2.散策
軽トラックの荷台に揺られること十数分。
家の中も案の定と言うべきか、かなり広くて、そして古風だった。今時こんなに畳や木材に囲まれる家というのは都会ではなかなかお目にかからないのではないか。
部屋ごとも無駄に物が置かれておらず広々としているが、その広さの割にはかなり掃除が行き届いている……と思ったらロボット掃除機が充電器に立てかけられていた。
よくよく見れば部屋のところどころにはこれまた全く家そのものと調和する気の感じられない白物家電が備え付けられていた。きっと夏にはフル稼働しているのだろう。あまり風情が無いような気もするが、クーラーに頼るのは軟弱だと言い張って死なれるよりはよっぽどいい気はする。
そんな中の一室が、小原に振り分けられた。長い間使っていなかったらしいが、やはり掃除は行き届いていた。布団と、誰かが使っていたと思わしき使用感のある勉強机、部屋の隅には座布団がうず高く積み上がり、その隣には折り畳みのテーブルが壁に立てかけてあった。割と至れりつくせりだ。当然空調もついている。
そんな自分の部屋も確認した小原は、田舎特有の「これでも食べなさい」という逆兵糧攻めをそこそこで打ち切る形で一つの相談をした。それが、
「これで分かるかな?」
「えっと……多分大丈夫かと」
元々小原がこの島に来たのは、大学受験に無事失敗(と言えるほどの勉強もしてはいなかったのだが)したこともあり、暫くの休養期間という名目で、半ば強制的に送り込まれたというのが正直な所で、つまるところやりたいことなど殆ど無く、せいぜいが面倒な家族と離れられるくらいの思いだったのだが、一つだけ、どうしても行っておきたい場所があった。
あの丘である。
桜の木が生え、そこそこの拡がりがあり、秘密基地のような小屋を備えたあの丘だ。
小原がこの島に住んでいたときには毎日のように遊びに行っていた、思い出の場所。正直な所場所というよりも、そこにいた
そんなもんだから、すっかり当初の里帰りという目的を忘れ、
「風ちゃんそこ好きだねぇ……やめたほうがいいよ?」
と、やんわりとした注意を受けた。それでも小原からしたらやっぱりあそこは思い出の地だし、椿は懐かしき友人のような存在だ。詠一が協力的だったこともあり、無事に目的地の地図を入手することが出来た。しかも、
「これ、使っていいよ」
なんと、便利な足まで借りることが出来た。
自転車である。
先ほどの軽トラックと、エンストしたスポーツセダンの中間くらいに位置する劣化感のただようそれは、長い間使っていなかったのかすっかりタイヤの空気が抜けていた。詠一曰く、
「こっちきた当初はよく使ってたんだけどね。最近はなんか、歩くほうがいいかなって思って、乗らなくなっちゃった。車はまた別の楽しさがあるから乗るんだけどね」
ということらしかった。
そんな理由もあって、小原は今、軽快に自転車をこいでいるという訳なのだった。
ちなみに詠一に借り受けた自転車は、長らく使っていなかった割にはホイールが錆びたりしていることもなく、しかも結構本格的にギア調整が出来るタイプだった。お陰で、そこそこ起伏の激しい島内をサイクリングするのもまあまあ楽しかった。思ったよりも気温が高いから汗は出るけれど。
目的地に向かう途中、何台かの車とすれ違った。
皆最初は遠目で自転車を発見し、その速度を落として徐行運転になるのだが、乗っているのが詠一ではない、見知らぬ男だと分かると、再び速度を上げて走り去っていく。中には、
「それ、どうしたの?借りたの?」
とか、
「君、どこから来たの?」
と聞いてくる人もいたが、大体は小原
そんな幾度ものすれ違いを経た後、緩やかな登りと、緩やかな下りだけだった起伏が段々とキツめの登り一辺倒になる。周りの色が鮮やかな青から、深みのある緑へと変化していく。満遍なく降り注いでいた太陽の光がまばらになっていく。先ほどまで流れていた汗が乾いていく。
心なしか肌寒さすら感じるその道を、小原は無言で登っていく。小さい頃は毎日のようにここを歩いて通っていたという訳だから驚く。子供というのは時に、大人が想像もしなかったような力を発揮するものなのかもしれない。
やがて、浪路に貰った地図にも書いてある「落石注意」の看板に出くわす。すっかり錆び切った支柱の先に、違和感しかない真新しい看板が取り付けられている。その隣に、僅かだが階段が見える。獣道よりはほんの少しだけ人の息がかかったその道は、間違いなく小原が小さいころに通った道だ。この先だ。この先に小屋がある。
「よっ……と」
小原は道端に自転車を止め、改めて秘密基地への一本道と対峙する。
狭い。長い。奥が見えない。滑りそう。
とても人が通るとは思えないその道だが、何故か階段だけははっきりと視認する事が出来た。と、いうか、
「……誰かが登った後、か?」
間違いない。階段の内外お構いなしに伸び切った雑草は、何故か一部だけ綺麗に踏み荒らされていた。草そのものが枯れていないことから、最近のことで間違いない。ここに今も誰かが出入りしているのだ。
誰だろう。
正直椿ではないと思う。正確な年齢は尋ねたことは無いが、十年近く前の時点でもう大分歳を取っていた。ギネス記録では百二十年生きた人もいるというが、それはあくまでマイノリティ中のマイノリティだ。それに、仮に椿がまだ生きていて、しかもあの小屋で暮らしていたとしたら、紅葉はもっと反発した気がするのだ。何となくの勘、ではあるが。
息を吐く。
小原は決心を決めて、その狭き道を慎重に登っていく。バキリと枝が折れる音がする。足を一歩踏み出すごとにガサガサと草が揺れる。もしこの上に人がいるのであれば、気が付かないということはまずありえないのではないか。もしかしたら椿は、そんなことも計算したうえでここに陣取っていたのかもしれない。
やがて、暗かった視界に、一筋の光が入り込む。もう少しだ。小原は大股で階段を登る。光は段々と大きくなっていく。視界が開けていく。
「はぁ……はぁ……」
万年文化部の弊害か、登り切るころにはすっかり息が上がっていた。小さい頃はこれを難なく登っていたというのだから驚く。流石に少しは運動した方がいいのだろうか。紅葉と一緒にランニングはお断り、
「……え?」
顔を上げると、狭かった視界が一気に広がる。そこに広がるのは澄み渡る青い空と、
女の子だった。
白いワンピース。麦わら帽子。腰ほどまでまっすぐのびる、癖のない黒髪。物語の世界から飛び出してきたようなその女の子は両手をあわせ、その前に鎮座する、今まで見たこともないような大きさで、これでもかという具合に咲き誇る桜の木に、ただひたすら祈りをささげている。そして、そんな彼女には、
「翼……?」
翼だった。純白のそれは、確かに彼女の背中から生えているように見えて、
「翼の生えた……女の子?」
刹那。
小原の脳裏に一枚の絵が浮かび上がる。
白い翼の生えた、ワンピースの女の子。そんな絵に、小原は心当たりがある。
その時。
「…………?」
女の子がこちらに気が付き、振り向く。それと一緒に翼も、
「あっ!」
ぽろり。
取れた。
取れてしまった。
白い翼は、全くのハリボテだった。
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