第49回

     ◇


「判ったでしょ。雛菊の母親の呪いを退けたのは、長壁蒼月――あなたのお祖父さん。一度目の黒い月は、それで消えた。雛菊の母親も、人形の国も、雛菊も、いったんはそれで正気を取り戻した。私たち姉妹が雛菊と知り合ったのはそのころ。でも黒い月の呪いは終わらなかった。けっきょく母娘ともども、ムーンスペルから逃れられなかったんだ」

「私、幼いころに一度、お祖父ちゃんと一緒に雛菊さんのアトリエに行った記憶があるの。あのとき会ったのは、彼女のお母さん――?」

「それか、母親に宿ってた頃のヴィトリオール。奴はムーンスペルによって生じる別人格の一種だから、薬を使った人間の心に現れることが出来るんだ。奴がいる限り女王は人形を毀しつづける――子供みたいにね」

 子供の純真な残酷さ。独り遊びから生まれる無垢な暴力。大人になるにつれて薄れ、やがて消え失せる、ほんの一時の狂騒状態。

 心の奥底に仕舞い込まれていた「それ」を引きずり出すのが、月の呪い――ムーンスペルの力なのだろうか。そう、私が語ると、グリフィンは頷いて、

「たぶんそうなんだろうね。童心に帰るって言えば聞こえはいいけど、蓋をされていた残虐性まで解き放ってしまう。残酷さを残酷さと理解したうえで制御できる強さが無ければ、夢の世界の秩序を保つことなんか出来ない」

 グリフィンは呻き声を上げた。表情にはまったく出していなかったが、彼女には呪縛と拷問の魔法がかけられているのだ。

 苦痛を堪えながら、私にメッセージを託してくれた。

 応えなければならない。

 私はグリフィンの掌を握って、

「ありがとう、紅莉栖さん。私たち、必ず勝てるから。佳音も、槙奈さんも、雛菊さんも、元通りにしてみせる。信じて、ここで待ってて」

「判った――あなたを信じるよ、長壁伊月さん」

 私は握った手を離した。ずっと黙って待ってくれていたポーリーとシャドウェルに向け、

「行こう、これでお終いにしよう」

 奥に見えた扉をくぐる。またしても眼の前に現れた階段を延々と上っていくと、エントランスホールの二階に辿りついた。

 吊られた人形の結界が、より近くに見える。しかしすべての視線は、変わらず私たちから外れたままだ。

「待て、なにか動きがある」

 シャドウェルの言葉と同時に、ふたりの人形が私を護衛するように前に立った。天井からはぎし、ぎし、と低い異音がしはじめた。

 吊られた人形たちの、首が一斉に動いた。私たちを捉えたのかと思ったが、そうではなかった。すべての人形が一心に見つめる先には、この人形の国に到着したときに見たのと同じデザインの飾り硝子があった。ヴェールを頭からかぶった、どこか物憂げな女性の肖像。俯きがちの視線、細い鼻梁、引き結ばれた唇。

「あそこに、なにかあるみたいだね」

 私たちは飾り硝子に近づいた。その精緻な意匠。

 手で触れてみたが、見た目以上に強度がある。壁に頑丈に固定されており、外すのも難しそうだった。

 私の首元の善き月のしるしが、とつぜん光を発した。蒼い光線が一直線に硝子に向かっていき、女性の貌に当たる。

 ふわん、と不思議な音と共に、飾り硝子が消失した。ぽっかりと窓枠の内側に孔が開き、くぐり抜けられるようになった。

「最後の道が開けたな」

 シャドウェルが嬉しげに言う。

 飛び込んだ先はまた階段だった。赤い絨毯を踏みしめながら、私たちは上へ、上へと足を進めていく。

 人形の城の、きっと最上階へと続くのだろう。階段はぐるりとカーブし、先の様子が判らない。しかしもはや迷いはなかった。前衛をシャドウェル、あいだに私、後衛がポーリーという並びを崩して、私たちは三人で横並びになっていた。互いに手を握り合い、ひたすらに進む。

「私、今までの戦いではふたりやドロテアに頼りっぱなしだった。向こう側に戻ったら戻ったで、友達に助けてもらってばっかりだったし、私の力でやったことなんか――ほとんどない。でも」

 私は握った両手に力を込めた。左右から、人形たちが強く握り返してくれる。

「私たちはまだ立っていられる。最後の勝負に向かえる。私を信じてくれる人が大勢いたから。それだけが私の功績なんだと思う」

「あなたを信じてよかったって、みんなみんな、そう思ってるよ。だから最後に――私たちでデイジーに見せてやろう。私たちが私たちであることを」

 ポーリーの答えに胸が詰まり、私はとっさに返答できなかった。

 それでもいい、と思った。それでいい。私たちは繋がっている。

 こちら側でも、向こう側でも。

 背の高い扉が眼前に迫った。下半分が欠けた月に、ぎざぎざの牙のような装飾が施された、重く分厚い扉。三人で同時に手をかけ、声を合わせて、押し開けた――。

 アトリエだった。グリフィンの記憶のなかの。そして幼き日の私が、祖父と共に訪れた、黒羽母娘のアトリエが、私たちの眼の前にあった。

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