学畜! 明るく楽しい個性派クラス!

 コツコツという靴の音。カラカラという自転車の音。銀色の軽自動車が、私たちを追い抜いて行く。今年の桜は、まだ散り終わっていなかった。


「いよーし! 一番乗り!」


 私は校門を通り過ぎて、裸の梅の木の側まで来ると、ステップを踏んで、片足で回って後ろを向いた。


「アイツ……! さっきも走ってたんじゃねえのかよ……!」


 ゼエゼエ言いながら、すぐるも到着した。その小脇には百合ちゃんが抱えられていた。


「……すぐるおそい」

「お前文句言うなら自分で走れよ!」

「百合ちゃん持ってるから、私絶対勝てると思ってた」

「いやアルカも手加減というものを覚えろ! ……あっ……」


 彼は辺りをチラっと見る。周りの他の生徒たちがこちらに注目していたのだ。

 まあ、それもそうである。私が彼らの立場にいても、あんなに大声を出されたら見るに決まってるだろう。


「……あーもう! 今度から競争はなしな!」


 彼は、頭をガシガシとかいた。私と百合ちゃんはお互いに顔を見合わせて、ふふっと笑う。

 私と双子は、それからまた一緒に、教室へ向かうことにした。


  *


 私たちの中学校は、地元民が家が近いから通うような、ごく普通の校舎である。

 制服は、女子が紺色のブレザー、男子が黒の学ランとなっており、靴下は白もしくは黒か紺でワンライン・ワンポイント以内あればなんでもいい。入学初日既に、学生証に記載されていた校則を読み込んでしまった私には、この学校では思った以上に自由が効くようであると理解している。


「そう言えばさあ、すぐるって野球部に入るよね?」


 教室にもうすぐ着くだろうという時に、私はすぐるを見上げ、口を開いた。


「おう! まあ今は仮入部だけど、入る気は満々」


 すぐるは一瞬目を合わせたと思えば、すぐに逸らしてしまう。私は負けじと彼の顔をのぞくように質問をする。


「うちのクラスに同じ野球部の人いる?」

「ああ、いるよ……なんか、やべえヤツだけど」


 そう言うと、彼はなぜか苦笑いした。


「……私も聞いた、昨日」


 百合ちゃんは、今日も今日とて表情を変えない。だが長年の付き合いのせいか、ニュアンスで感情が分かるようになってきている。

 今彼女が感じているのは、興醒めだ。


「へえ! なにがやばいの?」

「あー、見ればわかるかと」


 そんな話をしているうちに、教室の前まで来た。私たちは、ガラガラと扉を開けて入った。


「あ、アイツだよアイツ! ほらあそこの、一番前の」


 私はすぐるが指を指した方を見る。私たちが入ったのは教室の後ろ側だったので、対象の相手の後ろ姿しか見えなかった。

 私は怖いもの見たさで、ソレに近づく。髪がボサボサしていて、ブカブカの新しい学ラン。おまけに猫背でもあるソレは、いくら近づいてもびくともしなかった。


「——おっす、ウツホ」


 すぐるが先に声をかけた。ウツホ、と呼ばれたその人は、それまで顔を机に突っ伏していたが、声をかけられるとゆっくりとこちらに顔を向けた。……頭を机につけたまま。


「……あ……えと……マサル……だっけ」


 完全に寝起きの様子で、辿々しく単語を発する。私は、そんな彼の目の下に真っ黒なクマができていたのを発見した。


「すぐるだ……漢字だけ見るとそうなるけど」

「はは……そうだった……ごめん——死のう」


 そして彼はまた、額を机につけてしまう。


「いや死ななくていいから……」


 すぐるはジト目でウツホくんに突っ込んだ。なんだ、もうそんなに距離が縮まってるのか。でも名前は覚えてない——あれ? 仲がいいのかよくわからないな。

 とりあえず、次は私のターンだ。


「あー……おはようウツホくん! すぐるの幼なじみの、アルカっていいます!」


 すぐるに続いて、私も元気よく話しかけてみる。彼と話すのは、今日が初めてだった。


「……え」


 彼はさっきと反応が違い、ビクッと上体を起こしてこちらを見た。


「……あ……どうも……お構いなく……」


 しかしすぐにテンションが戻り、ペコっと小さくお辞儀をしたがそれがなんともぎこちなかった。例えるなら、壊れたロボットのようで。

 ふと、彼の胸元の名札に目がいった。そこには、「鬱穂」と書かれていた。なんて見るだけで憂鬱ゆううつになってしまいそうな名前なのだろう……なかなか斬新な名字だ。


「鬱穂くんって野球部なの?」

「……え……まあ……一応……」


 相手は眠そうに話すが、聞いているこっちも眠くなりそうな話し方だった。



「……死にたい」



  鬱穂さんは急に不気味に右の口角だけを上げて、笑った。


「……え⁉︎ なに⁉︎ 私悪いこと言っちゃった⁉︎」

「あ、大丈夫だアルカ、こいつ本心じゃないから」

「……ふっ……ごめん……おれ……話苦手だから——あ、寝ていい?」


 彼は小さく右手を上げた。

 このタイミングで寝るんかい、と心の中で突っ込んだが、本当に彼は眠そうだったので嫌とも言えなかった。


「う、うん……おやすみ……」

「……ん……」


 彼は腕を枕にして、また初めのように、机の上に突っ伏してしまった。


「……あ……名前……なんだっけ……アスカ?」

「アルカです」

「……ふふっ……ごめん——死のう」


 その言葉を最後に、彼は動かなくなった。耳をすますと、スースーという寝息が聞こえた。


「マジで寝たのか……」


 あきれたようにすぐるが言った。


「……ほんとに、やばいね」

「……やばいだろ?」


 私たちは小声で、笑いを浮かべながら話した。そして、鬱穂くんから目線を外し、この教室のみんなをぐるっと観察してみた。


「おはようなのだー! 特注品の制服ありがとうなのだ〜!」

「あら、御機嫌よう。喜んで頂けて嬉しいですわ! おーっほほほほ!」


 私たちがこの中学校に進学してから、まだ二日。それでも周りでは着々と友達の輪が作られてきているみたいだ。

 我々が立ち聞きするような会話でないことを悟り、私は彼らを見るのをやめ、自分の席に戻ろうと踵を返した。


「……なんか、個性的なヤツが多そうだな、うちのクラス」


 すぐるは、席に戻る素ぶりを見せつつ、私だけに聞こえるくらいの音量で、ポツリと言った。


「…………」

「……百合、お前も含めてだぞ」


 すぐるは足を止め、隣の百合ちゃんに振り返った。

 私は自分の席に座ったが、あとの二人は私の机を挟んで立った。


「……は、なんで」


 百合ちゃんはすぐるをにらんだ。

 待って。兄弟ゲンカの間に私を挟まないで。


「いや……もう学校にそんなもん付けてくるなよ」


 彼は、百合ちゃんの頭の——猫耳のカチューシャを指差した。


「『そんなもん』——⁉︎」


 百合ちゃんは、両手を握り、わなわなと震えだした。


「これは……生えてるから……付けないも何も、ない……!」


百合ちゃんは頭を両手で抑え、逃げ腰になった。


「お前、もう中学生だろうよ」

「——だって……!」


 ——キーンコーンカーンコーン


 彼女の、モゴモゴっと放った言葉は、校内チャイムにかき消されてしまった。

 彼女は頰を染めて、うつむいてしまった。


「……なんでも、ない……でも、絶対、外せないから」

「……あっそ」


 すぐるは一瞬、流し目で彼女を見ると、背を向け、教室の一番廊下側の、後ろから二番目の席についた。

 それを確認してから、百合ちゃんも重い足取りで、そのすぐ後ろの席に向かう。

 私はというと、それまでずっと英語の教科書を広げ、彼らの話を聞いていないフリをしていた。


  *


「——いやー、終わった終わったー!」


 私は、ブロック塀の並ぶ一方通行の道を、石ころを蹴りながら歩いていた。

 すぐるは野球部へ、鬱穂くんを引きずって教室を出て行ってしまった。そして、百合ちゃんも、まだ部活見学をしたい所があるのだとか言って、階段を降りる際に別れてしまった。

 私というと——部活をする、お金がない。家の所持金は生活費に費やし、少しも余らない。余るように計算を立ててはいるが、部活で使える程の余裕はない。頑張って、二ヶ月に一回、一冊の本を買える程度だ。

 だからこうして、今日は一人で下校しているという訳である。


「小学生の時は、行きも帰りも一緒だったのにな〜」


 私は伸びをしながらそんな事をほざいた。

 昔に比べ、中学生になった今、変わった事は多くある。別の小学校出身の友達もできたし、ジャンプして家の本棚の一番上の段に届くようになったし、反対にすぐるに背は抜かれたし。ああ悔しい悔しい。


 ——いや、待てよ? 何か、一番重要な事を忘れている気がする。


「……なんだったっけ」


 すいません、完全に忘れました。


 そんな時、ふと目線を上げた。

 その行為にはなんの意図もなかったわけだが、それが私の人生の分岐点だったかもしれない。


 なんと、五十メートル程先から、何やら、白いモフモフしたものがイノシシの如く突進して来ているのが見えたではないか。


「——え⁉︎ ハァッ⁉︎ 何何何⁉︎」

「キュピーーー!」


 よく見れば、丸い形の猫くらいの大きさのモノだった。そのモフモフは、あっと言う間に、私の足元まで来たかと思うと、股の間を抜け、通り過ぎてしまう。

 しかし、その次の瞬間、ソレがズッコケた。



 ——コロコロコロコロッ! カンカンカンッ!



 私にはそう聞こえた。いや、本当に聞こえた。

 特に後半、ソレが跳ねながら転がって行った時、何か金属同士が軽くぶつかるような、そんな音がしたのだ。


「んなっ⁉︎ ……だ、大丈夫⁉︎」


 私は転がり終わって静止したソレに駆け寄った。


「ン……ピュー」


 ソレは、ネズミの形をしていた。いやしかし、耳が異様に長く、本当にネズミかは言い難い形である。

 また、ソレの背中には、かわいらしくもハートの形の黒い模様が描かれていた。


「わーっ! 大変だ! けっ、ケガはっ……⁉︎」


 手は後で洗えばいいやと思い、私はソレを素手で持ち上げた。幸い、ソレの体に傷口のようなものは見つからなかった。

 ——ただ、一つだけ見つけたものがあった。


「これは……タグかな?」


 ソレの細い左前足に、リング状のタグが巻かれていた。

 金属のようだが、思った以上に軽かった。例えてみるなら、鉄だと思ったらアルミホイルだった、そんな感覚だ。

 なるほど、さっきのカンカンカンはこの音だったようだ。


「『NO.A-105』——実験用だったのかな……それとも、動物園……?」


 いや、動物園はこの周辺にはない。ましてや、ここは田舎だ。こんな珍しい生き物を研究する程の、有名な研究所も知らない。なるほど、この子はどこか遠い所から来たのかもしれない、と私は勝手にそんな結論に至った。

 とりあえず、この様な動物は見た事がない。私は、ソレに興味津々になった。


「——キミ、かわいいねえ……ネズミかい? それとも、タヌキかな?」


 ネズミにしてはデカい。タヌキや猫にしては耳が長い。

 私の好奇心は限界を超えた。


「……一回、持って帰っちゃおうかな……」


 私がソレを抱き、立ち上がったその時だった。

 私の元に、一つ、影が落ちた。


「——コンニチハ」


 私は、いつの間にか正面に立っていた人を認識し、ギョッとして、後ずさりしつつ顔を上げた。


「……ソレハ……ワタシタチノコ。カエシテホシイ……デス」


 その人はとても大柄で、縦にも横にも大きかった。

 ——おっと、今のは失礼だったか。

 その人は、真っ黒な、フード付きのパーカーを着ていた。フードは深く被られていて、またパーカーのファスナーも口元まで挙げられていたので、全く顔が見えない。変なファッションだな。


「え……えええあ、えと、す、すみません! そうとは知らず! お返しします!」


 その男の人に恐怖を覚え、私の声は震えてしまった。

 恐る恐るネズミを差し出すと、彼はゆっくり腕を動かし、両手で受け取った。


「……ドウモ、アリガトウ……ゴザイマス」


 彼はそう言うと、くるりと後ろを向き、私が一回瞬きをする間に——姿を、消した。


「……え?」


 のどかな下校路で、異様に風が吹くのを感じた。


「は、はは、見間違えかな……だってそんな、魔法じゃなきゃありえない——」


 魔法、魔法。

 ふと、白い翼の羽ばたきと、とある声が脳内で再生された。



『——いってらっしゃい』



「……あああああああ‼︎ エルのこと、忘れてたあああ‼︎」


 私の叫びとともに、道端でミミズをつついていたスズメが、飛んで逃げた。

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