6.宴会

 今思えば違和感はあった。


 帰り道、彼女の足取りは明らかに軽快すぎていた。


 もちろん、彼女を家まで送り届けるといったのは小原おはらだし、そういった手前、詠一えいいちの家からほど遠いところまででも送り届けて、自分は詠一に迎えに来てもらうという形を取ろうとは思っていた。そして、その連絡は当然早い方がいい。だから小原はやんわりと執見あざみに家の場所を訪ねたうえで、詠一に連絡を入れようと思っていたのだが、


「行けば分かるよ」


 の一点張りで、一切答えてくれず、ずんずんと先へと進んでいってしまうのである。そう。この時点でも気が付くべきだったのだ。その足が、小原が帰るべき場所へと向かっていたことが、実は偶然でもなんでもないということに、


 その結果が、


「お、なんだ。さくらちゃんと一緒だったのか。なんだ、もう仲良くなったのかい。若いってのはいいことだね」


 はっはっはっ。


 執見もつられるように、


「えーそんな詠一だってまだ充分若いじゃないですかー。いけいけですよー」


 はっはっはっはっ。


 頭痛がしそうだった。


 そう。何を隠そう執見さくらの家というのはつまり、浪路家のことだったのだ。どうしてそこに住んでいるのかは分からないが、居候のようなものなのだろうか。細かいことは聞かないでおくことにする。ぶっちゃけ、受け止める元気がない。


 そんなパワフルな二人に半ば引きずられるような形で家の中へと連れ込まれた小原は一つの部屋に案内された。昼間にも一度足を踏み入れた大部屋。昼はテレビくらいしか家具の無かったその部屋にはそれなりの大きさを誇るテーブルと、それはそれは立派な料理が、国籍というものを無視して並べられていた。何故カレーの隣に小籠包があるのだろう。


 そして、その卓には既に何人かの先客がいた。皆、まじまじと小原を眺めている。

 詠一が歩み出て、


「紹介がまだだったね」


 やんわりと一人づつ手で指し示しながら紹介をしていく。


「彼女は」


「エーイチィ?私はいいでしょ流石に」


 紅葉くれはが文句を垂れる。


「そっか。そうだね。それじゃ改めて」


 咳払いをして、


「こちらが私の妻。志保しほだ」


 志保と呼ばれた女性は丁寧にお辞儀をし、


「初めまして。詠一の妻です。私のことは気軽に志保でもお姉さんでも、お母さんでも、好きに呼んでくれていいわよ」


 物腰柔らかに結構なことを言ってのける。最初の二つはともかく、最後のは流石に無いと思う。柔らかな印象を受ける垂れ目。ゆったりとした物腰、紅葉と負けず劣らす大きな胸。そして何より年齢を全く感じさせない容姿が印象的だ。波路の年齢から想定するに、小原よりはおおよそ干支一回り分は年上だと思うのだが、全くそんな感じはない。下手をすると紅葉の方がおばさん臭、


「さくらちゃん。今私言外で酷い比較をされた気がするんだけど」


「あ、分かります?あの人そういうことするんですよ」


 二人でひそひそと話し出す。図星ではあるので無視しておいた。


 波路がそんなことは風景と言わんばかりに紹介を続ける。


「んで、隣の彼女が長女の白亜はくあ


 紹介を受けた白亜はぺこりと小さく頷いて、小原の方を伺う。なんだろう。興味があるのだろうか。


「白亜は高校三年生だから……ちょうど風介くんと同じ年齢だね。同い年同士、仲よくしてくれると助かる」


「分かりました」


 快諾し、再び確認。


 母親とは全く印象が違う。同じ血を引いていることもあって美人ではあるが、どことなく儚げな印象を覚えるのは、その肌が日焼けとはおおよそ無縁だからだろうか。長めの黒髪を、取り敢えずまとめてみましたという程度の適当さ加減で留めて、肩口から垂らしている。白いワンピースに灰色のセーターを羽織って、


「ん?」


 そこまで確認して小原は執見に視線を向けて、


「なあさくら?」


「それでですねー……ん?何ですか?」


「いや……もしかしてそのワンピースって」


 白亜がぽつりと、


「私の、です。貸しました」


 やっぱり。


 二人の来ているものがあまりに似通っていたので、どちらかが借りたのだろうとは思っていたが、どうやら執見の装いは普段のものではなかったらしい。なんでそんなことをしたのかは不明だが。


 詠一は頃合いを見計らうように、


「で、となりの彼が長男のそら


 空は軽く会釈して、


「……ども」


 詠一はなおも続ける。


「その隣が次女の優月ゆづき


 優月は空にならいぺこりと頭をさげる。正確な年齢は分からないが、恐らくは小学生か、せいぜい中学生くらいと思われる。


「それで、その隣が、」


 詠一が更に紹介を続けようとすると、紹介を受けようとしていたおじさんが、


「詠一。ワシのことなんかええだろ別に。覚えるなら覚えるし、忘れるなら忘れるじゃろ」


「そうですか?」


 おじさんの言い分も分からなくはない。


 何せ、食卓を囲んでいる人数は軽く十人は超えているのだ。いちいち紹介していたらきりがないというのもうなずける話で、


「ちなみに、あなたは一体?」


 おじさんはがっはっはっと豪快に笑い飛ばし、


「その辺のおじさんじゃよ。まあ、この島の人間はワシを町長と呼ぶが、そんなことはどうでもよかろ」


「町長さんって……」


 思い出す。先ほど町役場でさくらと話し込んでいたのはこのおじさんでは無かった気がするのだが。


 詠一が隣から、


「正確には元・町長さんね」


 おじさんもとい元町長は、


「似たようなもんじゃろ」


「全然違うでしょ。それにいつもは長老って呼ばれて嬉しそうにしてるじゃないですか」


「そうだったかな?ほら、ワシ。歳だから。忘れっぽいから」


 詠一が深いため息をつき、


「あなたに限ってそれは無いでしょ。全く……」


 小原に向き直り、


「まぁ、こんな感じ。後はご飯でも食べながら、紹介していくとして、取り敢えず食べようか?」


「えっと……はい」


 対岸からいくつかのブーイングが飛んできたが、小原と詠一は無視を決め込む。そりゃ、だって、表情が全然真剣じゃないもの。


 小原は紅葉とさくらの間に半ば強引に座らされ、詠一は空席となっていた場所に腰を下ろして、


「えーそれでは。これより小原おはら風介ふうすけくんの歓迎会を行いたいと思います」


 小原は思わず、


「え、そうなの?」


 紅葉が気分よさそうに、


「そうよぉ~?歓迎会なんだからねぇ~」


 顔は真っ赤。息は酒臭く、手には既に何度かおかわりをした気配のあるジョッキ。フライングも甚だしい。


 紅葉が良い気分で、


「そうだ。風ちゃんになんか一言貰おうよぉ~」


 その提案に何故か詠一も、


「お、そうだね。それはいいかも」 


 周りの面々も声の大小はあれどそれに賛同の意思を示す。どうやら退路は塞がれているらしい。仕方ない。小原は一つ覚悟を決めて、


「えー……今日はなんだか豪華な歓迎会を開いていただきありがとうございます。この島に来たのは十年……もっとかな?ぶりなので、覚えていないことの方が多いですが、三週間くらいいますので、仲よくしてくれたら嬉しいです。それじゃ、えっと……乾杯?」


 首を傾げた閉まらない閉め。それに回りが、


「乾杯!」


 と元気よく会わせてくれたので何とか挨拶が完成した格好だ。小原はほっと心の中で胸をなでおろし、腰を下、


「ほら、風ちゃんこれ」


 した瞬間。紅葉からグラスを手渡される。中身は炭酸のようだ。


「あの、これって」


「んー?ジュースみたいなもの。ほら、未成年だから。そういうのにしておかないと」


 そんなことを言ってのける。


 小原は改めてグラスの中身をのぞき込む。パッと見ではよく分からない。炭酸ジュースのように見えなくもない。


 反対側の隣から執見が、


「ほら、いっき。いっき」


 紅葉がそれに乗っかる形で、


「風ちゃんの!あ、ちょっといいとこ見てみたい!」


 うるさいわ。


 小原は最終確認のように詠一の方を見ると、なんとも楽しそうに眺めていた。その手にはグラスは無い。素面の状態で彼のお墨付きがあるのなら、まあ良いだろう。そういう事にしておきたい。


 小原はグラスの中身を一気に飲み干し、


「おかわり!」


 と叫んでみせる。当然その中身が変わった炭酸ジュースであったことは言うまでもなかった。

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