妻が猫を被るワケ~近衛騎士隊長の結婚バラッド

マルコフ。

被り物編

第1話 青白く細い光

ジルクリフ=ベルツ=ファーレンは、この度、結婚することとなった。


エルジアス王国で五つしかない公爵家の三男である彼の結婚式は王都の大聖堂で行われる。観光名所の一つとして挙げられる秀麗で荘厳な建物の中央、大きな祭壇の前で今まさに花嫁を待っているところだ。


横には本日の式をとりもつ大司祭がいるが、彼の胸中はいかばかりか。


ジルクリフとしては、目の前の光景は現実なのだと伝えてあげたい。もちろん、親切心だ。

決して、仲間が欲しいとか、俺の境遇に同情して欲しいとか、助けて欲しいとか思っていない。

いや、助けて欲しいのは助けて欲しいかもしれない。


正直にいえば、助けて欲しい。切実に。


どうしたら、この現実から逃げ出せるのか。神様の御業でもって、適切な助言をいただきたいものだ。


視線を憐れな大司祭から正面に向ければ祭壇からまっすぐに伸びる赤い絨毯の上を、しずしずと進む花嫁とその父の姿が映る。


花嫁の家格も公爵だ。ゆえに、花嫁衣装はやや離れた位置にいる俺にも高価なものだとわかる。なんせ、山裾に広がる王国で海から離れているにもかかわらず、ドレスにふんだんに縫い付けてあるのは真珠だ。

高い位置にはめられた窓から差し込む無数の陽光を受け、彼女が動くたびにキラキラとまぶしい。

馬に囲まれて育った俺には光沢を放つ生地の良し悪しまではわからないが、あのドレスがどれほどの価値があるのかくらいは十分にわかる。そして、彼らのこの結婚に対する意気込みも。


だからこそ冗談ではなかったのか、と思わざるを得ない。

心のどこかでこの結婚式が国王の悪ふざけで、今日を迎えれば陛下から芝居の終わりを告げられると思っていた。だが彼は、花婿の衣装に身を包んだ俺に挨拶に来た時も列席者の最前列で座っている今ですら、ニヤニヤと楽し気に笑っているだけだ。


幼馴染みでもある彼との付き合いはほとんど年齢と一緒だと言っても過言ではない。25年間彼と付き合ってきたのだ、彼の思惑を察することは容易い。

そもそもこの結婚を命じたのは彼なのだ。あれほど楽し気に笑っているのに、白紙に戻るとは思えない。

彼はこの結婚を心の底から喜んでいるのだろう、愉快な出来事として。


もう何度ついたかわからないため息をそっと吐く。

そして視線を国王から後ろに向ける。


絨毯を挟んで左右には参列者が並んでいる。親族や付き合いのあるほかの貴族、職場仲間の騎士たちだ。花嫁の参列者も同様だろう。


ジルクリフは国外から嫁いだ母を持つため、この国では珍しい黒髪をしている。瞳の色は夕暮れ頃の紫紺色だ。父が母に会って一目ぼれし、熱烈に求愛したほどに美しい母に似た俺の容姿は語るまでもなく整っている。

夜会や式典などで俺の容姿を知っている者たちがほとんどだから驚きをもって見つめられることは少ないが、どこの場に出てもそれなりの注目を集めてはいた。

だが、今、花婿に向けられる視線は一つもない。


その参列者たちは、花嫁が自分たちの横を通るとぎょっとし、通り過ぎるとある一点を見つめている。


花嫁のベールに包まれた顔だ。顔というか、頭というか。


花嫁は16歳。俺よりも9歳も年下で体つきをみれば小柄だ。

毎日、大柄な騎士を見ているから、なおさら線が細く儚げにみえる。花嫁衣装に身を包んでいるとはいえ、腕も腰もとても細い。男の中でも大柄な俺と並べばその差異はますます引き立つだろう。

ただし、体だけの話だ。


実際の彼女の身長は体つきから推測するしかない。まあ、どれほど顔が大きくてもあそこまではないだろう。


ジルクリフは中央に視線を戻し、すでに数歩の距離まで近づいて立ち止まった彼女と父親を見やった。

自分の表情も参列者と変わらないかもしれない。

怒っていいのか、笑っていいのか、それとも粛々と式が進むのを待つべきなのか。雑多な感情の渦を腹のうちに収め、困惑というわかりやすい仮面で覆う。無駄な努力はするべきではないし、諦めはいいほうだ。


父親の手から離れた白い小さな手をかわりに握る。その手は温かく、思いのほか心地よくもある。

剣だこだらけで日に焼けた無骨な己の手と比べても、柔らかく優しい手だった。


そうして二人で祭壇の前に並ぶ。


大司祭の視線が自分と彼女の間をさまよって、結局ジルクリルへと定まった。

その目は、このまま進めてもいいのか、と念を押しているように見える。

老齢の大司祭の心を騒がせてしまった罪悪感はあるものの、ジルクリフだって自ら望んでこの場にいるわけではない。

事情は何も分からず、問うことも許されず、これまで我が家に舞い込んだ数多の縁談を断り続けた報いだろうかと後悔したこともある。


それでも、王命という、最強の手札を切られたからには諦めて従うしかないのだ。


ジルクリフは大司祭を促すように小さくうなずく。すべてを受け入れる所存だ。

それだけで、豊富な人生経験をもつ彼には伝わったようだった。


死地に向かう貧馬を見送るようなまなざしで、静かに誓句を読み上げた。


それを聞きながら、視界の端に映る茶色の物体を窺う。

あれは耳だろうか。

ベールをかぶれば、必然と耳は出てしまうものだ。構造状、仕方がないだろう。

しかし、彼女の肩は俺の胸より下の位置だが、俺の視界のほぼ真横あたりに耳があるということになる。

その事実に思わず戦慄した。


どれだけ顔が大きいんだ…っ!


欲張りすぎじゃないかとか、顔の大きさ欲張るってなんだとか思考が巡る。小柄だから、大柄な自分に合わせたのか。


いやいや、女は恰幅がいいほうが好みとか言ってないぞ。

女の体格が大きいほうが好みとか、どれだけマニアックだと思われているんだ?

それとも、呪いの大きさに比例して大きくなるとか…。


「……っ、…誓いますか?」


思考の迷宮に迷い込んでいる間に誓句が終わり、誓いの言葉となったらしい。


「あ、はい」


ジルクリフは慌てて返事をする。そして、言葉が足りないことに気が付いた。


「あ、誓います」


大司祭が神妙な顔で小さくうなずいた。


「では、アイリシア=ファン=ベルケン、あなたも誓いますか?」

「はい、誓います」


か細い声が答える。くぐもった声は、今にも消え入りそうに弱弱しい。

もしかして、苦しいのかもしれない。

初めて会った時から思っていたことを、俺は小声でささやく。


「息苦しくないか?」


彼女は一瞬、びくりとしてやはり小さな声で大丈夫だと答えた。

大司祭は、彼女の様子に危機を感じたらしい。大丈夫だと答えた声があまりにも消え入りそうな小声だったからだろう。


「では、誓いの口づけをどうぞ」


やや早口で、促した。

ようやくアイリシアと向き合う形になり、彼女はベールを持ち上げやすいように頭を前に傾かせた。

おかげでぐらりと大きく揺れる。揺れるが床に転がることはない。どういう原理か、外れることはないようだ。


覚悟を決めて、そっとベールを持ちあげる。

現れたのは、予想通りの猫の被り物の頭だ。

ぬいぐるみなどといったかわいいものでなく、はく製ばりの精巧な作りの茶色い毛並みの猫の巨大な頭だった。ジルクリフの両手を広げて抱き着いても足りないだろう大きさの頭だ。


このベールも大きいし特注だろうな、などと場違いなことを考えるのは、金翠のオッドアイの無機質なガラス玉と目が合ったからか。それとも本物の毛並みを真近くで見たからかもしれない。

いや、頭が際立つほど大きいから、か。


至近距離からの圧迫感がハンパないっ

心の底からなぜこの大きさなのか不思議に思う。


ベールに包まれた彼女の顔がはっきりとしたからか、参列者の息を飲む音が聞こえたような気がした。何人かは呻いてもいるようだ。倒れた者がいないことだけは祈りたい。

しかし、ジルクリフは今まで見ないふりをしていた問題にぶち当たって軽い混乱に陥っていた。


神様の前で作り物の猫の顔に誓いの口づけって、罰当たりじゃないの?!


作り物の口にしたところで意味はあるのか、そっと大司祭の皺だらけの顔を窺えば、彼は小さく首を横に振っていた。大丈夫、ということらしい。

言葉にしなくても気持ちは伝わる。

戦友を得た気持ちで、猫の顔にそっと口を寄せる。


顔が重なった瞬間、頭上からリーーンゴーーンと鐘の音が鳴り響いた。

雰囲気だけ見れば、厳かな式だったと言ってもいいだろう。


この頭が普通だったなら…っ!

もう少しは結婚した実感を感じられるだろうに。


余談だが、猫の口は黒い糸でできていた。獣臭さはなく、牧草地で見かけるカミツレのほのかな良い香りがした。

こだわりがどこにあるのか、ジルクリフにはまったくわからなかった。





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