3.遭遇

「天使、ねぇ……」


 小原おはらは疑いの色を込めまくった視線を女の子に向ける。しかし彼女は、


「そうですそうです。天使です。私は天使なのです。アーメン」


「叱られるぞ、どっかから」


 呆れる。


 顛末はこうだ。


 小原と遭遇した彼女――ちなみに名前を執見あざみさくらというらしい――は主張する。自らは天使なのだ。ただ、今はちょっと下界の空気にあてられて、その力が失われているだけなのだ。だけど自分は天使で、あなたの願いも何でもかなえてあげられるのだ。さあ、あなたの願いはなに?聞いてあげるわよウフフ。


 嘘くさいとしか思わなかった。


 初対面でこれとはちょっと……いや、かなり痛い子だ。あれか、巷によく言う「中二病」ってやつ。


 もっとも中二病にしては大分年齢が行ってそうだ。身長は小原より一回り小さい。顔は美人というよりは可愛い系だが、とにかくコロコロと表情が変わる。百面相か。ちなみに困ったときはペ○ちゃんよろしく舌をぺろりと出す。


 体のラインはお世辞にも発育が良いとは言えず、良い言い方をするならばスレンダー。悪い言い方をするならば幼児体型という感じ。そんな身長以上に小さく感じる体を目いっぱい使って会話をするのだが、まともに相手をすると疲れそうなので、ほどほどに受け取っている。


 で、


「小原さんはどうしてここに来たんですか?」


 何故か興味津々。はぐらかしたらはぐらかしたで面倒そうなので、一応真面目に答えることにする。


「いや、前にこのへん住んでて。まあ、思い出の地って感じ」


「ここがですか?」


「そう。悪い?」


「いや。悪くはないですよ。でも、何ていうか面白い所に思い出があるんですね」


 お前が言うなよ。


「それで、具体的にはどんな思い出が?」


「や、ここっていうか、具体的にはここに住んでたやつに会おうかなって」


「彼女ですか?」


「違うわ。男」


「ホモですか?」


「帰っていい?」


 執見は両手をばたばたさせて、


「あ、待って。冗談です、冗談」


 ため息。


「前はここに小屋があってさ。そこに偏屈な爺さんが住んでたんだよ。ま、流石にもう居ないみたいだけど」


 隅々まで眺める。それなりの広さはあるが、小屋が立っているのに見逃すほどではない。やはりもう無いのだろう。椿は、まあ、亡くなったか。


 それを見ていた執見はぽつりと、


「はー……それって、椿つばき菊之助きくのすけのことですか?」


「……え?」


 全身の血が抜けるような感覚。陽の光も当たり、暖かいはずの丘の上で、小原は心なしか肌寒さを感じ、


「あ、当たってました?」


「いや……まあ、そうだけど……」


 そこまで言って、心の中で後悔する。そんな情報を与えてよかったのか。さっきは執見を「中二病を未だに引きずっている不思議系少女」として処理したが、それが正しい保証なんてどこにもない。現実と虚構の境目が曖昧になっていく。思い出したように背中を一筋の汗が伝う。執見は笑いながら、


「そんな構えないでくださいよー。この島ですよ?それくらいの情報は筒抜けですって。どこに誰が住んでるとか。誰が亡くなったとか」


「そう、だよな」


 そう。ここはそういう場所だ。ここに限らずある程度閉鎖的な村なり町というのは、得てして様々な個人情報が筒抜けだ。それを人の暖かさと取るか、おせっかいと取るかは一次第で、詠一は暖かさと解釈したからこの島に住んでいるのだろうし、母はおせっかいと感じたから今は本州にいるのだろう。


 だから、ここに誰が住んでいたのか。そんな情報を執見が知っていても何にも不思議はないはずなのだ。


 小原は僅かに残る違和感をねじ切って捨て、


「んで?やっぱり椿はもう?」


「ええ。残念ながらお亡くなりなったらしいです」


「そう、なんだね」


 改めて、桜の木を――より厳密に言えば、その下にあったはずの小屋を幻視する。もう、ここには秘密基地はないらしい。小原は両手を合わせ、今はこの世にいない、凡そ誰にも死を悲しまれなかったのではないかと思われる椿に向かって黙祷をささげる。そのやり方があっているのかは分からない。ただ、大事なのは形式よりも心の持ちようだと思う。


 どれくらい経っただろうか。心の中ではそれなりに経ったような気もするし、実際は一分も経過していないような気もする。小原は黙祷を切り上げ、執見に、


「んで?君はまだここにいるの?俺はもう帰るけど」


 執見は小さく首を横に振り、


「いいえ。もう目的は済みましたから」


「あ、そうなの?」


 そこで漸く小原は一つの可能性に思い至る。


「あ、もしかして執見さんって、」


「さくらで良いですよ」


「え、でも」


「さくらで良いですよ」


 にっこり。その笑顔にはどこか有無を言わせぬ迫力があった。


 ため息。


「……さくらはさ。もしかして、椿の親戚だったりするわけ?」


「うーん……」


 執見は視線を彷徨わせたのち、


「いちおう」


「何、一応って」


「遠い親戚、なんです。ほら、全員に関係がある人の葬式でしか会わない系の」


「あー……」


 何となく腑に落ちる。小原にも覚えがある。凄く親し気にしてくるんだけど、ぶっちゃけ誰か分からない「大きくなったねー」以外の言葉をしゃべろうとしない親戚。


「まあ、何となく分かった。でも、それだとしたら何でここに?」


 小原は視線を海の方へと移し、


「ここの景色、凄く良いんだって、教わったんで」


 なるほど。


 それは確かにわざわざ来る理由にはなる。


「後はまあ、お祈りですかね」


「お祈り?ご先祖様に?」


「そんなとこです。後、この桜に」


 指し示す。確かに拝みたくなるくらい立派な木だ。


「この島、元々は桜がいっぱい生えてたらしいんです。だけど、今はもう、この木だけらしくって。だから、こうお願いごとを」


「何の?」


 執見はすらっとしすぎている自らの体を恨めしい目で見つめ、


「もっと大きくなりますようにとか」


「あぁ……」


 それは確かに重要なことだと思う。胸はやっぱり大きい方が良い。


「小原さんも、」


 そこで執見は言葉を切って、


「下の名前って何て言うんですかー?」


 そういえば教えていなかった。


風介ふうすけ。小原風介」


「ふーすけ……えへへ」


 なんだか締まりのない顔で笑う。そんなに風介という響きが気に入ったのだろうか。不思議な子だ。


「ま、好きに呼んでくれ。取り敢えず、俺は帰るよ」


 小原はそう言い切る前に、階段と坂道の中間に位置する小道に足を踏み入れる。

 どこかへトリップしかかっていた執見は慌てて、


「あ、待ってくださいよ。私も行きますって」


 後をついてきた。

 


               ◇


 行きはよいよい帰りは怖いなんて言葉がある。小原はその意味も語源も由来も一切合切全く知らない。ただ、ひとつだけ言えるのは、その言葉を今、ここで使いたい気分であるということだ。


「あ、駄菓子屋のおばあちゃん!おーい!」


 ぶんぶんと手を振る執見。声をかけられた老婆はその姿を認めると一瞬動きが止まり、瞬きをし、やがてにっこりと全てを包み込むような笑顔を浮かべ、手を振り返してくれた。その笑顔の先には当然小原もいるわけだが、


「ねえ、執見」


「さくらで良いよ」


「さくら?」


「はいはい」


「取り敢えず降りてくんない?」


「えー」


 現在の状況はこうだ。小原が詠一から借りた自転車を漕ぐ小原と、その荷台部分に無賃乗車する執見。ちなみに彼女はバランス感覚に優れているのか、小原にしがみついてきたりはしない。大したものだ。もっともしがみついてきたとしても、押し付けられるのはまな板でしか無い訳だが。


「……今いわれのない批判をされた気がするんだけど」


「気のせいだろ。いや、実際すげー疲れるんだよ、これ」


「鍛え方が足りないんじゃない?」


 紅葉みたいなことを言うやつだ。小原は降ろすことを諦め、


「分かった。んじゃ、せめておとなしく乗っててくれ。バランスとるのが難しいんだ」


「んー……分かった。大人しくしてる」


 執見はその要求をのみ、


「えいっ」


「あん?」


 思いっきり小原の腰に手をまわして抱き着く格好となる。ちなみに重ねて説明しておくと彼女の胸はそれはそれは断崖絶壁であらせられるため、あまりラッキースケベ感はない。


「言外にそこはかとない誹謗中傷を感じるんだけど」


「気のせいだろって」


 沈黙。自転車のタイヤが回る音が心地いい。相変わらず空は大自然を感じさせる青さだ。


 やがて執見が、


「ねえ」


「なんだ?」


「どれくらいここにいるの?」


「三週間くらい」


「そっ……か」


 腰に回った手に力がこもり、


「短い間だけど、よろしくね」


「おう」


 小さく答える。その背中には、未発達ながら女性を感じられる二つの柔らかな、


「私、言外で犯されてない?」


「被害妄想だろ」


 その感触を楽しんでいることは最後まで黙っておいた。小さくてもやっぱり胸は胸なのだ。

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