(三)雑貨屋の女主人

 マルガレラ王国に属する街アレリア。

 エスカフォン子爵の収める領地であり、王都から少し離れた場所にあるすこし寂れた街だ。その外れに建つ不思議な雑貨屋が有る。

 小規模な屋敷の一部を改築して店舗としているため、店内はさほど広くない。そんな店で働くのは女主人の他に従業員がひとりだけ。


「お嬢様、修道院より予定の物が焼き上がったとの連絡を頂きました」


 買い物から帰ってきた女性が店内に声をかけると、カウンターの奥からひとりの女性が顔を覗かせる。


「分かりました。では明日一緒に行きましょうか」


 お嬢様と呼ばれた女主人は笑顔で答えた。

 彼女の名前はルシェーナ。茶色に近いくすんだ金髪と整った容姿の若い女性で、ただの雑貨屋の主人というようには見えないほど気品に満ち溢れている。彼女は「呪われた娘」と呼ばれ、母と共に生家を追われてここに住むことになったのは今から八年前のこと。

 間もなく母が他界すると、ルシェーナはここで生活するために小さな店を開いた。

 当初は大した商品も置けず、客も来ないという日が続いた。それでも少しずつ周囲の理解を得て改善し、毎日を生きてきた。そんな「呪われた娘」ルシェーナに、転機が訪れた。


 この日、朝から薄曇りで遠くには雨雲が見えていた。

 夕方には雨が降りそうだ。空を見上げながら、少しずつ強くなる風にルシェーナは店の窓を閉めた。


 バタン!


 半開きだった店の扉が風に煽られて、激しい音を立てて外壁にぶつかった。

 慌ててルシェーナは店の入り口に駆け寄り、扉に手をかけたのだが……。店先で馬の鳴き声を聞いて驚いて手を止めた。


「お嬢! 山の中で死にかけてた奴がいたんだ。辛うじて息はあるが……」


 荷車に乗った男が、ルシェーナの姿を見て呼びかける。

 男の名はジェガッタといい、普段は山小屋で炭を作って生活をしている。彼の焼いた炭を店でも販売しており、また時折店の物を買って行ってくれるという、店にとっては非常に有難い存在だ。


「では、奥の部屋のソファに寝かせて貰えますか?」

「分かった! 血まみれだから布でも敷いて用意しておいてくれ」

「はい! エナ、奥の棚にある布を持ってきてください! それからお湯を!」


 一気に店内が慌ただしくなる。

 大きな怪我をした黒髪の若い男がソファの上に運ばれてきた。

 男は端正な顔立ちをしており、街を歩けば女性たちが放って置かないだろうと思わせる……が。いやいや、今はそんな事を考えている場合ではない。ルシェーナは首を横に振った。

 よく見れば、体のあちこちに傷が有る。これで生きている方が不思議な程……、いや今まさに目の前で命の炎は燃え尽きようとしているのだ。

 ルシェーナは湯で浸した布を絞り傷口を拭くと、店に有った薬瓶の液体を大きな傷口に垂らした。


「……え?」


 想定外の事に、ルシェーナは思わず声を漏らした。エナと呼ばれた女性従業員も背後で心配そうに見守っていたが、口元に手をあてて顔をしかめた。


「効いてねえのか……?」


 ジェガッタの言葉が現状を物語っている。

 普段であれば薬液ポーションにより自然治癒力が増大し、傷口はかなりの速度で塞がっていくはずなのだが、何故か目の前の男には効果が無い。いや、効果はあるようだが非常に効果が薄いと言った方が適切だろうか。


「効いてはいるようですが、このままでは危険ですね。……何故、こんなに……」


 他の傷を見回してたが、原因になりそうな毒物に侵された様子も無い。ふと、左手首にはめられた腕輪ブレスレットが目に入った。


「……これは!」


 驚きのあまり、ルシェーナは身を仰け反らせた。あまりの勢いに座っていた椅子がガコンと音を立てる。


「お嬢様、どうされました?」


 エナが慌ててルシェーナの顔を横から覗き込む。その視線の先にあるものは何か。


「この腕輪……」

魔法付与品マジックアイテムですか?」

「違うわ……。これは、呪詛品カースドアイテムよ……」


 一瞬遅れてその言葉の意味を理解したエナは、恐怖からか半歩後ずさった。

 対照的にルシェーナの表情は一変し、禍々しい気を放つ腕輪を睨むように見詰めている。


「この腕輪が回復を……いえ、生命活動を阻害しているんです……」

「なに……? お嬢は呪いなんて分かるのかい?」


 半信半疑というようにジェガッタが問いかける。


「伊達に『呪われた娘』なんて呼ばれていませんよ……」


 誰よりも『呪詛』を憎み、それ故に人知れず研究を続けてきた。だからこそルシェーナには分かる。この腕輪に込められた呪詛の恐ろしさと意味を。


「解いてみせます!」


 男の命が尽きる前に、腕輪に組み込まれた呪詛を解かなければならない。苛立つ自身を叱咤するように、ルシェーナは自らの頬を両の手で叩いた。

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