2章 / 雪那II / 和葉VIII
後できっと後悔するだろうと思った。
しない訳がないか、と私は嗤った。
何よりも大切な、血の繋がった弟だ。そんな彼を組み敷き、ワイシャツのボタンを弾き飛ばして、これからコトに及ぼうと言うのだ。
少年の合意もなく、何度も凌辱された過去を知っていながら、無理矢理犯してしまおうとしている。それも弱みに付け込んでまで。我ながら最低だ、と自虐した。
やめて、と少年の口が動いたように見えた。
何故か分からないけれど、それが酷く妖艶に感じてしまった。薄い唇から除く歯や舌が、これからの行為を連想させる。一層心臓の鼓動が強く、速くなっていく。雪那は衝動のまま少年の唇を奪った。
血の繋がった大切な弟を相手に、罪悪感を振り払うように、白く汗で濡れる首筋に歯を立てた。
ごめんなさい、と心の中で謝って。
私はこの日、許されない事をした。
♪
男性経験はゼロという訳ではなく、人並み程度には経験があった。
大学生時代はどうしても出会いや機会が多くなった上に、雪那の容姿は抜きん出ていたためか、彼女に言い寄ってくる男性は多かったのだ。
そのほとんどは無視されるか、話すことはあっても連絡先すら教えて貰えずに撃沈する者ばかりではあったが。
それでも中には雪那が心を許しても良いと思える男性がいて、処女性にあまり価値を感じていなかった彼女は体を許すこともあったのだった。
とはいえ、恋愛はあまり長続きする方ではないのだ。
クールな態度に付いていけなくなる者もいれば、あまりイチャイチャしたがらない彼女に冷めてしまうこともあった。男がいなければ生きていけない、なんて言うつもりもない雪那は、去る者追わずに終わらせてばかりだった。
今となっては、経験しておいて良かったと思う。
弟との情事でこう感じるのはどうかと思うけれど。それでも背徳的な快感は酒やタバコよりも遥かに強く、火照る身体がその証明であった。
「……なぁ、明楽」
仰向けでぐったりと横たわる少年の前を呼んだ。
ぼうっとした目が雪那を見つめる。声を出す体力はとっくに尽き果てているらしく、ぴくりと指を動かすのが精一杯のようだ。
はは、と嗤って、雪那は少年を抱き締めた。
鼻先を耳元に擦り付けて、汗だくになった彼の匂いを堪能する。彼にしては珍しい男性らしさが、雪那の琴線に触れる。
人形のようにぴくりとも動かない少年。
涙を流しながら「嫌だ」と抵抗する彼も良かったが、諦めて半分意識のない状態で好き放題にするのも悪くなかった。
舌先で耳を舐ろうが、体中余すところなく這わせようが、やりたい放題なのだ。
ネクタイで縛っても、裸にエプロンを着せたままシても文句を言わない。制服姿の彼を想像して、雪那は身震いするように体を抱き締めた。
「……なんだ、寝たのか。つまらんな」
糸の切れた人形のように、力なく横たわる少年。
すうすうと微かに聞こえる寝息を胸に感じて、雪那は本当につまらなさそうに呟いた。
♪
メッセージを何度も追い掛けるように送ってみても、明楽の返事が返ってくる気配はなかった。
経験上、こう言ったケースは危険なのである。
菖蒲然り、彼に何か良くないことが起きている可能性が高い。家まで送ってから外出した様子はないことから、家の中で何か問題が起きたか、もしくは寝てしまっているか。
現時刻は午後十時。
眠るのが早い明楽とはいえ、連絡が取れなくなったのはさらにその二時間前から。確かに疲れたとは口にしていた彼でも、そんなに早く眠ってしまうだろうか。まして律儀に「おやすみ」と言わなければ延々と返事し続けるような明楽である。何も無いとは考えづらかった。
既読すらつかないスマートフォンの画面を眺めながら、和葉は舌打ちした。
明楽のためとはいえ、「こんな事」に時間を掛けている訳にはいかない。さっさと済ませて、確認しておいた方がいいだろう。
和葉は中断していた「お話」を再開しようと、地面に座り込む少女に視線を戻した。
「すみません、色々と立て込んでまして。どこまで話しましたっけ?」
「…………」
街灯の少ない、郊外にあるバス停。
髪を明るく染めた少女が、このバス停を利用していることは調べが付いていた。一般家庭の、ごくごく平凡な女子生徒。和葉より一つ年上で、生徒会に立ち入ったのがキッカケで明楽と親しくなったらしい。
見かける毎に抱き着いたりなどちょっかいを掛けては、顔を赤らめた彼を見て楽しむ毒婦。少なくとも和葉にとっては、存在するだけで不愉快になる傍迷惑な女でしかなかった。
「あぁ、そうでした。私のお願い、聞いてくれるかどうかってお話でしたね」
「……あんた、頭おかしいよ」
「そうかもしれませんね。でも先輩には関係ないでしょう?私が狂ってたって、何か問題でもありますか?」
あはは、と笑って、ベンチに座る少女の髪を鷲掴みにする。
ぶちぶちと髪の千切れる感触を手に感じながら、苦痛に顔を歪めた彼女に迫った。
「ただ一言、イエスと言えばいいんです。それだけで、このまま平和に帰れるんですよ?」
「ふっざけんなッ!このクソ……っ」
言い終わる前に、和葉の拳が腹部にめり込んだ。
体の中から空気が全て無くなってしまったかのような、感じた事のない痛みが少女を襲った。立て続けに何度も何度も振り抜かれて、身を捩ろうとしても髪を掴んだ手が固く彼女を逃がさない。胃からせり上がってくるモノを吐き出したところで、和葉が言葉を再開した。
「ふざけてるのは貴女でしょう。明楽くんに手を出そうとしたくせに、ふざけたコト言ってるのはどっちですか。二度と近づかないと誓えば帰してやるって言ってるのが、冗談か悪ふざけだとでも思ってたんですか?」
「げほっ、ぅ、あぁ……ッ」
「優しくしている内に、大人しく頷いていれば良かったものを。……あぁ、お腹を殴られるだけで済むと思います?残念ですけど、もう遅いです。と言うか、貴女に構ってる時間が無くなってしまいましたので。後の処理はこちらの方にお任せしますから、せいぜい自分の愚かさを悔やんでください」
和葉の背後から、二人の黒いスーツを着た男性が現れた。
スーツの上からでも分かる巨躯に、鋭さを感じる顔立ち。表情を一切変えない彼らに、少女は本能的に恐怖を覚えた。
がしり、と男の一人が少女の腕を掴む。
大きく、力強い手だった。骨が軋むくらいに握られて、痛む腹にも構わず立たされた。
「先輩のような軽薄な女性は、男なら誰でもいいんでしょう?明楽くんに興味をなくすまで、彼らが相手をしてくれますから。アフターピルはこちらで用意してますから安心してください」
悪魔が笑うように、和葉は歪な笑顔を向けた。
短いスカートから覗く下着も、開いた胸元から振り撒かれる色香も、明楽に向けられるのは我慢ならなかったのだ。そんなにヤリたいのなら、他の男をいくらでも宛がってやる。明楽にさえ矛先が向かなければ、後はどうだっていい。
あぁ、と手をぱん、と叩く。
身の危険を感じて泣き叫ぶ少女に向けて、さも楽しいといった様子で言葉を吐いた。
「こちらのお二人には、色々人には言いづらい趣味があるそうでして。まぁ、先輩みたいなビッチさんならどんなプレイでも受け止められますよね。ファイト、ですっ」
「ふざっ、やめろ、やめろよオイッ……まって、お願い、ッ、謝るからぁっ!」
「嫌です。言って分からないなら、体で分かってください。明日くらいには開放してあげますから」
ばーか、と可愛らしく言って、和葉は踵を返した。
足早にその場を後にする。多少すっきりした感覚はあるものの、今は一刻も早く明楽の安否を核にしておきたいのだ。
近くに停めてあった車の前で、真琴はただ静かに待っていた。
彼女は一礼してから後部座席のドアを開けた。和葉が乗り込むのを確認してから、そっとドアが閉じられる。スモークのかかった窓の向こうに目をやると、同じように車に押し込まれる少女の姿が見えた。
シートに深く身を預けて、和葉は溜息を吐いた。
「明楽くんの様子はどうでした?」
「ご自宅からは出られていません。盗聴器で確認しましたが、疲れて眠ってしまわれているようです」
「……そうですか。何もないなら、それでいいです」
「承知しました」
バックミラー越しに和葉を見て、真琴は車のキーを回した。
低く唸るようなエンジン音が体を震わせて、車がゆっくりと走り出す。
主人に嘘を吐くのは躊躇われたが、今の彼女には伝える気にはならなかった。
これ以上の刺激は、彼女の人生に関わる。姉に犯された程度で死ぬわけでもないのだから、今は黙っておいた方がいいのだ。
そうとも知らず、和葉が言った。
言葉とは裏腹に、どこか楽しそうでもあった。
「恋人がモテるのは鼻が高いですけど……こう人数が多いと、面倒ですね」
「仕方ありません。明楽様は、何事も受け入れてしまう方ですから」
「そのせいで虫ばかり集るんですから、困ったものです。明日も数人、整理しますから……全く面倒ですが、よろしくお願いしますね」
「承知しました」
和葉は目を閉じた。
これでやっと十人。
手段は選んでいられない。彼に纏わり付く虫は、早々に駆除しなければ。
ふふ、と笑った。
バックミラーから彼女を見る視線は、どこか悲しげであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます