Ⅱ.Sprouting
7.起床
いやだな、と思った。
どうにかしたい、と思った。
自分にはその力があると、そう思い込んだ。
空を見上げると沢山の鳥が飛んでいた。
種類は分からない。
おそらく渡り鳥の一種だろう。
あの鳥のようになりたい。
心の底からそう願った。
そうすればきっと、何も考えずに済む。
いやだな、と思った。
どうにかしたい、と思った。
自分にはその力があると、そう思い込んだ。
そんな気持ちがどこかに通じたのか、僕らを取り巻く環境はがらりと変わった。
やがて、僕はそんなことはすっかりと忘れ、平穏な日々を暮らしていた。
そのはず、だったんだと思う。
◇
「……んん」
眩しい。
目が覚めてしまった。
それでも
起きよう。
漸くそう決心して体を起こ、
「……あん?」
そうとして止まる。
体が異様に重い。
よくよく記憶を掘り起こしてみれば、昨晩は「小原風介君の歓迎会」という名目で行われた島の宴会に参加していたし、小原もあれよあれよという間に、とても未成年に勧めるべきではないと思われる炭酸をかなりの量口にしたような気はする。
小原自身は二日酔いをしたなどはことは当然一度も無いわけで、それが一体どういうものなのかは分からないが、とりあえずガンガンと響き渡るような頭痛がしているということはない。
それでも、あれだけ飲んで食べて騒いだ翌日であることには変わりがないし、そもそも昨日は船に乗って島に着いた当日であるにも関わらず、島内一周ツアーを敢行しているのだから、それなに疲れが残っていてもおかしくはない。
ただ、今感じている重みは、それらとは全く違うような気がする。
具体的に言えば体全体が重いという訳では無く、先ほどから右腕のあたりに存在感があるのだ。ちなみに微妙に痺れている。
そんな質感と痺れをもたらした犯人はといえば、
「こいつか……」
小原の右腕を抱き枕にしてなんとも気持ちよさそうに寝入る姿がそこにあった。
ちなみに補足しておけば、彼女の部屋は当然他にある。
小原はゆっくりと右腕を引き抜こうと、
「ああん……そんな乱暴にしないで……」
笑顔。
よだれ。
よし。こいつはここに置いていこう。
決断すると早かった。どうせちょっとやそっとでは起きないだろうと踏んだ小原は無理やり執見を引っぺがし(ちなみにこのタイミングでまたしても「ああん」という寝言を上げていた)、寝ていた布団を利用して簡易的に簀巻き状態にし、隅に積み上げてあった座布団をその上に乱雑に放り投げ、手早く着替えを済ませ、部屋を後にする。そんな一連の流れの中、執見は最後まで幸せそうな寝顔を浮かべたままだった。
◇
「聞いてくださいよぉ~!酷くないですか?この人」
ずびし!という音でもしそうなくらいの勢いで小原を指さし、執見は裁判長に訴える。
そんな言葉を聞いた裁判長改め
「あー……分かった分かった……聞こえてるから。聞こえてるから大声やめて……頭に響くの……」
見事に二日酔いだった。
小原は苦笑しながら、
「紅葉姉さんって弱かったっけ?」
小さく首を横に振り、
「ううん……ただねぇ、ここの酒って強い癖して飲みやすいのよねぇ……それでつい、ね……」
それだけ言ってちゃぶ台の上に乗っていた茶碗を手に取り、残りを平らげる。紅葉の朝食(時間的には昼食に近い)は鮭茶漬けだった。卓上には漬物も置かれている。
執見は紅葉に配慮したのか、やや声のボリュームを絞り、
「風介ったら酷いんですよ。折角私が添い寝してあげたのに、この仕打ち。起きたら簀巻き状態だった私の気持ち分かります?」
結局あの後執見はお昼ごろまで爆睡したのち目を覚まし、一通り大騒ぎした後、自らの力で脱出し、ここまでやってきたのだ。ちなみに、自力で脱出できたのは執見が凄かったのではなく、小原があらかじめかなり緩めにしておいたという部分が大きい。
紅葉は「あー……」と唸り声を上げ、
「まあ、言いたいことは分かった。でも、あれだよね。さくらちゃんは初めから風ちゃんの部屋で寝てた訳じゃないんだよね?」
「はい!忍び込みました!」
堂々と言うことなのだろうか。
紅葉は頭を抑えながら、
「だったら、あれじゃないの?どっこいっていうか。ほら、風ちゃんがホモだったらなんにも嬉しくないでしょ?」
「え、やっぱりこの人ホモなんですか?」
「なんの根拠もない誹謗中傷やめてくれない?」
というかやっぱりってなんだ、やっぱりって。
紅葉は手をひらひらさせながら、
「じょーだんよ。だけど、まあ、そういう可能性もあった訳だから、忍び込むのはやめた方がいいよってこと」
「うむむ……」
唸る執見。それを見た紅葉はぽんと手を叩き、
「そうだ。それだったら、いい案があるよ」
「お、なんですか?」
「単純な話。風ちゃんにちょっとした罰を与えるって訳」
「いいじゃないですか。やりましょうやりましょう」
「いや、ちょっと待ってよ。さっきどっこいどっこいだって言ったじゃないか」
小原はすかさず異議を唱えるが、
「それはそれ、これはこれ」
紅葉の反論にならない反論で打ち消され、
「って訳で、風ちゃんには今日、私の手伝いをしてもらいます」
「手伝いですか」
「そ。手伝い。実は今日ね、私、蔵の整理をしようと思ってたの。だけど、ほら、こんな状態でしょ。だからまあ、良いどれ……労働力確保兼、女の子に酷いことした罰ってことで」
「今奴隷って言おうとしなかった?」
執見は手を叩いて喜び、
「それいいですねー思い知らせてやって下さい」
「あいよ」
「なあ、奴隷って言おうとしたよな?聞いてる?」
そんな再三の訴えは無視という形で処理され、
「って訳だから、私は風ちゃん連れて家戻るけど、さくらちゃんはどうする?見学に来る?」
執見はそれを断わり、
「ごめんなさい。今日これから行く所あるんですよー」
「あれ?そうなの?」
「はい。
「白亜?でもあの子、朝イチで出かけてったと思うけど」
「あ、大丈夫です。どこに行くのかは聞いてるので。現地集合です」
紅葉は「ふーん」と呟く。その意識は半分くらいつけっぱなしになっていたテレビへと向けられていて、
「ま、行ってらっしゃい。あまり遅くならないようにね?」
「はい。分かってます」
その返事で満足したのか紅葉が、
「んじゃ、蔵の整理は風ちゃん一人か。大変だなぁ~」
と呟きながら、空の食器を持って立ち上がる。
「え、紅葉姉さんはやらないの?」
「んー?まあ、やるんじゃないのー」
そんな曖昧な答えと共に廊下へと消えていく紅葉。その後ろ姿はいつもよりも大分だらしなかった。というか、先ほどまではずっとちゃぶ台に隠れていて気が付かなかったが、下は白いショーツ以外何も身に着けていなかった。上は紺色の、明らかにオーバーサイズなTシャツ。適当にもほどがある。小原がそんなことを思いながら後ろ姿を眺めていると、
「あーやっぱり白ですか。そーだよねー。男の子は皆白が好きなんだよね。清純派とか言って」
振り向く。
執見が研究対象の昆虫でも見るような目でこちらを眺めていた。
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