#49 好意の伝達法
僕は名越に「そのお客さんがもしも来店して、不在に気づいて僕はどうしたのかと尋ねられたら、シフト変更になりましたとだけ伝えて欲しい」と言うつもりだった。
しかし、それだけでは済みそうにない。
名越はそのお客が女性であることを知ったからには当然、どんな人物なのかを掘り下げてくるに決まってる。
「そのかたは、おいくつぐらいなの、モブくん?」
刑事の尋問が始まったぜ、やっぱり。
「うーん、正確なおとしは知らないけど、パッと見はアラサーって感じかな」
「と言うことは、もちろん社会人よね。どんなお仕事なのかしら?」
「服装とかメイクの感じから判断すると、役所や銀行みたいなお堅い仕事では絶対なさそうだな。
柄物のワンピースとか、原色系のニットとか、いつも派手めのスタイルだから、わりとくだけた仕事、もしかしたら水商売のかたかもしれない」
「そう。で、モブくんにはどんな感じで接してくるの?」
「彼女、いつもオーダーはほかのスタッフではなく僕が通りががった時にだけするんだ。で、そのついでに僕のことをあれこれ聞き出そうとするんだよな。
下手に教えてしまうと大学まで来て待ち伏せされそうな気がするんで、これにはさすがに『お答え出来ません』ときっぱり断っているけど、そうすると『水臭いのねぇ、お兄さん』と露骨に悲しそうな表情をするから、正直言って困ってる。
なんか、そう言った自分がえらく薄情者なのかなと思ってしまうんだ」
「だめだよ、それは。向こうの思うツボだから」
「だよな。だから、そのひとの前では心を鬼にして、ツンを通しているよ」
「それぐらいでちょうどいいのよ。ほかにはどんなことを聞いてくるの?」
「彼女、現代の若者の実態を詳しくリサーチしたい、時間をかけて僕のヒアリングをしたい、ついては今度店の外で会ってほしいとかなんとか言うんだよな。
でも、それってどう考えても調査にかこつけた
彼女がもし小説家か漫画家みたいな仕事をしてて、そのネタ探しのためってことならそういう依頼、分からないでもないけど、そんな可能性、普通はないよな」
そう言って、僕は軽く笑った。
「そうね。仮にその女性がそういうクリエイター系のご商売だったとしても、本当の目的は取材というよりは、モブくんと親密になることのほうなのは間違いないでしょう。
それに気付かずにうかうかと引き受けるのは、まったく感心しないわ」
そこで名越は、ひと息入れた。
そして真剣な眼差しで、僕を見つめた。
「でも、モブくんのオトコとしての本音はどうなのかしら。
そのひとと男女の関係になること、モブくんは絶対に受け入れられないの?
それとも案外、オーケーだったりするの?
それが一番、重要な問題だわ」
思わぬど直球、150キロのストレートボールが、僕の胸元に飛び込んで来た。
「えっ……」
僕は思わず口ごもってしまった。
「つまり、もしその女性に僕への好意があった場合、僕がそれを受け入れられるかどうかってこと、かな?」
「そうよ」
名越はひとことで返した。
「そう言われてみると、どうなんだろう、すぐには答えられないな。
そのひとはおそらく自分より10歳くらい年上なんだろうが、歳の差が彼女を愛せない理由になるとは思っていない。
さらに言うなら、彼女が仮に独身でさえなかったとしても、それが愛せない理由にはならないと思っている。
僕だってフランスのマクロン大統領とか、あるいはジョン・レノンみたいな恋愛を理解できる。十分アリだと思っている。
年上だろうが、婚外だろうが、異人種だろうが、恋愛の妨げにはならないと思う。
本当に好きになってしまえば、それらは瑣末な問題だ。
とはいえ、それが自分の問題となると、そういう道ならぬ恋愛の経験がまったくないだけに、果たしてすんなりと受け入れられるかどうか。
はっきり答えることは、難しいという気がするよ。
だから、その
判断を避けたい、というのが本音かもしれない」
「今は特に付き合っているひとはいない、モブくんでも?」
またしてもド直球で攻め込まれた。きょうの名越投手は切れが良すぎるな。
僕は内心の動揺を出来る限り見せないよう、ゆっくりと答えた。
「あぁ、そうだな。
なんていうか、彼女と
名越は人差し指を自分の顎に当てて、こう言った。
「ふぅむ。つまり、こういうことかしら。
ただでさえ、いろんな選択肢が目の前にあってどうしようか迷っているのに、これ以上思案の材料を増やしたくないってことね。
実に賢明な判断だわ」
名越さん、ご明察が過ぎません? なんか怖くなるわ。
ここまで言葉尻を的確に捉えて返しをしてくるって、ある種の才能だな。
その通りなのだ。名越をはじめ何人もの女性が選択肢となって目の前に並んでいる現在、これ以上選ぶ面倒を増やしたくないのだ。
僕はうまい返答が思いつかずに、その言葉に無言でうなずき、肯定の意を表明した。
「分かったわ。そのお客さんの件は、わたしに任せてといて。
遺恨のないよう、わたしがうまくいなしておくから。
もちろん、モブくんのプライベート情報は完璧にガードするから、安心して」
とても心強いお言葉を頂戴してしまった。
てか遺恨って、話が大げさすぎるよな…。
「あ、ありがとう。頼りになるな、名越さんは」
「いえ、どういたしまして。
これはわたしにとってもプラスなことだし。つまりウィンウィンよ」
「??」
「わたし、こう見えてわりと同性の扱いがうまいのよ。
その女性とも、意外と意気投合しちゃったりするかも。
で、モブくんの代わりに、わたしが口説かれたりして…」
これには僕も返す言葉がなかった。
「いくらなんでもそれはないか、アハハ」
自分のボケにツッコみ、陽気に笑う名越。明け透けキャラ、全開である。
周囲に同学の仲間とおぼしき客がいなくて、よかったぜ。
「でもね、モブくん」
名越が急に真顔になった。猫の目のように、コロコロと変わるな、この子。
「選択肢は最初からひとつに絞り込めばいいってものじゃないとも思うのよ、わたし」
何を言い出すんだ、名越。
それって、何をを意味するかと言えば、つまり……。
僕の当惑した表情など気にもかけず、彼女は話を続ける。
「同時に対処可能ないくつかに絞ってから、それぞれの良し悪しを並行して吟味していく作業が必要だと思うの。
世の中には、最初からひとつに決めることのほうを『潔い』とか『純粋』とか言って持ち上げる風潮があるけど、そんなのに惑わされないほうがいいわ。
相手を傷付けないよう、出来る限り配慮しないとダメだけれど、限られている時間を最大限に活用するためには、いくつかの付き合いを並行して続けることも必要だと思うの。
そう、最初からひとつだけなんて、絶対無理よ」
そう言って名越は口を閉じ、視線を下に落とした。
まるでその言葉を、僕だけにでなく、自分自身にも言い聞かせているかのようだった。
ここまで言われてしまえば、名越の言おうとしていることは、今回はいかなニブちんの僕にも理解できた。
そして彼女はひとことも「好き」という言葉を使っていないものの、これが僕への好意の表明にほかならないことも。
彼女は僕に好意を伝えるのと同時に、「でも、あなただけを見ているわけではない。他の男性も含めてひとりを選んでいく」と言いたいのだ。
好意の伝え方にも、さまざまなかたちがある。
「好き」とか「愛しています」とかいった直接的表現をまったく使わずに、それ以上にじかに心に切り込んでくるような反則技だってある。
僕は名越彩美との2度目のランチで、それを思い知ったのだった。(続く)
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