創痕! 青い瞳のその先に!
五秒でわかる前回のあらすじ
「山場」
「あれ……なんか……あれ……」
それは、自分の目から、どんどん流れてきた。
別に、悲しいという感情はどこにもない。むしろ、さっきの痛みの中で、夕飯を何にしようか悩んでいたくらいだったし、今日は私はもしかしたら英雄になれるかもしれないから、好物のチャーハンにしようという優越感に浸っていたくらいだったのだ。
脳内に疑問符を増殖させながらも、涙は一向に止まらない。
それを見ていたエルの顔は、みるみる曇っていった。
まずい。めちゃめちゃ心配されてる。
彼は世にも奇妙なほど優しいお方だ。彼が泣いている人間に手を差し伸べなかったら、明日は雨が降るどころか世界の崩壊ぐらいはするだろう。
……あ、これは比喩です。
私は咄嗟に、彼に手のひらを見せて突き出し、ストップの意を示した。
「大丈夫! 涙が出てくるけど、悲しいわけじゃないので! 意思に反して出てきてるので! 全然大丈夫だから! 心配しないで! 今日の夕飯はチャーハンだから!」
私は右手の親指を立てて、にっと笑った。涙は溢れるけど、声は震えていなかった。
「……そ、そっか……それならよかった」
エルも、眉毛こそはハの字であるけども、目を細めて笑ってくれた。
すると彼は、私の肩に置いていた両腕を、背中に回してきた。
……あ、これ、また絞め殺される。
危険を察知した私は、瞬時に全身に力を込めた。
つい数分前に起こった出来事が頭の中に蘇る。
——あれめっちゃ痛かったなぁ……
彼の髪が首に触る。少しくすぐったい。
さようなら、私の肋骨。一体何本逝ってしまうのでしょうかね。そう私は拳を握りしめて、目を瞑った——
「——あがああああああああっ! いだいいいいいっ!」
目の前が真っ白になった。指に力が入らず、握った拳は虚しく開かれてしまった。
何という馬鹿力だ……アメリカ人のマッチョもびっくりだわ。
「あっ……! ごめん、忘れてた……」
エルはパッと腕を私から離す。
こ……これが世に言うデジャヴか…………
「う、嘘でしょぉ⁉︎ そこは期待を裏切るところでしょうがっ……! 期待を裏切れぇ!」
あんなに描写したのにっ!
私は、肋の辺りを抑えて、声を絞り出す。さっきまで流れていた涙は、タイミングも悪く止まっていた。……空気を読みなさい。
「え? ええと……なんか、ごめん……?」
彼はきょとんとした。
……わかるよ、君の気持ちはわかるよ。裏切る期待とか、そんなのわからないよね。空気読めとか思ってごめんなさい。
「い、命がけのスキンシップだった……肋痛い——ん?」
私は、負傷した我が大事な骨の部分を摩っている時、違和感を覚えた。
直接、手が肌に触れている感覚がしたのだ。おかしいな、本来ならそこに服があるはずだが。
私は何気なく、そこに目をやった。
「……えええええええええっ⁉︎ は⁉︎ え⁉︎ はぁっ⁉︎」
なんと、自分は見慣れない服を身につけていたのだった。
私は、今までツートンカラーのティーシャツを着ていたはずだったのだ。それが、なんだこの…………なんだこのマジカルチックな服は!
丈が胸下くらいしかない、前開きの真っ赤なジャケット。
そしてそれよりも丈の短い、Vネックの真っ黒なスポーツブラみたいなもので、胸が隠されていた。
「露出高っ……」
スカートもこれまた真っ赤で、腰の部分にはベルトが巻かれており、その真ん中にさっきのハイジュウの核と同じ緑色の、五角形の宝石が付いていた。
「魔法少女感が凄い……そしてめっちゃ赤いな……」
「あれ、それアルカがやったんじゃなかったの」
エルはキョトンとしていた。
私はもう一度、自分の体を纏っている布をよくよく見てみた。いやあ——うん、赤いな。
「気づいてたの? い、いつから……?」
「うーん……あ、アルカの羽が生える時に、一緒に変わってたよ」
エルは目を細めて笑った。
なぜそんなに嬉しそうにするのだろう。周りにパステルカラーの花が舞ってそうな顔だった。
……下手すれば女の子に見えなくもない。
「そっか……むう……まあ、ティーシャツで戦ったりするよりはマシか……」
私は、服をいじりながら、そう言いい終わった時、ハッとした。
目の前の人ティーシャツじゃん。
私はおどおどしながら、目線だけ上に向けた。
「うん、アルカ似合ってるよ」
彼は、先程と同じオーラを放ってニコニコしていた。
よかった、この人がそういうのを気にする人じゃなくて。
私がほっとため息をついた時、彼の後ろの方から、シュウウウ、という音が聞こえてきた。
「…………ん」
エルの顔が瞬時に険しくなった。アホ毛がピコンと動き、彼は後ろを向いた。いや切り替えが速いな。
私も、彼の体の横からそれを覗いた。
なんと、ネズミのハイジュウの残骸が、湯気を出して溶けていたのだ。
頭も、胴体も、手も足も。同じようにしてその姿がドロドロと液体になっていく。
そして、それらは蒸気と共に消えた。
その跡に——元々何だったかは分からなかったが——白い、丸いものがあったのに、私は気がついた。
「エル! あの子! あれ、あの子だよたぶん!」
私は、右手で彼の腕をちょいちょいと引っ張り、左手でその物体を指差した。
「うん、行ってみよう」
彼は私を見下ろして、微笑を浮かべた。
*
「…………元に戻ってる……‼︎」
私は地面に手をついてしゃがみこんだ。そしてそれを両手に乗せて持ち上げてみる。
ネコと同じ重さだ。真っ白な毛並み。ネズミのような顔。それに見合わず大きい体格。長い耳。
数十分前に出会ったあの形、そのままだった。
「呼吸もしてる! エル! この子生きてるよ!」
私はしゃがんだまま、後ろを振り向いた。エルは思案顔をしていたようだが、私に気づくと目を細めた。
「あのさ、アルカ」
彼は歩いて近き、私の隣にしゃがんだ。
「僕の解釈だけど……改造したのが悪魔だから、ハイジュウの一部に、悪魔の力を使っているのかもしれない。だから、核がアルカに反応していたんじゃないかな……」
私は横を向こうとした。しかし、彼の顔が間近にあることに気づき、やめた。
ついでに、こっそり距離をとった。
「ええと……じゃあ、改造も解除も、悪魔がやればできるってこと……?」
さっきの緑色の六角形を思い出す。このネズミも、あれと同じ温度だった。
「そういうことになるね……今までハイジュウに、僕が一緒に関わっていたのは天使だけだったんだ。だから、わかっていなかったんだけど」
視界の端で影が頷く。
「え⁉︎ じゃ、じゃあ! 私ってもしかして救世主⁉︎」
咄嗟に彼に振り向いて、そんなことを口走ってしまった。
彼は目が合うと、その青色の瞳を細めて、肩をくすめた。
「ははっ、うん、そうかもね」
「えへへ、やったぁ! ねえ、じゃあさ、エル」
私は彼の笑顔に安心して、ふと心に宿っていた、自分の気持ちを言葉に乗せることにした。
「私、もっとちゃんとエルたちのこと、教えてほしい! ハイジュウのことも、悪魔のことも……さっきの魔法も、うまく使えるようになりたいし……」
だんだん、自分の考えに自信がなくなって声が小さくなってきてしまう。一回だけ咳をして、整えてみる。もう一度顔を上げると、エルがそれまでもずっとこちらを見ていたことに気がつき、私の伝える決意が固まった。
「——自分のこと、もっと知りたい。それで、これからちゃんと、エルの役に立てるようになりたい! だから、色々教えてほしい!」
少しの間、静かな時間が流れた。
エルに考えるそぶりはなかった。ただ、私の言葉に何か感じたのだろう、優しい目で、かつどこか遠い目で沈黙した後、相槌を打った。
「……わかった。考えてくれて、ありがとうアルカ。君は——」
膝を手で押し、彼は立ち上がった。
「——君は、革命を起こせるかも知れない」
やけに静かな青空が、彼の顔に陰を落とす。
黒い髪から覗くその瞳は、まるで透過されているかのように、背景と同じ色をして、輝いていた。
春の柔い風が頰を撫でる。木の葉がざわめく。
私には、そんな世界が、こちらに重くのしかかってくるように感じた。
物語のページは、もう既に捲られていた。
私の知らない、ずっとずっと前から。
私には、この本を閉じることができないようだ。
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