3章 / 香織I / 美弥III

「美弥」


 退屈な授業も終わって、ようやく昼休みになっても、私の友達は机に突っ伏したまま。

 

 朝からずっとこんな感じだ。

 元気が無くて、数分に一度のあからさまな溜息は正直イライラしてくるくらい。彼女の席は私の真後ろということも相まって、余計に聞こえてくるのだ。はぁー、とか。はあぁぁ、とか。構ってほしいオーラが体から溢れてていた。


「マジどうしたの?最近ずっとこんなんじゃん」


 返ってくるのは「んー」なんて生返事だけ。

 ぐりぐりと頭を机に押し付けたり、これ見よがしに遠い目で窓の外を見たり。悩んでいるなら相談くらいしてくれてもいいのに、何度話しかけてもこんなんじゃどうしようもない。

 そのくせ放っておくと不機嫌そうにこっちを睨むんだから、こっちが溜息吐きたくなってくる。結構マジで。ぶっちゃけムカついてきたりするのだ。


「いい加減話してくれてもよくない?生徒会でなんかあったんじゃないの?」


 彼女がおかしくなったのは、生徒会長になった辺りから。

 もっと変になったのは生徒会長を辞めると言い出してから。

 周りの先生たちの説得にも耳を貸さず、急に理由もなしに「辞める」だなんて言い出した。辞めたい、じゃなくて辞めるって言い切るところが美弥らしくて笑っちゃったけど。一度決めたら頑固なのだ、彼女は。


 何度かしつこく詰め寄ると、美弥はおずおずと顔を上げた。

 目の下のちょっと隈が出来てたり、いつもはしっかり手入れされてる髪が少しぼさぼさだったりと、やっぱりどこかおかしい。なんて思っていたら、私の方をじっと見つめてまた溜息を吐いた。


「で、どうしたの」

「べっつにー……」

「別にって感じじゃないでしょ。ホラ、麻衣も早紀も心配してるし」

「香織は?」

「私だって心配してるっつーの。だからこうやって訊いてんのに、なんも話さないのはアンタじゃん」


 教室はがやがやと賑わっていて、弁当を食べたり談笑していたりと皆思い思いに過ごしている。私たちの席からちょっと離れたところで、金髪の女生徒二人がちらちらと私たちの方を盗み見ていた。「私が聞き出すから二人にして」と頼んで置いたのだけれど、やっぱりあの二人も心配してるらしい。弁当に一度も箸をつけていなかった。


「えー……でもさぁ……」

「なに、聞いてほしいんじゃないの?だからそんな構ってちゃんしてるんでしょ?」

「だってさぁ。香織聞いたら絶対引くもん」

「引かないって。今さら美弥に引くことなんかないし」

「うっわなにソレ。むかつくぅ……」


 ぶー、と頬っぺたを膨らまして、ジト目で私を睨みつける。

 純粋に可愛いけど、美弥がやるとなんかあざとい。そんなのに引っかかるのはそこら辺の馬鹿な男くらいなのに。まぁ分かっててやってるんだろうけど。


 自分で言うのも何だけど、美弥と私はもの凄く仲が良い。

 普段は麻衣と早紀も含めた四人で遊ぶことが多いんだけど、美弥はあんまりあの二人の事が好きじゃないみたいだった。嫌いなんじゃなくて、好きじゃない。いてもいなくてもどうでもいいって感じだ。

 だから美弥が私を選んでくれたみたいで、なんだか嬉しかったりする。特別な親友って感じで。この関係が密かに私の誇りだった。


「まぁ香織になら言ってもいいんだけどさぁ……」


 しぶしぶと、けど待っていたかのように、美弥は話し出す。

 あの二人を遠ざけて正解だったようだ。

 私と二人きりなら、こんなふうに美弥は本心を語ってくれる。何故は分からないけど、きっと彼女も私のことを親友だと思ってくれているからだろう。

 私も美弥の事は結構好きだから、この関係性は居心地が良かったし、何となく優越感にも浸れていた。


「絶対誰にも言わない?」

「言わないって」

「麻衣と早紀にもダメだからね。私と香織の秘密ってことで」

「分かったよ。で、何があったの?」

「……生徒会って言うか、柊木先輩のことなんだけどさ……」


 私にしか聞こえないよう、少し声を潜める。

 大きめのリング型のピアスを通した耳を、彼女へと近づけた。


「先輩、学校辞めたんだけどさ」

「マジで?なんで?」

「桐生先輩が拉致ったんだよね。で、先輩のお姉さんがブチ切れて、大分頭のおかしい人と組んで桐生先輩に復讐しようと企んでる、みたいな感じ」

「……何それ。やばっ……って言うか、そういえば桐生先輩も最近見てないね」

「あの人もさ、先輩に洗脳みたいなことしてたりとか結構やばいんだよねー……」


 なんだそれ。

 今時ドラマでもないような現実味の無い話だ。けれど美弥の本気で悩んでいるような態度が、嘘でも冗談でもないことを表している。もしかして地雷だったかも、なんて事が頭を過った。


「そんでさ、先輩の記憶とかぜーんぶぶっ飛ばして二人で暮らそうってとこで、お姉さん突撃して二人とも相討ち的な?」

「相討ち……って、え?大丈夫なの?」

「先輩はへーき。桐生先輩とお姉さんは死んじゃったけど」

「死んじゃっ、……え、は?マジで言ってんの?嘘でしょ?」

「マジだってば。桐生先輩はナイフでぐっちゃぐちゃだったし、お姉さんは頭撃たれて死んでたし。結構修羅場でさ、先輩まで死んでないかって超不安だったし」


 なんて言葉に、私は一瞬体がぴしりと固まってしまう。冷や汗が額に滲む。

 いや待って、と呆けた口から言葉が零れても、美弥はそのままずっと喋り続けた。


「やぁっと先輩捕まえたと思ったら里桜さんが独占するし……先輩もなんか別人みたいになっちゃうし……。私なんか妹とか言われてんだよ?マジないっつーの。だからつまんなくってさー」

「や、待って待って。なんか今すごいこと言わなかった?」

「何が?」

「え、桐生先輩ってマジで死んだの?てか美弥その場にいたわけ?」

「うん、いたよ。里桜さんに言われて先輩回収しに行ったんだけど、お姉さんと喧嘩したっぽくて二人とも死んでたんだよねー」

「死んでたって……美弥、ホントに大丈夫なの?」


 確かにしばらく前から、桐生先輩は学校に来ていない。

 まだ私は美弥が冗談を言っているんじゃないかって心のどこかで期待していた。けれど言葉を裏付けるような状況や、何より真剣に話す彼女が私の期待を裏切っていく。


 息を呑んで、もう一度訪ねてみる。

 手は小刻みに震えていた。もしかしたらとんでもなく恐ろしいことを聞いているんじゃないかって、体が恐怖を感じていたのだ。


「ねぇ、なんか変なことに巻き込まれてたりしないよね?」

「巻き込まれてるっていうか、巻き込んでるっていうか……なに、香織泣きそうじゃん」

「冗談ならやめてよ。マジで怖いって……」


 気付けば涙が頬を伝って、私は泣いていた。

 彼女の事は親友のように思っていたし、思い出だって短い付き合いながらも色々あるのだ。思い切った事を言ったりもするとは思っていたけれど、人が死んでも気にも留めないような子ではなかったはずなのだ。明るくて、人懐っこくて、輪の中心にいるようなタイプ。私が彼氏と別れた時だって、ずっと一緒にいてくれたのに。


 本当に、目の前にいる彼女は美弥なのだろうか。

 そう本気で疑ってしまうくらい、私の中の美弥と解離していた。


「冗談じゃないって。引かないって言ったのに……」

「そう、だけどさっ……美弥が怖いこと言うから……!」

「あー、もういいよ。だから言う気なかったのにさー。引くくらいなら聞かなきゃ良かったじゃん」

「だって、だってさ……!」

「マジそんな気分じゃないからさ。ほら、早紀とかのとこ行ってきなよ。なんか心配してるっぽいし」


 涙でぐずぐずの視界に、心配そうにこっちを見つめる早紀と麻衣を見つける。

 何か言いたそうだったが、喧嘩しているのかと思っているのか声を掛けようとはしない。まさかこんな会話をしてるなんて思ってもみたいだろう。後で訊かれるだろうけど、馬鹿正直に話すつもりはなかった。そうしたら最後、美弥が本当にどこかへ行ってしまいそうな気がしたのだ。


 美弥に視線を戻す。

 興味なさそうにスマートフォンを弄っていた。もう私には関心がないのかもしれない。いや、私の反応に失望したのだ。引かないって言ったのに、それを守れなかったから。もうどうでもいいと一線を引かれたのだと、私と彼女の間にある壁みたいなものを感じた。


「美弥っ……」

「もういいからさ。私もガッコ辞めるかもしんないし。今は先輩と一緒にいたいかなーって」

「先輩先輩ってさ、なんでそんな急に言い出すの!?そんなに好きだった感じなかったじゃん!話したことだってあんまりないし、おかしいよ……!」


 がた、と椅子が音を立てる。

 立ち上がった衝撃でふらりと傾いて、もう一度がたんと音を立てて倒れた。

 あんなに騒がしかった教室が一瞬にしてしんと静まり返った。何があったんだと視線が集まって、美弥が本当に―――心底うざったそうに、舌打ちをした。


「私が先輩のこと好きだって知らなかった?当たり前じゃん、香織には言ってないもん。私ね、誰かが傷付いてたり落ち込んでるのがすっごい好きなの。それが酷ければ酷い程いいの。死にそうだったり、ぶっ壊れる寸前とかなら最高なんだよね。そんなの知らなかったでしょ?香織に言うわけないじゃん、ただのクラスメイトなのに」

「ぐすっ、そんなの……だって、私には……」

「香織はさ、結構不幸体質だし、彼氏に振られて死にそうとか言ったりさ、おせっかいばっかで結局自分が面倒に巻き込まれたりさ。だから私みたいのに目付けられるんだよ。近くにいると便利って言うか、見てて面白かったってだけ」

「……そん、なの……!だって、親友だって……!」

「あーもうめんどくさっ。そんなわけないじゃん、たかが数カ月の付き合いなのにさ。なのに私の事知ったふうに語るし、ウザ過ぎだっつーの」


 ぐずぐずと泣き出す私の言葉に、美弥は吐き捨てるように言った。

 静まり返った教室に、美弥の溜息を私の嗚咽だけが響いている。誰かが割って入る様子も、早紀たちが宥めようとする気配すらない。ただただ異様な緊張感だけが漂っていた。


 そんな空気に耐え切れなくなったのは、美弥のほうだった。

 小さな舌打ちと、もう一つ諦めたような大きな溜息。乱暴に椅子を鳴らして立ち上がると、一瞥もなく私の横を通り過ぎていく。


「美弥っ……!」

「…………」

「まってよ、美弥……!」


 何も言わず、美弥はがらがらと扉を開く。

 縋るような私の声にも、彼女は無視を決め込んだ。乱暴に扉を閉めて、そのまま足早に去っていく。残ったのは泣いたままの私と、どう声を掛けたらいいのか分からないといった様子のクラスメイト。しばらく誰も喋ることもできなくて、チャイムが鳴るまでそれは続いた。

 

 美弥はその言葉通り、次の日から学校に来ることはなかった。









「あーもう、マジめんどくさー」


 教室を出てから、私は苛立ちを抑え切れずにいた。

 香織は良い子だとは思うし、決して嫌いではない。感情の起伏が激しくて、そのくせメンタルが弱いから見ていて楽しかったっていうだけの、なんちゃって友達だったりする。彼女が言うような親友だとかそんな気持ちは一切なかった。


(まぁでも、良いキッカケにはなったのかな?)


 先輩のいない学校はとことん楽しくなくて、そもそも高校というモノに何の価値も無いと思っていた私にとっては、あのまま通い続ける意味もなかったのだ。

 それよりも楽しくて欲しいものは他にあるのだから、辞めるのも時間の問題だったってだけの話。本当は先輩を奪って、もう一度一緒に学校に通えたら最高だったんだけど。それももう叶いそうにないから、悩むのはやめた。さっさと辞めて正解だったんだ、きっと。そのキッカケをくれたことだけには、感謝してあげよう。ふふ。


 なにはともあれ、これで後戻りはできないのだ。


 両親が何か言ってこようが知った事じゃない。

 今までずっと放任していたんだから、文句を言われる義理はない。お金だって自分で稼げるし、もうあの家には帰るつもりもない。私は私のやりたい事をやって、欲しいモノを手に入れる。それの何が悪いんだ。


「さぁって、先輩に会いに行こうかなー」


 気を取り直して、スマートフォンで短くメッセージを送る。

 どうせ映画館とか、その辺だろうと思っていたら案の定だった。私も行くんで待っててください、と送れば、可愛らしいスタンプで返事された。OKと書いてあるそれを見て、溜まりに溜まっていた苛立ちが一気に霧散していく。


「んふ。ふふふふー」


 思わず笑みが零れる。

 あぁ、やっぱり先輩はいいなぁ。こんな些細なことで嬉しくなれるんだから、やっぱり彼の事が好きなんだと再確認。

 可愛いし、優しいし。その上半分壊れかけていて、少し弄ればあの顔も見れる。人には理解できないような私の性癖も、彼は満たしてくれる。そんな人は今までいなかった。

 私のツボをいくつも抑えてくる先輩は、きっと私の為に生まれてきたのではないかとすら思えてくる。うん、きっとそうだ。そうに違いない。なら、早く私だけのモノにしないといけない。


 そのためには、と考える。


 映画館までは電車を含めると三十分くらいかかる。

 それだけあれば、色々と準備しておくには十分だった。やろうかどうか迷っていたけれど、里桜さんがいる限り先輩は手に入らないのは理解できた。悔しいけれど、私じゃあの人には勝てない。マジでムカつくけど。


「……ま、仕方ないよねー」


 改札を通って、駅のホームで電車を待つ。

 まだ昼を過ぎた頃だということもあってか、主婦やサラリーマンが私を見て怪訝そうな顔をしていた。サボってる学生とか思われているんだろう。ふふ、違うもん。制服を着てるけど、もう学生じゃないのだ。


 里桜さんに対抗するのは、私じゃなくてもいい。

 桐生先輩とお姉さんみたいに、殺し合ってくれればそれでいい。里桜さんが狙ったやり方。それを見て私も思ったのだ。いつか彼女を排除するのに、同じやり方で消してしまえばいいって。


 ずっと既読のままで放置されていたトークルームを開いて、文字を打つ。

 少し長くなってしまったけど構わない。あとは彼女がどう反応してくれるかだけ。期待通りに動いてくれるとも思わないけれど、今この状況を続けるよりはよっぽど良い。私は私で、できる限りの準備と努力をするのだ。


 ふふ、と笑って、スマートフォンをカーディガンのポケットにしまう。

 

 電車がホームへやってきて、足取り軽く車内へ。

 空いた席に座って、うきうき気分で窓の外に目をやる。流れていく景色がいつも見ているものとは違って見えた。


 映画館に着く頃には、香織との事なんて頭の片隅にもなかった。

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