2章 / 和葉XIX
「桐生家が何をしているのか、知ってますか?」
薄暗い通路を歩く中、和葉は振り返ることもなく問い掛けた。
先頭に和葉。その後ろを明楽が付いて行き、背後には青ざめた真琴と無表情の使用人が二人。まるで連行されているようだった。
「……確か、貿易とか、ITとか……色々やってるって」
以前和葉から聞いたのは、様々な分野に広く展開する複合企業だと言うこと。
多くの企業を傘下に収め、そのトップが桐生であると聞いていた。
「まぁ、間違ってはないですけど……」
くすくす、と和葉は苦笑した。
「でも、それだけじゃないんですよね」
「……?」
「ウチの使用人、みんな可愛い子ばかりだと思いませんでした?」
場違いな質問に、明楽の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
数分ほど歩いた通路の突き当たり、一際大きな扉が現れた。大きな取っ手と無骨な風体。その横には似つかわしくないモニターディスプレイが備え付けられていた。
「ウチの使用人はほとんどが女性なんです。男性はごく僅か。この家で男性は見たことないでしょう?」
「うん、そうだけど……」
「男性と女性とでは仕事内容が違うんです。……いや、そうじゃありませんね。使用目的が違うって言った方が正しいかもしれません」
「え?どういう……」
「見れば分かりますよ」
そう言って、和葉はディスプレイを操作し始めた。
指紋認証と網膜認証をパスして、ようやく扉が音を立ててて開き出す。明らかに普通じゃないセキュリティの厳重さに、明楽の不安は増すばかりだった。
「さ、どうぞ。暗いんで足元気を付けてくださいね」
手を差し伸べる彼女は、歪な笑顔を浮かべていた。
彼女の背後に伸びる階段がより一層不気味さを加速させている。地下へ伸びるそれは長く、明りは足元を照らす小さなものだけ。足を踏み入れたら戻れなくなりそうな気さえする階段に、明楽は一瞬躊躇ってしまった。
「……っ」
「どうしました?」
「……いや、なんでもないよ」
後ろを振り返る。
相変わらず真琴は震えていて、人形のようなメイドが彼をじっと見つめている。後ずさりすら許さないとばかりに、目が和葉の手を取れと語っていた。
明楽は小さく深呼吸をして、彼女の手を取った。
細く白い指が少年の手に絡みつく。逃がすつもりはないようで、痛みを感じるくらいに強く握られた。
「ん、ふふふっ」
手を引いて嬉しそうに笑う和葉。
少年は腹を括ってその後を追う。一歩一歩踏み締める足の感覚が無かった。悪夢を見ているようで、だんだんと息が荒くなっていく。許されるのなら、今すぐにでも座り込んで泣き喚きたかった。
足音と笑い声が響く中、何時間も掛かったように感じた階段の先。
同様に厳重な扉の向こうに広がる光景を見て、少年は逃げ出していればと酷く後悔することになった。
♪
悲鳴。
嬌声。
嗚咽に懇願。
別の世界に来てしまったかのと本気で思ってしまうくらい、異様な光景が明楽の目に飛び込んできた。
「これ、は……」
一際暗い通路の両脇に、いくつも部屋が並んでいた。
壁は無く、ガラス張りだったり鉄格子だったりと統一されていなかった。部屋自体はさほど大きくなく、椅子だけがぽつんと置かれた部屋もあれば、ベッドが何台も並べられた部屋もある。目を背けたくなるほど気味の悪い器具が転がった部屋も。
狼狽する明楽の手を引いて、和葉は通路を進んでいく。
部屋の中で行われている悍ましい行為の数々を、ゆっくりと眺めるように歩いた。物のように扱われてボロボロになった少女や、延々と犯され続ける女性。拘束されたまま何日も放置され、発狂しかかった者もいた。
「プレート、見えますか?」
和葉はそれぞれの部屋に掲げられたプレートを指差した。
イニシャルらしき文字と、『〇月〇日 納品』と書かれている。その下にはいくつか箇条書きがされていた。
「ウチにいる使用人のうち、ごく一部を除いては売り物なんですよ。直接ウチに来て値踏みして、欲しい使用人を指定して貰うんです。その際に色々と注文されるんで、ここでこうして調教を施して……明楽くん、聞いてます?」
厭らしく笑う彼女の言葉に眩暈がする。
冗談だと思いたくても、視界に入る異様な光景がそれを否定する。耳を障る声や音もそれを加速させ、まるで現実感のない世界に吐き気すら覚えた。
心配そうに覗き込む和葉だが、明楽は無言で首を振った。
大丈夫、と示したかったけれど、それを言う気力もない。そもそも今の和葉と何を話していいのかすら分からなかった。
「今ココにいるのは比較的マトモな注文ばかりですよ。酷いのだと、人形みたいに何をしても反応しないようにしてくれ、とか。手足は要らないとかもありましたね。何が良いのか私には分かりませんけど」
「……どうして、こんなこと」
「どうして、ですか。そうですよね。普通のヒトの感覚だと、こんなのオカシイですよね」
あはは、と嗤う。
その間も歩は止まらず、通路の突き当たりへと進む。目当てはここだったようで、他の牢獄のような造りとは違った「マトモ」な部屋があった。
「お金にもなりますけど、それ以上にコネ作りが目的なんですよ。顧客には普通の金持ち連中もいれば、たくさんの病院を経営している一族とか。財閥、警察、政治家……ふふ、どうしてこういう人たちって変態が多いんでしょうね?」
ドアノブに手をかけて、ゆっくりと扉を開く。
中はがらんとしていた。壁は一面黒く塗られていて、天井から一つだけ電球が垂れ下がっている。ホラー映画に出てきそうな地下室そのものだった。
「私たちは彼女らを売る。その見返りに、私たちは好き放題やらせて貰う。それぞれの分野で持つ権力を桐生に貸す。シンプルなギブアンドテイクです。万が一裏切ろうとするのなら、購入記録を世間に公表すると脅せますしね。人身売買をした、なんてバレたら破滅ですから」
明楽を部屋の中へと引き込む。
六畳ほどの広さの部屋に息苦しさを覚えるが、それ以上に生臭い異臭が鼻をつく。何の臭いなのかは考えたくもない。
「お母様が取り仕切っていたコレも、今は私の仕事です。最初は凄く嫌でしたけど、今は随分慣れました。おかげでヒトを調教するのも洗脳するのもお手の物です」
「……っ」
「あは。そうです、気付きました?」
握った手に力が篭った。
ぺきりと骨が鳴るくらい、強く握り締められる。気付いたときには遅かった。
「いいんです。そんなお馬鹿なところも、明楽くんの可愛いところですから」
「いやだ、かずはさっ……!」
「大丈夫です。明楽くんは傷付けないって言ったの、覚えてるでしょう?」
抱き寄せて、頬を撫でる。
和葉の顔はほんのりと紅潮していた。体も心なしか火照っているようだった。「これから」の事を考えると、彼を家に招いたときより心が躍ってしまう。
「待って、お願いだから……っ、なにするのっ……!」
「待ちません。猫被ってたのもバレちゃいましたし、明楽くんは相変わらず私とスるの嫌みたいですし。真琴さんのせいで、とか思ってましたけど。結果オーライです」
「いたっ、うぐ、あぁッ」
「ほらほら、あんまり暴れると舌噛んじゃいますよ」
扉の外で待機していた使用人の一人が、いくつかの道具を手に部屋へ入ってくる。
じゃらじゃらと音を立てる手錠。鉄製のボールギャグに、ポーチ大のハードケース。和葉は嬉しそうにそれを受け取ると、抵抗する明楽を手早く拘束していった。
「手錠、キツくないですか?」
「う、むうぅ……ッ!」
「あ、ごめんなさい。喋れませんよね。……あーもう、凄く可愛いですよ、明楽くん。今なら黒川の気持ちが分かるかも知れません」
「んんンッ!」
ハードケースを開く。
中には小さな注射器と、透明な液体の入った小瓶。明楽には見覚えも経験もあった。
「コレ、黒川が持っていたのと同じ系統のモノです。あんな低級品とは違うので安心してくださいね」
安心なんか出来るわけがない、と言ってやりたかったが、それすら許されなかった。
慣れた手つきで液体を注射器に込めていく。空気を抜いて、針の先を少年の腕に向ける。消毒する時間すら惜しいとばかりに、和葉は息を弾ませて針を押し込んだ。
「ふふ、いきますよー」
「っ、いぁあ……ッ!」
ゆっくりとシリンジの中身が明楽の体へと流れていく。
血管にマグマを流し込まれているような感覚。かと思えば、すぐに全身を耐え難い冷たさが襲う。背筋を駆け上がる電流が痛いくらいに体を震わせた。
針を抜くと、和葉は注射器を投げ捨てた。
割れたそれを気にもせず、涎を垂らして身震いする明楽を恍惚と眺めて嗤う。目がちかちかとしているのか、何度も瞬きをしているさまが可愛らしくて仕方なかった。
「最初は辛いですけど、我慢してくださいね」
ぐしゃぐしゃと髪を撫で回す。
聞こえていないようで、明楽はそのまま地面に倒れ込んだ。何か喋ろうとしているらしく、嗚咽のような悲鳴がボールの隙間から零れているが、まるで言葉になっていない。それを確認すると、和葉は満足げに言葉を続けた。
「大丈夫です。すぐに全部リセットしてあげますから。お義母様のことも、お義姉様のことも。友達も何もかも全部忘れて、もう一度最初からやり直しましょう?」
だいすきですよ、と囁いて、明楽の頬にキスをする。
唇に感じる暖かな感触。汗が噴き出しているせいか少ししょっぱかった。
それを美味しいと感じて、我慢できずに今度はじっくり舌を這わせた。舌に広がる味と感触だけで体が彼を欲してしまう。とはいえ欲望のまま彼を蹂躙できれば満足できるのだろうが、今はそれ以上に大切な事があるのだ。
自制心を総動員して、圧し掛かった少年から身を離す。
舌先から伸びた唾液がぽたりと零れては、てらてらと滑った少年の頬に落ちていく。それがまた欲望に火を点けるが、何とか振り切って立ち上がる事ができた。
びくびくと体を跳ねさせる彼を寝かせたまま、和葉は立ち去ろうとする。
振り返ってしまえばまた衝動に駆られてしまうかもしれない。色々と溢れ出そうな感情を押し殺して、一瞥もせずに部屋を出た。
「……では、また明日。頑張ってくださいね?」
扉ががちゃんと音を立てて閉まる。
覗き窓の向こうで少年が背中を反らせて呻いていた。本当は傍でずっと眺めていたいけれど、それでは彼の教育が進まないのだ。
唇を噛んで視線を外す。と、半ば忘れかけていた真琴が目に入った。
「あぁ、真琴さん。そういえば貴女の罰がまだでしたね」
真琴は何も言わず、顔を伏せた。
彼女を裏切る以上、こうなる事は覚悟の上だった。であれば何も言う必要はないのだ。
「本当に残念ですよ、真琴さん」
髪を掴まれ、顔を引き上げられる。
先程までの蕩けた顔が一転して、冷たく突き刺すような目が彼女を貫く。姉と慕っていた和葉はもう居なかった。
ただ一言だけ「さようなら」と投げ掛けて、和葉はその場を後にした。
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