第46回

    ◆


 自らにとって半身にも等しい存在とはいえ、常にふたり一緒くたに語られるのは、快いことではない。誰だってそうだろうと思うが、実感として知っている者は存外にして少ない。私たちも、実のところ会った経験がないのだ。

 強い口調で訴えれば一時は頷いて貰えるものの、結局のところ双子は双子で、紅莉栖と槙奈には決してならない。今となっては互いに、あるていど割り切れる面もあるが、幼いころの私たちはそう聞き分けのよい子供ではなかった。二人ともだ。

 どんな方法でもいいから、自分と彼女は違った存在なのだと知らしめたくなる――世の双子の大半がおそらく、ある時期にそういう類の自意識に苛まれて、傍目には莫迦らしく、当事者にとっては重要このうえない争いに時間を割いてきたのだと思う。私たち二人もむろん例外ではなく、どうにかして相手を出し抜いてやろうと、虎視眈々と機会を狙っていたものだ。

 先にその機会を手にしたのは槙奈だった。彼女は私よりずっと快活で、社交的で、人好きだった。それまでは分け隔てなく接してくれた人たちも、当然のように槙奈のほうに惹かれはじめた。同じ貌をしているのだから、人当たりがいいほうと遊びたくなるに決まっている。そう理解こそすれ、自身の言動を顧みるには至らなかった。

 声をかけてくる人々はみな、私を槙奈の代用品と見做しているのだと思えてきて、それがますます私を苛立たせ、偏屈にさせた。だから私は自分の内面に引き籠って、本を読み、音楽を作り、絵を描いて過ごしてきた。

 そんなとき、私は黒羽雛菊に出会った。

 雛菊は人形作家の娘だった。母親が人形作家で、自分もそれを継ごうと思っている、とあるとき彼女は私に語った。

「人形作家って、世襲制なわけ?」

 そう私は訊いた。すると雛菊は笑って、

「まさか。腕が良ければ誰でも跡取りになれる。でもこの世界でいちばん、私が母の人形と人形の国を好きだから」

 雛菊は私をアトリエに案内して、人形たちを見せてくれた。素人である私に、高名な人形作家であるらしい彼女の母親と、彼女自身の作との区別は元よりつかない。区別がつかない、が称賛に値するのかも判らない。だから私は、ただ自分がどう人形を見たのか、なにを感じたのかを述べた。

 アトリエを一通り眺め終えてから、これとこれは自分が作った、と雛菊は明かしてくれた。そのなかには、もっとも私が好もしく思った人形も含まれていた。しかし彼女は悲しげにかぶりを振り、

「ありがとう。でも私の人形は、母さんのとは違う。自分で判るんだ」

「作った人が違うんだから、違うのは当たり前じゃない? 雛菊は雛菊の人形を作ったら、それでいいんじゃないの?」

「そういう意味じゃない。私の人形はね、まだ人形の国に入る資格がないの。人形の国は高い壁で囲まれていて、なかに入れるのは認められた人形だけ。それ以外の人形は、荒れ果てた壁の外をうろうろするしかない」

 人形の国、というのはこのアトリエのことではないらしい、とようやく私は察した。彼女たち母娘の想像力が作り上げた、架空の世界なのだ。

「それはお母さんが……まだ雛菊を認めてくれないってこと?」

「人形の国の居住権を認めるのは女王。人形の国にはね、女王がいるの。女王に愛されて、その所有物になった人形だけが、人形の国に住むことを許される」

 私はまた混乱して、

「そのさ、人形の国を考案したのはお母さんなんだよね? だったら女王っていうのはお母さんなの? それとも誰か、別に判断する人がいるの?」

 雛菊は困ったように俯いた。

「どう言ったらいいのかな――人形の国はもちろん、この世界には存在しない。でも私たち母娘には行く術があるの。向こう側の母は、母であって母じゃない。向こう側の私も、私であって私じゃない。向こう側の母と女王は同一人物だけど、それはこの世界の私の母じゃない。そういうのって判る?」

 雛菊は無論のこと真実を語っていたのだが、当時の私は、自分以上におかしな人間がいるものだと変に感心して、取り合わなかった。おべっかを使って互いのご機嫌取りをするような関係でもないし、判らないものを判らない、と正直に告白したところで一向に構わないだろう――そう私は思ったのだ。

 それからしばらく、私と雛菊の交友は途絶えることになる。人形の国の物語を真面目に聞かなかったせいではない。雛菊の母親が亡くなったからだった。

 雛菊のアトリエに行けなくなった私は、自室への籠城、および読書と音楽と絵画を再開した。雛菊から刺激を受けたこともあり、意欲はこのうえなく高まって、いま振り返ってもそれなりと思える作品を、このときいくつか完成させた。

「姉さん、ちょっといいかな」

 本当に久しぶりに、槙奈が部屋を訪ねてきた。碌に口も利かない日々が続いたので、鏡に写したように自分とそっくりな貌をした人間が自分の向かいに坐っている、という状況に改めて愕いたものだった。

「姉さんが羨ましいな――友達が出来たんでしょう?」

 この子はわざわざやって来てなにを言いだすのか、と私は面食らった。

「槙奈には、私なんかよりずっとたくさん、友達くらいいるでしょう?」

「そうじゃない。私が言ってるのは、本当の友達。私、自分の周りにいる人たちが本当の友達じゃないって、自分で判ってるから」

 雛菊といい槙奈といい、なにが「判っている」のか私にはまるきり理解できなかった。私などよりもずっと、環境や才能に恵まれていながら、なぜそうして自分を縛ろうとするのか。卑下するのか。なにが「判った」からといって、自分の持っているものを否定できるのか。

「確かにね、私は私でちょっと頑張ったんだ。目立っていれば集まってきてくれる人がいる。それはそれで嬉しかった。でも私、そういう人たちに応えられるものを、なにも持ってないんだって気づいた。頭もよくない、気の利いたことも言えない、なにか作れるわけでもない。ただの空っぽな人形だったんだって。本当は私なんかじゃなくって姉さんがいいんでしょう、中身のちゃんと詰まった人のほうがいいんでしょうって、考えはじめたら止まらなくなったの」

 喋りながら槙奈は泣いていた。その語りに私が愕然としたのは言うまでもない。私とは正反対の、それでいて同じ悲しみに、彼女もまた行き着いていたことを、私は初めて知ったのだ。

 私は槙奈の肩を抱いた。

「ねえ、人形は空っぽだけど、でもそこにあるんだ、確かに存在するんだって、私の友達が言ってた。表層だけでも人の心を動かせたら、鑑賞者にその隙間を埋めてもらえたら、人形にとってそれが幸せなんだって。人形は独立して完璧じゃなきゃいけないって思ってたけどそうじゃなかった、誰かと関係を取り結んで初めて完成するのが人形なんだって」

 私は槙奈を引き寄せ、彼女の額に自分の額を押し当てた。線対称となるように。

「その人の人形論が理解できたわけじゃないけど、私なりに受け取れたものはあった。私たち姉妹、ばらばらになって、独りになろうとして、今まで苦しかったんだよね。魂をむりやり、ふたつの軀に切り分けられたみたいだって、思ったことがあった」

 槙奈が頷き、私の頭も上下した。

「だから、もう独りで苦しむのはやめよう。協力して、足りないところを補い合って、ふたりになろう。私たち、ひとつになるんじゃない。ふたりの力でふたりになるの」

 そうして槙奈と仲直りした私は、しばらくぶりに雛菊のアトリエに足を向けた。突然母親を失った彼女は憔悴しているようだったが、それでも人形の話をしてくれた。次に作ろうと思っているのは双子の人形なの、と彼女が言ったので、私は愕いた。これまで雛菊に槙奈の話をしたことはなかったから、本当に偶然の一致ということになる。

「シャム双生児って、知ってる?」

「知ってる。ふたつの軀がひとつに合わさってる双子でしょう? ああいう人形を作るの?」

「ううん、あれとは逆。本当はひとつの魂しか持ってないのに、ふたつの軀に引き裂かれた双子の人形を作ろうと思ってるの。半分の魂しか持ってない、不完全な人形。見た目は瓜二つだけど考え方はぜんぜん違って、喧嘩ばかりするの。でもふたりは心の底では協力し合おうとしていて、片方が悪心を抱けばもう片方の良心が宥める、片方が死にたくなったらもう片方が止める、そうやって暮らしていくの」

「それってまるで――」

 言いかけて、慌てて口を詰んだ私に、雛菊が怪訝そうな視線を向ける。

「どうかした?」

「ううん、なんでもない」

 そのやり取りのあと、私は初めて槙奈を雛菊に紹介した。瓜二つの外見、正反対の考え方、それでも協力し合って生きていくと決めたこと……私たち姉妹の話を終えると、雛菊は黙って頷いてくれた。

「今度は、私と母さんの話をするね」

 そう雛菊は言い、ゆっくりと唇を開いた。

「母さんは魔法使いだった。小さいころは誰でもそう思う時期があるんでしょうけど、私は今でもそう思ってる。母さんが作る人形は、現実離れしてるのに生きてるみたいで……私は何度も、動くの、話すのって訊いた。母さんは、人形の国でならね、って答えた。いつになったら連れて行ってもらえる? そのときになったら、って母さんは言った」

 雛菊の口調は淡々としていながら、淋しげだった。

「そのときは不意に訪れた。母さんが私を呼んで、人形を見せてくれた。胸に裂け目のある、女の子の人形。私はその裂け目を覗いた。なにが見えるかって訊かれた。私は正直に答えた――女王様の格好をしている私が見えるって」

「女王様の?」

「そう。その日から私は、人形の夢を見るようになった。ついに人形の国に招待されたんだって有頂天になった。そして私はいつの日か、母さんの跡を継いでこの国の女王になるんだって信じていた」

 雛菊はいちど言葉を切り、三冊のスケッチブックを広げて、三枚の絵を私たちに見せた。

 人形の国に招待されたらしい二人組の少女と、歓迎する人形たち。人形のベッドに横たわる誰かと、白く変化するその片脚。黒衣の怪人に連れられて逃げ出す少女と、追いかける人形たち。

「夢から覚めたあとで、私が描いた絵。この通りの光景を、夢で見たのかは判らない。でも人形の国がこういう場所だという記憶だけはあって、少し恐ろしかった。人形の国に訪れた人は人形にされてしまうの? この黒い人は誰なの? 母さんに何度も聞いてみたけど、答えてくれなかった。今でも判らないまま」

 雛菊はスケッチブックを閉じた。

「答えを告げないまま母さんは死んだ。夢のなかの人形の国は、夢のなかの私のものになった。夢の私が女王――でもどうしていいのか、まったく判らないの。女王になる準備なんて、なにも出来ていなかった。満足な人形を作ることすら出来ない私が、女王になれるわけがない。でも今は諦めて、自分の手許にある作品に集中しようと思ってる。あなたたちに話した、双子の人形を、まずは完成させようって」

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