第45回
通路は緩やかに地下に向けて下っていた。緩やかに、といってもそれは勾配のみの話で、かろうじて石が階段らしく積まれているばかりで、ひどく足場が悪い。いまだに蛇の感覚が戻らない私には、転ばずに歩くのがせいぜいである。何度となく足を滑らせかけ、前後の人形たちに支えられては、そろそろとまた足を進める。
どこまで続くのか、まだなにか罠があるのではないか――神経が疲弊しきったころになってようやく足許が平坦になり、重々しげなドアの前に辿りついた。
今度は迷わずに鍵束を取り出し、また一から順に差し込んでいった。四番目か五番目で、鍵の開く鈍い音がする。見た目からして重厚な扉だったので人形たちの手を借りた。全員で一斉に体重をかけると、どうにか通れそうな隙間が広がった。器用にお腹をへこませたシャドウェル、私、ポーリーの順で身を辷り込ませる。
あたりは薄暗いが、散らかった子供部屋のような場所なのが判った。
近くにあった机のうえに、いくつか小道具が無造作に置かれている。ピンクッションとカラフルな待ち針、大振りな断ち鋏、糸切鋏、縫い糸……裁縫道具? 乱暴に扱われているものらしく、折れた針や糸の切れ端が散乱している。
「これ――なに? なんの部屋なの」
私が問いかけ半分、独り言半分で発すると、隣でシャドウェルの低い声がした。
「人形の修理器具だが、正当な目的で使われたわけではないようだな。今日はお医者さんごっこで遊ぼう、それでは手術を始めます――と言ったところだろう」
背筋がぞくりとした。そういう遊びをする子は、私の周りにもいた。そう確か、幼稚園のころだ、くすくす笑いながら、おもちゃの人形の両手両足を押さえつけて――。
部屋の奥の壁に、古びた椅子が置かれている。そこに力なく坐っている人影に気づき、私は息を詰めた。
影――近づいても影のままに見えたのは、その人物が黒尽くめだったからだ。細い手足と華奢な軀を包む黒の衣服に、鳥の頭部を模した仮面。
グリフィンだった。意識を失っている。
肩のあたりを揺らしたが、まったく反応はない。両手両足を鎖で椅子に雁字搦めにされ、完全に拘束されている。
ポーリーの鋏が鎖を断ち切った。支えを失ったグリフィンはぐったりとし、私の腕のなかで崩れた。
壁に凭せ掛けて坐らせた。胸が上下しているかどうかは、薄暗くて判然としない。呼吸を直に感じて確かめるべく、鳥の仮面に手をかけた。
外れない。どれだけ力を込めても、仮面が顔と一体化したかのように貼り付いたままだ。
「無駄だよ」
性別不明の小さな声が、私の耳朶を打った。
「グリフィン?」
「その仮面には魔法がかけられてるんだ。私の意思でないと外れない」
「あなたは大丈夫なの? 立てる? ここから一緒に――」
ふふ、とグリフィンは低く声を洩らした。
「それも無駄。さんざん痛め付けられたうえに、呪縛と拷問魔法も貰ってる。一歩だって動けやしない――あなたの友達を助けるって約束したのに、このざまだよ」
「そんな――」
「この状況じゃあ、あなたに託すしかないのかもね。もう他に出来ることがないんだ。あなたもどうせ、もう逃げられないんだ。やってもらうしかない」
グリフィンの右腕が私の胸元を掴み、口づけんばかりに引き寄せた。そうして左手で、己の仮面をはぎ取る。
現れた貌を、私は茫然として見返した。
「プリシラ……?」
「一卵性だよ。姉は私。プリシラこと鷹取槙奈と、グリフィン――鷹取クリスは双子の姉妹というわけ」
私が訊ねるより先に、彼女が字を説明した。紅莉栖。「く」は「くれない」――。
「なに? 変わった名前なのは自覚してるけど」
私はかぶりを振り、
「赤はラッキーカラーなの。私たち、やっぱりついてるんだ。これで絶対勝てる」
グリフィンは初めて笑顔を見せ、
「そんなので勝てるっていう人、初めてだよ。大丈夫かな」
「絶対大丈夫。信じて」
そう断言すると、グリフィンはゆっくり吐息して、
「まあ、今の私にはそうするしかない。あなたに見せてあげる。私たち姉妹と、呪われた人形師の物語を」
彼女が私に顔を近づけた。意思の強い、くっきりとした瞳の奥に、炎のような揺らめきを見て、途端、私の意識は、そこに引き込まれて――。
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