#48 前向きなオタク
彼女は大学入学の時、過去の地味な自分を捨てて大きく変わるため、思い切って茶髪に染めたのだが、世間には女性の自然のままの黒髪にこだわる男性が少なからずいて、もしそんな男性を好きになってしまった場合は黒髪に戻すべきなのか、それともそんな男性を追うのはやめて茶髪のままの彼女を好きだと言ってくれる男性と付き合うべきなのか、という二択。
そういう、究極の二択問題だった。
僕は名越の問いかけに、一瞬ひるんで絶句してしまったが、すぐに体勢を立て直してこう答えた。
「たしかに、それは悩ましい問題だよね。マジな話。
でも、その選択肢だけじゃないって気がするよ、僕は」
「と言うと?」
名越は身を乗り出すようにして、聞き返してきた。
「その黒髪にこだわりを持った男性のことをすっぱり諦めてしまう前に、一度は彼を振り向かせるためのアピールを試してみる価値があると思うんだ。
女性の魅力はもちろん黒髪だけじゃないし、ルックスだけでもない。
知性とかセンスとか性格とか、そういったものが総合してその女性の魅力になってくる。
きみは、そう思わないかい?」
名越はその言葉にしっかりとうなずいた。
「まったく同感よ。ひとの魅力は見た目だけで決まるわけじゃない。
そしてそれは女性だけじゃなくて、男性についても言えることだと思うの」
「うん、そういうことさ。
まずはきみのいろんな魅力を積極的にアピールして、女性の魅力は髪の色だけじゃないってことをその男性に気づかせるんだよ。
それでも彼がきみの魅力を発見できなかったとしたら、それはきみのせいじゃなくて、そいつに女性を見る目がまるでなかったってだけさ。
その程度のレベルの男だったってこと。
そしたら彼をきっぱりと諦めて、次の相手を見つければいいんだ」
名越はにっこりと笑って、こう言った。
「そうね。その通りだと思う。
ありがとう、モブくん。わたし、少し気が楽になったわ。
実は今回の合コンのことでわたし、ちょっと自信喪失していたのね。
わたしって男性から見て、あんまり魅力がないのかなぁって思いかけていたの」
「ちょっとした負けで、そんなにネガティブになる必要はないよ。
すべてのひとに好かれよう、愛されようとすると、そういう肩透かしを喰らってしまうことがある。
けど、全方位で好かれようなんて、僕はあまり意味がないことだと思っているんだ。
自分の良さを大勢に分かってもらうための努力は大切だけど、それでも良さを理解してくれない人々は一定数出てきてしまう。
それはどうしても仕方ないことだと、割り切った方がいいと思うよ。
きみはきみの良さを分かってくれるひとの方だけ向いていればいいんじゃない?」
「だね。そういうふうに思えてきた。
でもモブくんって、人生のことずいぶん知っているひとみたいな発言するよね。
ちょっと意外」
これには僕も苦笑いせざるをなかった。
「なんかえらそうなこと言ってしまったかな、ごめん。
僕もまだまだ、人生の初心者に過ぎないよ。
人生の大きな苦労なんて、
名越は僕の意味するところを瞬時に悟ったようで、急に真顔になってこう言った。
「そうだったね。
今のモブくんは、かなりシリアスな状況なんだった。
わたしこそ、不用意な発言でごめんね。
でも、たった1週間でもひとは大きく変わるものかもしれないよ。
こうして話していると、以前のモブくんにはなかったしっかりとしたもの、意志の強さとかを感じるよ」
「以前の僕とか言って、そんなのろくに知らんだろうが!」
「それもそうだね、アハッ」
僕のツッコミに、思わず笑い崩れる名越だった。
「それはそうと、モブくん自身は黒髪以外認めない派、それとも茶髪金髪オッケーの寛容派?」
ここで名越はいきなり話題を戻してきた。急ハンドルにもほどがあるぜ。
が、実際にその質問をぶつけてこられると、結構メンタルにこたえるものがあるな。
うーっ、どう答えたものやら(汗)。
僕のかつての恋人、みつ
日本人=黒髪とざっくりまとめられがちだが、その色合いにも欧米人ほどではないにせよバラエティがあるのだ。
そして僕がみつ子のことを好きになった理由は、その髪色ではないのは確かだ。
うん、こう答えることにしよう。
「そうだね、黒髪にこだわるってことはないかな。
好きになった女性がたまたまそういうひとだったら、黒髪派になるかもしれないけど、僕はブロンドの外国人女性だって付き合う相手として
国際化社会とかグローバル化の時代と言われるようになって久しいのに、実際には外国の女性と付き合ったり結婚したりするケースはまだまだレアで、メディアでニュースになったりもする。
『せっかく10年の長きにわたって英語を勉強しているんだから、語学の応用も兼ねてガイジンの彼女ぐらい作らんかい!』って自分を鼓舞したくなるね」
「そうなんだ。さすがIT時代の申し子、モブくんらしい発言だね。
わたしもその意見には賛成。
日本ってなんのかんの言っても、今も精神的には鎖国状態にあるムラ社会で、国際化とか言っても上からの掛け声だけで終わり。
『国際結婚』なんてよその国では日常茶飯事なのに、日本ではまだ珍らしがられたりする。特に地方では。
外国人と付き合ったり、一緒に暮らしたりするということは、異文化との衝突を余儀なくされるってことでもあるよね。
でもそういう経験を通じて、他の国々とうまくやっていく知恵も生まれてくるんじゃないかと思うよ。
黒髪の日本人以外と結婚したくない、なんていってる場合じゃないと思う」
「同感だよ。日本人は、そろそろムラ意識を捨てて本当の開国をした方がいい。
まぁそれでも、母国語でのコミュニケーションが一番ストレスが少なくて済むのも事実だから、欲をいうなら日本語を喋ってくれるガイジン女性と付き合うのがありがたいんだけどな」
「ホンネ100パーセントの発言、ありがとうございます」
「ハハッ」「フフッ」
僕と名越は、顔を見合わせて笑い合った。
「とにかく、モブくんがオタクにありがちな『黒髪
「そう? でもその言い方だと、僕ってオタク確定ってこと?」
困惑を隠せない僕。
「うん。でもオタクはオタクでも、しごく前向きなオタクね。
コミュニケーション能力があり、普通に恋愛もして、結婚もして。でも情熱を注ぐ対象は別に持っているようなオタク。
卑屈にならず、自分に自信を持っているオタク。
そういう前向きなオタクこそが、オタク界を牽引していくのよ」
「そういう見方もあるのかな。なかなか面白い考え方だとは思うけど」
「だから、モブくんにはまたライトノベルを書いて欲しいの。
1作めにはあまり自信がないってモブくんは言ってたけど、誰だって最初はそんなものよ。
手探りしながら、始めていくものだと思う。
2作めを書いたら、ぜひわたしにも読ませてちょうだい」
そう、やんわりとお願いをされてしまった。
僕は頭を掻きながら答えた。
「う、うん。
今しばらくはこんな感じでスケジュールが立て込んでいるから無理だと思うけど、落ち着いたら着手しようかと考えているよ」
「それはよかった。
わたしはいつでも構わないからね。
気長に待ってる」
名越は頬杖をつきながら、僕の方をニヤニヤと眺めている。
次回作を彼女に、しっかり期待されてしまっている……。
それはうれしい反面、ちょっとしたプレッシャーでもある。
だが、作品を生み出す原動力って存外、こういうふうに「周囲にそれを確実に読んでくれるひとがいる」ってことなのかもしれない。
周囲にまったく促されることもなく、作品を自らの意志だけで書きおおせることは難しい。
そして誰も読まないものを書き続けるよりは、できれば誰かが読んでくれるものを書きたい。
それが人情ってものだろう。
名越に背中を押されたことで、これまでほとんど読み手を意識したことのなかった僕の心にも「誰かに読んでもらいたい」という欲望がようやく芽生えてきたのだった。
それにしても、名越は時おりとんでもない不意打ちをかましてくるよな。
さっきからテーブルの向かい側で「ふゅーちゃー・うぇーぶ」をしきりにめくっている彼女は、本文を精読しているというよりは、どうやら会誌に散りばめられた、美少女たちのイラストを眺めているみたいだ。
となれば、彼女の次の話に上ってくる可能性の高いトピックとは…。
「巨乳」
これ一択だろ。
僕の危機感知センサーが、赤信号を灯した!
「大きなバストと小さめのバスト、どちらがお好き?」
名越が、湖から湧き出た女神さまみたいな質問を突然僕に突きつける未来が見えた。
そんなの、真顔で答えられるかよ!
これはマジで回避しないと!
僕はあわてて、新たな話題を振った。
「名越さん、そういえばきょうも『
名越は会誌から目を上げて答えた。
「うん、そうよ」
とりあえずアルバイトネタを振ったけど、ええと、なんの話をしよう?
うぅ…軽率な判断だったかも。
ええい、
「きょうは金曜日だから、お店もかなり混むと思うけど、そのお客の中にちょっと変わったひとがやって来るかもしれないんだよ」
「ちょっと変わったひと?」
名越の猫っぽい目がキラッと光った。
「あぁ。だいたい1週おきに必ず金曜日にやって来るんだけど、先週金曜は来なかったので、きょう来る可能性が大なんだ。
そのひと、僕がきょう店に出ていないと知ったら、しつこくその事情を聞き出そうとするかもしれない……」
それを聞いて、名越はニヤリと笑みを浮かべた。
「モブくん、もしかしてそのひと、女性じゃない?」
「あぁ…そうだ」
力なく名越の言葉を肯定した僕だった。(続く)
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