俺の警護が手薄になるのはマズイからな」
にこやかに笑って、グリナッシュはジルクリフを部屋から追い出した。
一度言い出したら彼は全く聞く耳をもたない。彼の言葉はすべて命令だと思ったほうが賢明だ。
仕方なく、ジルクリフは執務室を後にする。相手の家に行けば、どこかで断る口実が見つかるかもしれない。そうすれば、国王に反論できる言葉も見つかるだろう。
扉が閉まる前に、「そうだ、外すなよ、死ぬからな」国王からの不思議な忠告が聞こえたが、深くも考えずに交代要員を探しに向かってしまった。
この時もっと国王を問い詰めていれば、もしくは、アルドの不機嫌の理由を聞いていればよかった。
そうすれば、事態はもう少し好転していたかもしれない。
どうあがいたところで無駄に終わったかもしれないが。
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