宿敵! ハイジュウの悲嘆!

五秒でわかる前回のあらすじ

「悪魔だったりー? 廃獣だったりー? ラジバn」



「——あの子だっ!」


 白い毛。ネズミの様な頭と尻尾。そして、ハートマーク。記憶が繋がった。

 そのハイジュウの容姿は、ついさっき出会った、あの不思議な生き物、まさにそれだった。


「エル! 待って!」


 私は、羽ばたいて行ってしまう寸前のエルの左腕を引っ張った。彼は、驚いた様子でこちらを振り返った。


「あのね、私ね、さっきあの子みたの!」


 エルは二回瞬きした。彼の瞳は、海の底のように、深い綺麗な青色だった。


「でもなんか変な、おっきい人に渡したの! あの子、ハイジュウにされる対象だったんだ……! 逃げ出してたんだ、あの子……なのに、私、何も知らずに……!」


 私は、一つ一つ言葉を探しながら、喉から無理やり空気を押し出すように話した。

 私は、羽を閉じて降りてくるエルから目を逸らした。私の、彼の腕を握る力も無意識に強くなる。


「私、また他人に迷惑かけちゃった……」


 私はなぜこんな事を言っただろう。反省したフリをして、怒られたらスッキリするとでも思ったのだろうか。

 私は、言った後から自分に怒りを覚えた。


「教えてくれてありがとう、アルカ」


 しかし、エルは、全く怒った雰囲気もなく、優しい声を出した。

 それが聞こえた後、途端に目の前が暗くなった。

 私が認識した時には、彼の腕が、私を包み込んでいた。


「巻き込んじゃって、ごめんね」


 さらに強く、彼の胸にぎゅっと抱き寄せられた。

 はは……ハグなんて、小学生の時父にしてもらった以来だなぁ。

 彼の腕の中は、温かくて、何より強くて——

 ——ん……? 強……い……? え、ちょ、ほんと、強すぎ——



「いぎゃあああああああ! いだいいだいいだい!」



 今の一瞬、自分の肋の辺りの骨がミシッと言ったのが聞こえた。そして、視界の端っこで、三途の川がチラッと見え隠れした。

 私は、グーで彼の背中をドンドンと叩いた。


「あっ! ごめん……」


 エルは、私から腕をパッと離した。それと同時に、私は力が抜けて、地面に手をついて倒れ込んだ。

 アスファルトの粒が手のひらに食い込んだ。痛い。


「——っ! けほっけほっ……! あなたっ……! 見かけによらず……ゴリラだったのねっ……!」


 言い訳をさせて下さい。この細身の腕からあんな馬鹿力が出ると思います? 予測できます? 少なくとも私はできませんでした。だから油断ました! 以上!


「ご、ごめんね……あ、じゃあ僕行かないと……」


 触りたいけど触れない、と言うように、彼は手を体の前に置き、何かを抑えるように動作をした。

 ——この状況で⁉︎ 人を殺しかけたこの状況であなた行っちゃうんですか⁉︎

 骨の痛さで、そんなことは口にできなかった。


「大丈夫、僕だけでできるから。アルカは危ないから、ここにいて……ね?」


 そう言って微笑んだ彼は、私が何か言おうとする前に、地面を強く蹴り、大きな翼を羽ばたかせて、飛んで行ってしまった。

 彼の羽から風が送られてくると、地面に映っていた、私のポニーテールの影が激しく揺れた。

 そのあと。私は、あのネズミが動く度に建物が崩れていくのを、そしてそこへ飛行機の如く飛んで行く、銀色の翼を、ただただ眺めることになった。


「けほっ……しまった、足手まといになった……」


 痛みが収まってきたので、アスファルトに手をついたまま、よろよろと立ち上がる。


「さすがに……なにもしない訳には——」


 今の私の脳では、そうとしか考えられなかった。


「——だって、私のせいだし」


 さっき、エルが私の身を案じてああ言ってくれた、ということも理解せず、私は巨大なネズミを目印に、舗装された道を走り出した。


     *


 ——ピュウウウウウッ!


 私が、もうすぐハイジュウの足元へたどり着くと思われる程の距離のところ。

 不意にハイジュウが、脱力したように崩れ落ち、白い巨大な体を地面に叩きつけた。周囲から砂埃がたつ。


「——⁉︎ なんだっ——⁉︎」


 私は足を速めた。

 金属のウロコに覆われた顔が、地面に着こうとしたのが見えた刹那。


 ソレが、空中で、縦に真っ二つに割れた。


「えっ——」


 私は足を止めた。口を開けたまま、それらを凝視してしまった。

 コンクリートの駐車場に、二つの塊が打ち付けられる。

 するとそれが、私との間にあった、幹の太い木にぶつかり、こちら側に、折れて倒れてきた。


「…………! しまっ——! 」


 生き物の切断のほうに気を取られていて、迫ってくるものを認識するのが遅かった。その時には既に、茶色の幹は頭の上にあった。

 メキメキメキッと音を立てながら折れていく幹。私はとっさに両方の肘を曲げて、前腕で頭を守る体制をとった。


 これで助かるわけがないとは、思った。

 しかし、何故だか足が震えて、力が入らなくなってしまっていた。遂に膝までついてしまう程に。

 衝突事故とかも、こうやって体が動かせなくなって、起きるんだろうな——私は光が少しも入らないくらい、ぎゅうっと目を強く瞑った。

 葉が触れ合う音が近づいてくる。私にはその数秒の間が長く感じた。


 そんな風に、死を覚悟したはずだったが、突然、幹の折れる音がしなくなった。


 異変に気づいた私は、木の方を見上げ、薄目を開けた。

 真っ先に入ってきたのは、銀色に輝く二つの羽だった。

 そして、袖だけが藍色の白いTシャツに、バッテンにかけられた黒いベルト。

 そこから伸びた細い腕と手のひらが、私を襲うはずだった木の幹を支えていた。


「エ……ル……?」


 私がその名前を呼ぶと、彼は振り返って、黒髪の下から深い青色の瞳を光らせた。

 私の目は完全に開ききり、彼の顔がはっきり見えた。

 目が合うと、彼は笑った。その顔は、この場にそぐわないような、なんとも爽やかなものだった。

 私は、あんぐりと口を開けたままなのも忘れ、力が抜け、膝をついたまま、ぺたんとお尻をついた。


「よいしょっ」


 そんな私をよそに、進行方向に向き直した彼は、支えていた幹を、脇に抱え直した。彼はまるで、それは高跳びの棒なのかと思う程に、軽々しく持ち上げていた。

 そうすると、木の幹の切れ目で、まだ少しくっついていた部分が、バリバリッと剥がれたではないか。

 ……つまりは、エルが木を持ち上げて剥がした、ということで合っているだろうか。

 そして、彼は、伐採されたと同様な姿にされた木を、そっと地面に置いた。


「い、いやいやいや…………」


 私はつい、声が出てしまった。

 いや、普通そっとなんて置けないし。せめて放り投げてドサッてなるよ。どんなマッチョでもそうじゃない?

 そんな強烈ゴリラパワーを見せても、エルは何事もなかったかのように、また私の方を見、近づいて、膝に手を当てて屈んだ。

 彼の黒い髪が揺れ動くのを、私はぼーっと口を開けて見ていた。


「アルカ、大丈夫? 怪我はない?」


 彼は、私の目の前に、手のひらを上にして右手を差し出してきた。

 私は躊躇して頷いてから、そこへ自分の手を置こうとしたが、とあることを思い出し、すっと手を引っ込めた。

 彼が、私の顔を覗き込もうとしているシルエットが、視界の端に見えた。

 私はそれすら見えないよう、俯いて、膝の上で拳を握った。


「ご……ごめんなさいっ! 言うこと、聞かないで来ちゃって……助けてまでもらっちゃって——」


 どんなに温厚なエルでも、これは許さないだろう——私は、何をされても言われても、当然の仕打ちであると思い、覚悟をした。

 しかし、私の頭に置かれたのは、彼の大きな手だった。彼は、片膝をつき、その手で、頭を優しくポンポンと叩いた。


「ううん、君が無事で良かったよ。危ない目に合わせて、ごめんね」


 はっとして、顔を上げた。エルは今までになく、 優しさオーラ全開の目で私を見下ろしていた。彼の、海の色の瞳に、意識が吸い取られそうになる。


「な、なんで怒らないの……?」


 無意識に声が震えていた。すると、彼は不思議そうな顔をした。

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「え……怒った方がよかった?」


 何故困り顔をするんだろう。こっちの方が疑問なのに。


「いや……でも、怒るようなことしたし——」

「……ん? なにが?」


 彼が首を傾げ、アホ毛がぴょんと跳ねる。

 なにが、とまで言い出したよこの人。


「い、いや別に……」


 何もかも言いづらくなってしまい、私は彼から目を逸らした。

 なんなのこの人の優しさ。いや、これは優しさなのだろうか。見よ、この純粋な瞳を。浄化されて自分が消えちゃうんじゃないかみたいな感覚がするんだ。

 この人存在しません、とか言われても、納得できるかもしれない。優しさの塊だなぁ……これが天使なのか——。

 ……なんて考えていても仕方がない。私は手を地につけて、立ち上がろうとした。そうすると、彼は私の肩を持って手伝ってくれた。

 激しくジェントルマン! なんでだよ! わけがわからないよ!


「あ、ありがとう……」

「ううん、大丈夫だよ。……ごめん、僕まだやることがあるんだ。アルカにはここで待ってて欲しいところだけど……一緒に、行く?」


 彼は指で、肩の上から、彼の後ろを指差した。

 私は、上体を横に曲げて、彼の傍からそこを見る。そこには、先程のハイジュウの頭が、ごろんと転がっていた。

 エルと再び目を合わせると、爽やかな笑顔のまま、こてんと頭を横に、少し傾けた。

 私は、ぎこちない動きで、ゆっくり首を一回縦に振った。

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