5.間接
開放状態になっていた校舎に入り、一通り見て回った後、校長先生に挨拶までしていたら大分遅くなってしまった。
すっかりと忘れていたが、ここは
しかもその上に、田舎なものだから二十四時間営業のコンビニがあったり、残業前提の会社員たちが、高層ビルの電気を灯したりしているということはないため、自然光が無くなるといとも簡単に真っ暗になってしまうのだ。
一応、街灯の類はあるのだが、びっくりするくらいまばらだ。恐らくは車を運転する人用に設けられているもので、この時間にライトを点灯することが出来ない自転車に乗る人間用に備え付けられたものではないだろう。
小原は正直、想定しておくべきだったと悔いる。長い間乗っていないと言っていた。それなりにメンテナンスされている気配があったスポーツセダンですらエンストさせてしまった詠一の持ち物だ。ライトの電池がきちんと変わっているはずだろうというのはあまりにも虫の良すぎる期待だった。もっとも、向こうはこんな時間まで遠出することを想定してはいなかっただろうが、
そんな訳で、すっかりと暗くなってしまった夜道を、田舎とはいえ、
「さあ、ここで解散だ。おっと、睨むなよ。俺は別に帰り道のエスコートを頼またわけじゃない。一人で帰りな小娘。暗がりに気を付けるんだぞぐへへ」
などと言って送り返すのは流石に気が引けたので、
「送ってくよ」
そう声をかけた。
一応、理由は他にないでもない。
まだ、彼女の要求であった「飲み物の奢り」という願いをかなえていなかったのだ。
小原はこれからここに三週間滞在するわけだから何も今達成しなければいけないという訳でも無いし、彼女が満足しているのならそこまで気にすることでもないのかなと思ったりもしたのだが、寄り道だらけであったとはいえ、一応島の内部を八割がた(一部回っていない部分はまた今度と言われた)案内してくれたわけで、その恩に報いないのはやっぱり後味が悪い。
恩を受けたら必ず返さなければという必要は無いと思うが、恩を受けた小原自身がそうしたいと思っているのならば、やっぱり返しておくのが良いと思う。その方が精神衛生的にもいい。明日の寝起きも良くなりそうだ。
そんな帰り道のさなか、
「あ、ほら!自販機!ここ、面白いんだよ~」
ててて、と歩み寄っていく
この一日ずっと一緒に行動して分かったが、彼女は実に自由だ。行動もそうだが、その内面が自由なのだ。なんというか、縛られていない。恐らくは受験に失敗したのではないかと思われるのだが、その感じは全くない。そんなことよりも目先の面白いことを探すことの方がよっぽど重要らしい。
羨ましいと思った。
「ほらほら。これ見て……風介?」
「ごめん。なんだって?」
小原は自販機を指さす執見の隣に並び、
「抹茶プリン?」
抹茶プリンだった。正確には抹茶プリン味。シェイク的なものなのかと思ったのだが、信じがたいことに500mlのペットボトルに入っている。その色は完全に市販の抹茶プリン。ラベルにはどこかで見た炭酸飲料の名前が書かれている。
小原は救いを求めるような目で、
「え。なにこれ。抹茶プリンがペットボトルに入ってるってこと?」
執見は首を横に振り、
「ううん。抹茶プリン味。炭酸の」
蜘蛛の糸はぷっつりと切れ、救いを求めた手はばっさりと切り捨てられた。小原は改めて自販機を眺める。そこにはよく見かける飲み物の他に、どこをどうしたらそうなってしまったのだろうという類の、要はゲテモノ飲料がいくつか並んでいた。執見が指し示した抹茶プリン味の炭酸もその一つで、
「私これにする。奢ってくれるんだよね?飲み物」
「は?」
ぐりんっという音がしそうなほどの急旋回で執見に視線を向ける。そこに込められた意図は「こいつ頭おかしいんじゃないの?」だ。鏡を見てみないと分からないが、我ながら酷い顔をしているのではないかという自信がある。執見はそれでも全くひるまず、むしろははっと笑い飛ばし、
「いや、美味しそうだとか思ってるわけじゃないよ?ただ。気になるじゃん。こういうの」
なるほど。
言い分は分かった。いいだろう。どうせ飲むのは
「ほい」
執見に選択権を渡す。それを見た彼女は、
「五百円……よし。それじゃあこのいかにも偏差値が低そうな、シュワシュワでアルコールなあんちくしょうを、」
「そういや、さっきの曲がり角に交番あったな。ちょっと行ってくるか」
「すみませんほんの出来心です警察だけは勘弁してください」
縋られた。
ため息。
「行かないって。だからさっさと選べ。時間切れになっちゃうだろ」
「はい」
執見は幾分沈んだ声で返事をして、ぽちりとボタンを押す。
「ルーレットスタート!」
とうてい今の時間帯にはそぐわない音声が流れ、自動販売機に備え付けられていたルーレットと思わしき文字列が目まぐるしく変化し始める。やがてその数字は「7」「7」「7」と揃い、最後の文字盤がゆっくりと停止しだす。どうせあれだろ?「7」になると見せかけて「8」とか「6」に、
「おめでとうございます!」
「……はい?」
その数字はなんと全てが「7」で止まっていた。
「大当たりです!もう一本お選びください!」
「え、マジ?」
「マジみたいよー?ほら、選ぶ選ぶ」
執見はぐいっと小原を自動販売機の前に押し出す。その表示板は一銭も入れていないのに全てにランプが点灯していた。小原はこほんと咳ばらいをして、
「んじゃ、この偏差値低そうな、」
「あ、おまわりさ~ん!こっちですこっち」
「やめて警察呼ぶのやめて」
小原は思わず執見の肩をがっしりと掴んで止めにかかる。見渡す限り、警官どころか人すら見当たらない。小原は気を取り直して自動販売機に向かいなおり、なじみ深い炭酸飲料を選択する。ガチャン!と、大きな音がする。ありがとうございました!と一銭も払っていない客に清々しい例をする。健気なものだ。
小原は炭酸のボトルを取り出し、キャップを開け、
「まっずー!!」
悲鳴に似た感想。
執見だった。
いつの間にか彼女の手元には「抹茶プリン味の炭酸飲料」が握られていた。その内容量はほんの僅かだけだが、減っていて、
「そんなにか」
執見は子供が苦手な食べ物を無理やり食べさせられた後のような顔で、
「くそまじいっす」
だろうなと思った。そして、そこまで言われると微妙にその不味さが気になった。世のゲテモノ飲料はこうしてそこそこの売れ行きを出していくのかもしれない。小原は開封したばかりの炭酸を差し出しながら、
「ほれ。口直しするか?それ、ちょっと飲ましてくれたら少し飲ませてやるよ」
「うう……ありがと」
執見は一切の冗談を挟まずに差し出されたボトルを受け取り、代わりに自らの持っていたゲテモノを渡してくる。色からして不味そうだ。
小原はそれをぐいっと喉に流し込み、
「うわぁ……」
最初の味わいはそこまで酷くない。結構本格的な抹茶プリンの味をしているのだ。これだけなら多分、リピーターが付くことも有るだろう。
問題はその後だ。何を間違えたのか、ベースとなる炭酸飲料の科学的な甘みと、妙にきつい炭酸が後からやってくるのだが、それとの相性がまあ悪い。個々ではそこまで問題がないのに、組み合わせたせいで最悪になっているのはどこかのキャラメルを彷彿とさせる。あれとは違い甘い物同士なのはまだ救いか。
小原は最初の一口だけで満足し、そのボトルを執見に、
「ほれ。返す……ぞ?」
渡そうとして気が付く。その視線がどことなく楽しそうなことに。と、いうかにやけている。
「なんだよ。そんな変な顔してたか?」
執見は尚も楽しそうにしながら、
「別に-―?あ、これありがとね」
ボトルの交換を要求する。小原は彼女からまともな飲み物を受け取ってすぐに一口飲み、
「いやぁ……やっぱ普通が良いわな」
そんな顔を、なお楽しそうに眺める執見。何だろう。何がそんなに楽しいのか。小原はなおも残る酷い後味を消し去ろうとして炭酸飲料を口に含み、
「あ、それ間接キスですねー」
ぶふおぉ!
思いっきり吐き出してしまった。
「がっ……げほっ!お前、何を急に」
「いやー?事実を述べただけだよー?」
そうしらを切る。だが、目は違った。明らかに「してやったりという」という感じの色が、
「それなら、そっちも間接キスだな」
「へっ?」
だから、軽い仕返しをしてやる。そして、
「さ、帰るかー。晩飯に間に合わなくなったら大変だしなー」
すたすたと歩き去る。暫くして、
「あ、ちょっと!待ってくださいよー!」
どこか気の抜ける声が聞こえる。その手が、ゲテモノ飲料を大事そうに抱えていたことに、小原は最後まで気が付かなかった。
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