64:せっかく側近候補と仲良くなれたのに振り出しに戻ってしまった。
「その人を傷つけちゃダメだ!! オディオ先輩!!」
俺の声にその獣の巨体がビクリと揺れた。まるで叱られた子供のように。その様子を見て、俺は完全に
「オディオ先輩、ですよね?」
「!!」
また、微かに揺れる巨体。間違いない。これはオディオだ。思えば予兆はあった。まず、人喰い鬼に襲われたという女子生徒。あれは確か、二学期始業パーティの日にオディオに廊下で壁ドンされていた女子生徒だった。夏休みの舞踏会の時や、その時の出来事から俺はオディオが女性に目がない好色野郎だと思っていたが……ここ最近見た素のあいつは特に女性に興味がない様子でギャップを感じていたのだ。そこでなんとなくこう考えていた。もしかしてオディオが女性をやたらと口説いていたのは、女性と懇意にしたいというわけではなく、何か別の狙いがあるのかもしれない、と。その狙いが人喰い鬼と関係しているのではないか、と。
まぁ、これはきっとただの偶然で俺の考えすぎだ。その時はそう思った。でも……今、目の前にいるこの化け物から溢れる邪悪なオーラ。それは明らかに魔族狩りのおっさん達を見つけた時に現れた黒い妖精のソレに酷似している。俺の考えすぎは考えすぎではなかったのかもしれない。
俺はとりあえず、一歩一歩オディオに近づいてみる。オディオはそれに合わせて後ずさった。
「オディオ先輩、大丈夫です。怯えないで。俺、先輩のこと怒っているわけではないですから」
「……っ!!」
俺は恐る恐る手を伸ばす。レックスが制止する声が聞こえるが、大丈夫だ。目の前のこいつがオディオなら、怖がる必要はない。オディオは化け物なんかじゃないのだから。
──しかし、オディオの様子が変わった。
頭が痛いのか、頭部を抑え、膝をつく。
「がぁ、がぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「オディオ先輩!? 大丈夫ですか!? 頭が痛いんですか!?」
「ぐぁっっ!!」
「っ!!」
その時、オディオの鋭い爪が俺の腕を切り裂いた。途端に俺は驚いて足を滑らせる。そのまま後ろに転倒してしまった。熱い、と感じた時にはすでにとてつもない痛みが血液と一緒に溢れてくる。溢れた血液は俺の腕から滴り落ちて、地面で水たまりになっていた。
オディオがピタリと動きを止め、そんな俺の腕から目を離さなくなる。俺は直感でまずいと思った。
「先輩! 俺は大丈夫ですから! い、痛みも大したことないです!」
「あ、ああ、あああ、れ、ん……ぼ、ぼく、は……ぼ、くは……あああああ!!」
オディオは頭を抱えたまま、会場の出口へ去って行く。絶望を込めた声を上げながら。俺は追いかけようとしたが、立ち眩みがしてそれはかなわなかった。レックスがそんな俺の身体を支える。
「レン!! お前、また無茶を!! 血がこんなに……」
「俺のことは大丈夫です。それよりも早くオディオ先輩のところへ! ヘイトリッド家に行きましょう! 一刻も早くオディオ先輩を探すんです!」
レックスはそんな俺に何故か唇を噛み締めた。怒っているような、悲しんでいるようなそんな顔だ。少し黙り込むと、感情を押し殺した声で俺を宥めた。
「いいや。まずは、お前の腕の応急処置が先だ。ヘイトリッド家には余から連絡しておく。応急処置が終わったら、すぐに向かおう。それでいいな?」
レックスは敢えて俺に確認をとるが、その声は明らかにその他の選択肢を許さないものだった。俺は一刻も早くオディオに会いたかったが、頷くしかない。じゃないときっとレックスが泣いてしまうような、そんな気がしたから。
***
簡単な応急処置を受けた俺はすぐさま馬車でヘイトリッド家まで向かった。
雷雨の中のヘイトリッド家はどこか恐ろしかった。すぐにレックスが扉のノッカーを叩く。中から出てきたのは使用人でもなくオディオでもなく、不安そうな様子のアテナさんだった。
「連絡は受けております。こんなお天気の中、わざわざお越しくださって……。それであの、ご用件は……」
「オディオ先輩はいますか?」
俺は直球に聞いた。オディオはこの休日、ここにいるはずだ。一緒に茶を飲んだ時、あいつ自身がそう言っていた。もしいなかったら……きっとそういうことなんだろう。
アテナさんはそんな俺に不思議そうな顔をした。
「オディオ? オディオなら、自分のお部屋に……」
「何をしているんです」
アテナさんの言葉を遮る冷たい声。一瞬、オディオが扉から顔を見せた。その目が確かに俺の腕を見ていたのは分かった。だが、すぐに扉は乱暴に閉ざされる。
「ちょっと、オディオ! お客様がいらっしゃるのにそんな態度……! それに貴方、どうしてそんなに濡れているの?」
そんなアテナさんの声が聞こえた。俺は我慢できずに扉を叩く。
「オディオ先輩! お願いします! 扉を開けてください!」
「オディオ、余がいるぞ。扉を開けろ」
「レックス殿下、申し訳ございません。今の僕は体調が優れない。殿下に弱っている僕を見せることはできません。何卒ご理解ください」
レックスはその言葉に傷ついたような表情を浮かべた。俺は堪らずオディオの名を叫ぶ。しかし……
「レン君、また君のお節介ですか。母上とレックス殿下まで巻き込んで」
まさに氷のような声。思わず怯んでしまった。
「一体何の用で訪ねてきたんですか。僕はずっと自室で読書をしていましたよ。……はぁ、君のお節介にはもううんざりなんです。心底迷惑で仕方ない。お願いだから、今後は僕に関わらないでくれ。もう二度と顔も見たくない」
その言葉を最後に、扉の向こうから何も聞こえなくなった。聞こえてくるのは俺を責めているかのような雷と雨の怒鳴り声だけ。俺はその場で立ち尽くす。
「嫌だ。嫌です、先輩……。そんな事、言わないでください」
弱弱しくそう訴えたが、その扉が開かれることはなかった。
その後の記憶はあんまりない。気づけば馬車の中にいて、酷い顔をしたレックスが俺の手を握っていたのは覚えている。俺はその手を拒みはしなかった。俺もレックスと同じくらい傷ついていたんだろう。
──そしてオディオはその日から、体調不良を理由に学校を休学することになった……。
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