1章 / 美弥I
私、橘 美弥を一言で表すなら、「可愛い」である。
もちろん大っぴらに口に出すことはないけれど、本音はそう思っているという事だ。
これは私に限ったことではないだろう。
オシャレとか、それなりに身なりに気を遣っている子は誰だってそう思っているに違いない。じゃなきゃ毎月ファッション誌を買ったりしないし、服やアクセサリーのためにバイトなんかしない。ましてや、真冬にミニスカートなんか履く理由は可愛く見せたいがためなのだから。
その証拠に、私は相当モテる。
自惚れとかじゃなくて本当に。
告白だって何回もされてきたし、男に困ったことだってない。
他校からわざわざ私に会いに来る男だってたくさんいた。年上も年下も、私にかかればチョロいもんだ。首を傾げて上目遣いするだけで事足りるのだ。
高校に入ってからも、きっとそれは変わらないだろう。
実際、入学前の時点で既に言い寄ってきた同級生や先輩たちもいる。
そうでなくても私に一目惚れした男子が露骨に言い寄ってくるのだ。色々と理由をつけて断ってはいるのだが、まあ悪い気はしない。
クラスではすでにトップカーストの一員だし、私を妬んでいるだろうオバサンたちは手出しできない状況にある。
だって、私に手を出せば二、三年の男子たちが黙っていないからだ。私ってばもう女王様みたい。男女問わず、私の思うがままになりつつあった。
と言うわけで、これからアタックする先輩も簡単に虜になるはずなのだ。
―――いや、はずだった。
どこで間違えたのだろうか。
と言うよりは、あんなタイプは今まで出会った事がなかった、と言うべきか。
知らない相手を手玉にとるには、戦い方を知らなかったのだ。今までの必勝法は暖簾に腕押しみたいな感じで躱されてしまい、残されたのは惨めで悔しい思いだけ。
おまけにあんな敵がいるなんて知らなかったし。
なにあれ。先輩って、よくあんな狂った人たちと付き合ってられるなぁ、と思う。私だったら逃げ出すか、二度と舐めたこと出来ないようにしちゃうけど。
まぁ、あの先輩じゃそこまで考えたりはしないか。
馬鹿みたいにへらへらして、何でもかんでも受け入れちゃうお人好し。きっと酷い事されたところで、謝られたら許しちゃうんだろうな。
そんなところは、うん。嫌いではないけれど。
とまあ。
それが私と先輩のファーストコンタクト。
自信たっぷりだった私が、言いたくないけどコテンパンにされた話。
それで、本気で先輩が欲しくなってしまったという、そんなキッカケの話。
◇
「朝のアレ、やばかったよねぇ」
思い出したかのように、机に腰かけた女生徒が言った。
髪を明るく染めた、いかにもギャルといった風体の生徒だった。スカートはやたらと短いし、そこまで大きくもない胸元は開き気味。正直下品だな、と言うのが第一印象だったが、彼女は美弥が一番初めに声を掛けた友人であった。
「アレ?」
同じように髪を染めた女生徒が訊く。
似たような恰好で、パックのミルクティーを飲んでいた。
「見てないの?桐生先輩と生徒会長がバトっててさ、しかも副会長が桐生先輩にがっつり襲われてたんだよね」
「あー、あれ……」
興奮気味な友人に対して、美弥の気分はあまり良くなかった。
周りを囲む友人たちは盛り上がっているようだが、こっちとしては面白くない。なんで面白くないかは説明しづらいのだけれど。
「ねー、美弥。アンタのお気に入りの先輩、ヤられちゃってたけどいいの?」
「……は」
イラ、とするが我慢。
よくもまぁ、ズケズケと言えるものだ、と思う。
何故か「美弥は柊木先輩のことが気になっていて、片思いをしている」と思われているのだ。美弥はそんな事一言だって言った覚えはなかったのだが、周囲でニヤニヤとする友人たちは全員そう信じ切っていた。
正直、迷惑極まりない。
美弥は机に突っ伏したまま、面倒くさそうに答えた。
「っていうか、私は先輩の事好きでも何でもないんだけど」
「またまたぁ」
「美弥、副会長のことめっちゃ訊いてたじゃん。最近目で追ってるし」
「桐生先輩のことが嫌いなのだって、大好きな副会長取られちゃったからじゃん?」
「……もー、誰がそんな事言ってんのよぉ」
うんざりである。
違うと否定しても意味がなく、肯定したらそれはそれで負けた気分になる。ならばと曖昧に濁してみたところで、「やっぱり好きなんじゃん」と祭り上げられるだけなのだ。いくら友人たちとは言え、その無責任さにはほとほと辟易していた。
「今日だってずっとそんな感じじゃん。朝からあんなの見せつけられてヘコんでんのかなって思うし」
「ヘコんでもないし、落ち込んでもないから」
「じゃあどうしたのよ」
「それはっ……」
ヘコんではない、はず。
だが否定はしてみたものの、確かに美弥の気分は晴れないままなのである。
どうしてだろう、と考える。
間違いなく好きではない。自分の好みはもっと男らしいタイプだし、あんな女の子みたいなのに恋愛感情は持ってるはずがない。いい人だなとは思うけれど、せいぜい仲の良い先輩くらいの間柄にしかならないだろう。桐生 和葉が嫌いなのは否定しないけれど。
「それはー?」
「……うるさいなぁ」
それが分かったら苦労しないんだよ、バカ。
雑に髪を撫でられて、美弥は面倒臭そうに振り払った。
「素直じゃないねー」
「まー桐生先輩の彼氏だし、手ぇ出すのはヤバいよね」
「確かに。なんか夜道で襲われそう」
楽しそうに話す彼女たちに、露骨に嫌そうな顔を見せてやる。
正直うざったいのだ。適当な決めつけで話されるのも、人が落ち込んでるのを分かっててこんな話をするのも。デリカシーというものがないのだ、このバカどもは。
(なぁんて、言わないけどさ)
思ってても口には出さない。
彼女たちは言わばアクセサリーなのだ。
自分が上のカーストにいるための、ピアスみたいなもの。自分みたいな女が思うように生活したければ、こんなバカみたいな友人たちを身に着けるのが一番だ。地位を高そうに見せるだけの友人。それが女の世界あって、一番面倒なところである。
鬱陶しそうにするのはいいけれど、本気で怒るのはアウト。
適当にあしらっておくしかないのだから、美弥の気分はますます落ちていく一方だった。
「でもさ、美弥なら奪っちゃえるんじゃん?」
ぴくり。
考えなしに言っただろう言葉に、思わず耳を傾けた。
周りの子たちも同調するように、口々に「イケるイケる」と騒ぎ立てる。さっきまでヤバいとか言ってたくせに、と馬鹿らしくなった。が―――
「副会長ってさ、キスんときスゲー嫌そうな顔してたよね」
またぴくりと反応する。
今朝は野次馬が多くてはっきりとは見れていなかったのだ。
あとから話で聞いた程度だったのだが、先輩は嫌がっていたらしい。好きで付き合ってる彼女とのキスが嫌なんて、おかしな話である。
美弥は机に伏せたまま、耳だけはしっかりとフル回転させた。
「あー、わかる。逃げようとしてたし」
「ああいうのが嫌いなんじゃないのー?なんか見られて興奮とかしなさそう」
下世話な話でけらけらと笑う。
その手の話題は嫌いではないのに、何故か嫌悪感が背筋を走った。あの先輩でそんな話をしてほしくない。自然とそう思った。
―――なんで?
知るか、と自問自答。
別に好きじゃないんだからと何度も自分に言い聞かせる。
どうでもいいと分かっているはずなのに、なんでこんなに胸がざわつくのだろうか。ヘドロのような気持ち悪さが渦巻いて、無性に吐きたくなる。
「あの二人ってもうヤってんのかな」
「あんだけエロいキスしてんだから、もうヤってんでしょー。桐生先輩って結構手ぇ出すの早そうだし」
「あー、ね。てか手出される側なの服会長」
けらけら笑いあっている。
本人たちがいないのを良いことに言いたい放題だ。
とは言え、美弥に非難する気もなかった。今まで自分だって言ってきた側なのだ。これくらいは可愛いもので、もっとエグい陰口だってあったし。
「ねぇ、美弥。マジで取っちゃわない?」
「はぁ?」
顔を上げる。
髪はぼさぼさで、目が少し赤らんでいた。そんなつもりは全くなかったのだが、涙ぐんでいたらしい。「大丈夫?」と心配してきた友人には欠伸といって誤魔化した。
なんにせよ、友人のバカな提案は笑えない。
取る?何を言ってるのだろうか、こいつは。
「取れるわけないじゃん。桐生先輩と付き合ってんだし」
自分で言って、その言葉がたまらなく不快だった
自分で聞いても不貞腐れた声だと思った。
これで何も意識していないと言う方が無理だろう。友人たちがしつこく言ってきた理由が理解できる。
「わかんないよー?キス嫌がるって結構終わってると思わない?」
「人前でキスされんのが嫌なだけかもしれないじゃん」
「だとしてもさ、あれだけ嫌なこと無理矢理する彼女って嫌だと思うよ?そこを美弥が迫ったら一発で落ちると思うんだよね」
「で、私が桐生先輩から睨まれるってこと?メリットがないんですけど」
口では文句ばかりだが、心の中では葛藤の嵐だ。
友人の話が本当であれば、勝ち目はある。五分五分とまではいかないけど、今後の展開次第では十分に奪ってしまえるかも。
なんて、考えていた。
考えただけである。実際にそんなことをする理由がないのだ。だってそもそも、先輩のことを好きってわけじゃないのだから。
そう。好きじゃない。
先輩が誰と付き合ってようが、知ったことじゃない。
ただ、有名な桐生先輩の彼氏ってだけで。だからどんな人か気になってただけで、別に男としては―――
―――まだそんな事言ってるのか。
頭の中で誰かが言う。
うるさいな、と悪態をついてみる。返事はなく、残ったのはまたモヤモヤした気持ち悪いものだった。
(好きじゃない。うん、好きっていうのとは違う)
何故そこまで頑なに否定するかは置いておいて。
なにはともあれ、真剣に友人の言葉を考えてみようと思った。
こんなのは話のノリで発展しただけであって、実際に理由があってのものではないのだ。その理由を友人たちはああだこうだと言ってはいるが、美弥にとってはどこか屁理屈のように聞こえていた―――はずだったのに、今はそれすら正当な理由のように感じてしまっている自分がいる。認めたくないけれど。
追い打ちをかけるように、友人は言う。
黙ってくれてればいいのに、と心底思った。
「あれ、知らない?副会長って結構人気あるんだよ」
「……まあ、分からなくもないけど」
「優しいしさ、めっちゃいい人って感じじゃん。女の子っぽいけど顔だって良いんだし。なにより、浮気とかしなさそう」
「しなさそうなのに、奪えって言ってんの?矛盾してる」
「あはは、そうだねー」
あはは、じゃねえ。
思わず喉から出そうになった。
自分がどれほど無責任なこと言ってるかなんて理解してないのだろうと、美弥は必死にヒクつくこめかみを押さえた。
「つーか接点ないもん。逆ナンなんかしたくないし」
「それは大丈夫」
何が、と投げやりに吐き捨てる。
「生徒会に入ればいいじゃん。桐生先輩は帰宅部だし、柊木先輩って副会長だから二人きりとかなれるかもよ?」
「……っ」
どくん、と心臓が跳ねた。
二人きりとか単純な言葉で、一気に妄想が頭の中を駆け巡る。生徒会室に二人で談笑する画とか、寄り添って書類に向かう後ろ姿とか。実際そんな仕事があるのか知らないけれど、それでも脳内に焼き付いたイメージが強烈過ぎた。
そんな些細な瞬間を、友人は見逃さなかった。
見た目とは違い、頭はそれなりに良かったりする。それなりに偏差値の高い高校に受かっているのだから、当然と言えば当然である。
「まあ好きかどうかは別にしてもさ……ちょっとくらい近づいてみるのはアリでしょ」
「……いやいやいや。ヤバいって、マジで」
何がヤバいのかなんてもう分からなかった。
ぶんぶんと首を振って、頭に残ったイメージを振り払おうとする。が、なかなか出て行ってはくれない。
傍から見れば動揺しているのが丸わかりではあったが、友人たちはあえて突っ込まなかった。本心では気になっているくせに、と生暖かい目で見るだけで、彼女たちは彼女たちなりに美弥の力になりたいだけ。
要は、素直になれない友達のために人肌脱ごうって話なのだ。
「じゃあさ、こうしない?」
「……なに」
ラチがあかないと見たのか、それとももう少しで落とせると踏んだのか。
友人は美弥に向き直って、はっきりと言った。
「生徒会には入る。推薦がいるけどアタシらが何とかするし、大変かもしれないけど内申とか色々メリットはあるでしょ?」
「うん、まぁ……」
「そんで、最初は普通に接してみればいいんじゃん?嫌なら別に仲良くならなくてもいいしさ。それで―――」
言いかけて、周りを見る。
黙って聞いていた友人たちの顔は一様に「言っちまえ」と言外に語っていた。
「気になるなら、迫ってみれば?」
「……ん」
美弥は「あくまで気になるならね」と釘を刺した。
ようやく体を起こして、深く椅子に座る。
いつもならここで「やっぱ気になるんじゃん」と茶化す友人たちも、流石に空気は読んだ。これ以上言ってまた美弥が拗ねるのは可哀そうだ。
「ま、応援してっからさ」
「……うるさい。マジで」
また頭を撫でられる。
今度は払わず、されるがまま。
「……うざぁ」
美弥の口から出たのは、そんな中身のない悪態。
もちろん、そんな事は思ってなかった。
このウザい、は「ありがとう」と同じ意味なのだ。
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