第48回


 雛菊がどの病院に入ったのかは、知らされなかった。ほどなくして槙奈は意識を取り戻したが、雛菊を見舞おうという話はどちらからも出ず、ただ時だけが過ぎていった。

 ほんの一時だけ私たち姉妹は奇妙な人形作家と人生が交差しただけ――私はそう思い込もうと、雛菊のいない日々に戻ろうと決意した。槙奈もそうだろう、と心から信じてもいた。

 向かう先は当然、エクリプスだった。

 私は以前にも増して熱心に曲を作り、槙奈に提供した。せめて作曲者として名前を入れたい、と彼女は言ったが、私はその申出を撥ねつけた。エクリプスに必要なのは、槙奈が歌うこと、私が曲を書くことだ。他になにもいらない。私の名前など載せても仕方がない。

 私の熱意が伝わったのか、槙奈にもまた変化があった。かつてより名乗っていた「プリシラ」というキャラクターを、常に演じつづけるようになったのだ。それを私は、いい兆候だと捉えた。

 まったく、愚かだった。

 そして二度目の悲劇が訪れた。

 あるとき槙奈が私の作ったものではない歌をうたっていた。その理由を、私は問い詰めた。

「エクリプスの他の誰かに作ってもらったの? 例のベーシスト?」

 槙奈はかぶりを振り、

「違うよ、姉さん。これは私が作ったの。どうしても自分で作りたくなったんだよ、姉さんみたいにね」

「どうやって? いつの間に出来るようになったの?」

 うるさいな、と槙奈は私を睨んだ。

「取引したんだよ」

「取引ってなんのこと? いったい誰と――」

 槙奈は答えてくれなかった。彼女は私を避けはじめ、やがて、病に倒れた。意識不明の重体になった。

 槙奈が倒れた時点で、私はすでに雛菊を疑っていた。妹を死に引きずり込もうとした彼女を、私はきっと、憎んでいたのだ。

 決定的になったのは、槙奈の部屋で黒い錠剤の小瓶を見つけたからだ。彼女は薬から創造性を得ようとし、中毒して、昏睡した。雛菊が、こんなものを与えたせいで――。

 雛菊のアトリエを、私は訪れた。

 そこにいたのは、雛菊であって雛菊ではなかった。

「プリシラは私と取引してくれた。私は彼女に音楽の才能を与え、彼女はいずれ私の人形になる。その日が来ただけなんだよ。私は人形の国の女王として、あの子を心から愛してあげる。それが私の務めだから」

「ふざけないで! あなたがあんな薬に手を出さなければ、槙奈に勧めなければ、私たちはずっと……」

 雛菊は薄笑いし、飾ってあった人形の一体を手に取った。ブレザー姿の少年の人形。

「プリシラにはもっと素敵な音楽を、私たちが与えてあげる。このトビアスは本当に優れた音楽家でね、プリシラを自分の楽団に迎えたいって言うの。だからそうした。プリシラは人形の国で楽しく過ごしてるから、あなたは心配しなくていいの」

 私は雛菊の胸元を掴んだ。どうして槙奈は、こんな人間に惹かれてしまったのだろう。なぜ私は、こいつを友達だなどと――。

「母さんは魔法使いだったって話したよね。黒羽家の女、人形師となる女は代々魔法を受け継ぐんだって、私は夢のなかで知った。母さんも魔法で、人形の国を支配した。今やその力は私のものになった――母さんが手に入れられなかった人形も、私は手に入れる。母さんの見た夢の続きを、私が見る」

 雛菊は思いがけず強い力で、私を振り払った。

「もうあなたのことなんか、どうでもいい。母さんの夢を終わらせた男――長壁蒼月。あいつの孫だけが、いまは欲しいの。だけどね」

 雛菊は私を見据えた。爛爛たる赤に縁どられた瞳孔の、深く孔が穿たれたような黒さ。

「人形はみんな遊びが大好き。だからあなたがもし、私とゲームをしたいと言うなら、乗ってあげてもいい。あなたも人形の国に招待してあげる。あなたが勝って、プリシラを取り返せたとしたら――私は受け入れる。信じるかどうかはあなたの自由」

 ふふふ、と雛菊は声を上げて、

「私とゲームをする気があるなら、着いてきて。あなたにも人形の国の入り口、魔法の裂け目を覗かせてあげる」

 私は勝負を受けた。黒羽雛菊――デイジーの人形の国から、槙奈を取り戻す。かつて雛菊が私たちに見せた絵の、あの恐ろしい怪人のように。

 だから夢の私は、黒尽くめの衣服と仮面を身に着けた。

 私は、グリフィン。

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