第44回

 ポーリーが舞うように一回転し、愛用の巨大な鋏をどこからか取り出した。回転を止めると同時に両足を開いて構え、鋏の切っ先をトビアスのしもべ人形に突きつける。

 しもべ人形が咆哮する――金属片を擦り合わせたような、耳障りな轟音。無数の腕を次々と伸ばして、ポーリーの軀を掴まえようとする。

 しかしポーリーは頭上で軽やかに鋏を振り回し、一本たりとも腕を近づけさせなかった。叩き切られた指が、手首が、落ち、また落ちて、しもべ人形は叫び声をあげて仰け反った。

 その一瞬のあいだに、人差指を突き立てたシャドウェルが紫色の炎を吹いていた。炎は違わずしもべ人形の顔面を捉えて、その無数の眼球を包み込んだ。ぱち、ぱち、となにかが砕けるような音が立て続けに生じる。

 変わらぬ彼らのコンビネーションに瞠目したのも束の間、しもべ人形は頭部を震わせて火を払うと、すでに全てが元通り生えそろった腕を広げて、ポーリーに躍りかかった。

 彼女は寸前で身を翻し、迫りくる手の包囲をくぐり抜けようとしたが、遂に一本の腕に足元を掬われた。あっという間に足首を掴まれたポーリーの軀が高々と持ち上がり、宙吊りにされて、そこに目玉だらけの顔が迫っていく。複雑に折り重なった顔の奥に潜んでいた牙――無理やり押し込まれていたナイフそのものに見えたそれが、鈍い輝きを放ちながら彼女の咽を掻き切らんとする。

 まさにそのとき、シャドウェルがゴム毬のように跳ね上がり、ポーリーを空中で攫って、壁でワンバウンドして着地した。ひとつの塊と化していたふたりが、ふたつの人形へと分離し、同時に、別々の方向からしもべ人形に攻めかかった。

 相手の反応は迅速、そして的確だった。ぐるりと反転させた巨体が、一瞬、溶けたように形を失う。そうしてシャドウェルとポーリーの突進を回避し、直後に振るった腕で、ふたりの軀を打ち据えたのだ。

 ふたつの人形があっけなく宙を舞い、壁に叩きつけられて落下した。

 無残に転がり、仰向けになって止まったポーリーの瞳は、焦点を失っている。シャドウェルも伏したまま、ぴくりともしない。

 かたかたかた、と口を鳴らして、トビアスが笑い転げた。

「勝負あった、などとは言いませんよ。あなたとその一味のしぶとさは折り紙つきですからね。ばらばらに解体して、僕のしもべ人形の一部になって貰いましょうか。そこまであなたに敗北の宣言を許すわけにはいきません」

 倒れたまま沈黙しているポーリーに、しもべ人形がゆっくりと歩み寄っていく。腕を伸ばし、牙を剥き出しにして、ポーリーの軀が切り裂かれようとした――。

 そのとき、ぱっと紫の炎が生じた。瞬く間に広がり、高く伸びて、炎の壁を形成する。ポーリーとしもべ人形のあいだを完全に遮った形だ。

「誰がギブアップだと言った、この糞野郎」

 シャドウェルが身を起こし、しもべ人形を睨みつけながら吐き捨てるように言った。

「こんな虚仮威しに、俺たちの道を閉ざせるものか。来い、化物」

 再びトビアスは笑い転げて、

「耐久力だけはある、というわけか。しかし相棒の鋏女はそのざま、おまえ自身も、もはや襤褸切れだろう? それだけの炎を操りながら、いつまで続くかな? 自分が可愛ければさっさと炎を止めたほうが身のためだぞ」

 小僧、と声を低くして、シャドウェルはトビアスの言葉を遮り、

「俺の主のもっとも素晴らしい点を教えてやろう。どんなときでも友を信じることだ。俺は彼女の人形でいられることを心より誇りに思う。俺の炎は俺の誇りだ。おまえごときに消せやしない」

 トビアスは薄笑いしたまま腕を組んだ。シャドウェルを睨め回し、それから眼をかっと見開いて、指揮棒を振り上げる。

「そいつを始末しろ」

 しもべ人形がシャドウェルに圧しかかった。彼はかろうじて身を躱したが、やはり足は重そうだ。意識を失いかねない一撃を食らったうえで、ポーリーを守るための炎まで展開しているのだ――トビアスの言うとおり、信じがたいほどの負荷に違いなかった。

 決定的な機会を見つけ出せないのか、あるいは軀が着いて行かないのか、シャドウェルは相手の周りをぐるぐる廻りながら、その攻撃を回避するのに精いっぱいの様子だった。得意の炎を攻撃に使うことも出来ず、ときおり相手の腕や脚を殴りつけるのだが、たいした効果は上がっていない。

 しもべ人形のほうは余裕を見せはじめ、じわじわ嬲り殺しにする戦術を選んだらしかった。シャドウェルの脚を集中して狙い、彼の機動力を少しずつ、確実に削いでゆく。

 この段になってしまえば、しもべ人形に勝負を急ぐ理由はないのだろうと思えた。万一隙を見せれば、シャドウェルは決死の覚悟で懐に飛び込むだろう。炎と素早さ、両方を封じたうえで力尽きるのを待つ――それが相手にとっては最上の戦略だ。

 泪が後から後から流れて頬を伝った。手足を拘束されて拭うことも出来ないが、そんなことはどうでもよかった。この勝負をやめさせるのだ。私が負けました、と宣言すればいい。トビアスはああ言っていたが、私がすぐに人形になると誓えば、応じてくれるのではないか。

 これ以上、私のために戦っている人形たちを苦しませたくない。さあ、言うのだ、今すぐに――。

 殴りつけられたシャドウェルが転がってきて、私の眼の前で止まった。すでに軀はぼろぼろに痛めつけられ、見るも無残な有様に成り果てている。

 彼は私に向けて人差指を突き立てた。そしてそっとこちらに顔を向け、唇だけを動かして、

「まだだ」

 これだけやられても続けるつもりなのか――。私は頬を濡らしたまま、小さくかぶりを振った。しかしシャドウェルは指を立てたまま、

「策がある。俺たちは勝つ。信じろ」

 立ち上がり、向き直ったシャドウェルを、しもべ人形の巨大な腕が掴んだ。もはや反撃する術のないシャドウェルに、いよいよ止めを刺すことを決めたらしく、しもべ人形は牙を剥いた。かた、かた、とトビアスの笑い声そっくりの音を立てながら、シャドウェルを食い破らんとした。

 シャドウェルは風船のように軀を膨らませ、最後の抵抗を始めた。予想外のサイズに膨れ上がったシャドウェルを噛み砕くべく、しもべ人形は大きく口を開いた。

 愕いたことに、その咽の奥にはもうひとつ、巨大な眼球があった。獲物であるシャドウェルの姿を反射して、鈍く輝いている。

 その瞬間だった。紫色の炎の壁の内側から、黒い巨大な刃が、シャドウェルの背中に向けて一直線に飛来した。同時に、シャドウェルは一気に軀を縮めて元の大きさに戻った。

 ぐしゃり、と鈍い音がして、しもべ人形の巨体が揺らいだ。その喉元、真の目玉には、ポーリーの黒い鋏が、閉じた状態で突き刺さっていた――。

「アア……タノシ……カッタ」

 しもべ人形はしばらく静止を保っていたが、やがて、空気を震わせるような声でそう言うと、瓦礫のように崩落して、床に散らばった。

 ポーリーを守護していた炎が消えた。彼女はしっかりと立ち上がっていて、こちらに歩み出てきた。しもべ人形の残骸のなかから自分の鋏を拾い上げると、私の手足を縛っていた鎖を切断してくれた。

「トビアス、俺たちの勝ちだ」

 茫然自失とした少年の人形に向け、シャドウェルはそう告げた。

「嘘だ……この僕が……人形の遊びに……負け……」

 そう絞り出すように発したトビアスの言葉は、最後まで続かなかった。彼の軀がひとりでに空中に持ち上がり、黒い炎に包まれたからだ。

「おまえは一度でも失敗はしないと、双子より上手くやってみせると、そう言ったのにねえ。この私に大見得を切っておいて、なんと情けない。おまえのような人形は――こう」

 聴き間違えようのない、デイジーの声。炎の奥から響いてくる。

 炎が勢いを増し、トビアスを呑み込んだ。空中でなにかが弾けるような音がし、炎が消失する。

 あとにはなにも残らなかった。

 いまだ柱に背中を預けたままでいる私の眼の前に、ポーリーとシャドウェルが跪いた。形式ばった報告をする前に――いちいち律儀なのだ、私の人形たちは――私は両腕で彼らを抱きかかえて泣きじゃくった。ポーリーの銀の胸飾りを汚すに忍びなく、申し訳ないと思いつつもシャドウェルの広いお腹をハンカチ代わりにして、私は泪を拭った。

 背後からずるずると重いものを引きずるような音がした。部屋の壁に新たな扉が生じ、開いて、内側の通路を覗かせていたのである。

「行こう、まだ終わってないんだから」

 ポーリーに優しく肩を叩かれ、私はようやっと頷いた。ふたりの強く頼もしい人形を従えて、現れたばかりの通路へと歩きだした。

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