第34回

「偶然だと思えない」

 緋色が私の冷蔵庫にストックしていた缶ビールを口に運びながら、彰仁くんがつぶやく。あまりお酒に強くないのか、早くも顔に赤みが差していた。

「共通点が多すぎるんだ。プリシラは作詞作曲の、佳音さんは絵の能力に目覚めた。同じタイミングで、それぞれ片手と片脚が動かなくなった。そして両方とも、おそらくは人形に憑かれている」

 佳音がスケッチブックに描いていた絵――プリシラとそっくりな人形について本人は、「ぱっと泛んだイメージ。最初に降りてきたのがそれだったんだよね」と語った。衝動のままに鉛筆を走らせてみて、出来上がったものに自分でも驚いたのだという。「私天才じゃんって思った。伊月が文学、緋色が音楽、未散ちゃんが手芸で、私が絵ってバランスよくない? 芸術家の集まりみたい」

 私が「文学」というのがどこから出てきたのかは謎である。読書感想文を代筆する程度のことしかしていないのだし、それとて平々凡々な女子高生の文章だ。

「佳音って昔から絵描いてたの?」と緋色が私に問う。私と佳音は幼馴染で、物心がついたときにはもう一緒に遊んでいた。緋色とは高校二年時のクラス替えからだ。

「ちょっとは描いてたけど、あそこまでじゃなかった」

「人形の――ああいう感じの絵は描いてた? いきなり作風が変わったって印象はある?」と彰仁くんが重ねて訊ねてきた。

「作風自体は前からあんな感じ。人形とか、墓石と亡霊だとか、機械と融合した人間だとか、そういうのばっかり描いてた。ギーガーとかベクシンスキーみたいな」

ああ、と彰仁くんは納得したような声をあげたが、緋色は首を傾げていた。

「知らないからピンと来ない」

「映画の『エイリアン』とか、あとELPの『恐怖の頭脳改革』のジャケもギーガー」

 私の説明に緋色が頷いた。

「アルバムのジャケだと、カーカスとかセルティック・フロストもあるな」と彰仁くんが補足し、

「嗜好は一緒か。プリシラもそうだった。佳音さんが人形に近づいたきっかけはなんだったんだろう」

「人形展だよ」と緋色が発する。「あれ、最初に見つけてきたのは佳音だよね?」

「うん。どこだっけ――市役所の出張所? のラックに入ってたって言ってたと思う」

「人形展か」と彰仁くん。「そこであの人形――プリシラと、佳音さんの絵に出てきたやつが展示されてたんじゃないかな。だとしたら繋がる」

「伊月も行ったんだよね。でもそのときのことはよく覚えてない。そう言ってたよね」

「うん。前の日に飲んだせいだって思い込もうとしてたけど――変だよね」

私はスマートフォンで検索をかけてみた。宵宮美術館のサイトにアクセスしてみたが、展示がすでに終わっているせいで人形展に関する情報は消えてしまっていた。

「隠滅済みってわけか」彰仁くんが吐き捨てるように言う。「にしても、同じく人形を見たはずなのに伊月さんにだけ症状が出てないのはなぜだ?」

 私はかぶりを振って、

「判らない」

 と答えたあと、こう付け加えた。

「ただ――佳音は『凄く深入りしてでも覗きたい』タイプで、私はそうでもないから、私だけ手前で止まったのかも。なにかとても重要なポイントの手前で」

 彰仁くんは少し考え込んでから、

「もしかしたら、それはあるかもしれないな。プリシラも佳音さんも、人形に惹かれて自分から近づいた。そして深入りした。なんにしろ、早く手を打たないとまずい。そうは思いたくないけど、プリシラと同じことになったら――」

 彰仁くんは最後まで明言せず、小さく吐息した。

「伊月にだけ症状が出てないのは、魔法がまだ働いてるからじゃ」と緋色がつぶやく。

「魔法?」と問い返してきた彰仁くんに、私はあらましを説明した。祖父との奇妙な思い出のこと、改めて人形展のこと、その記憶が曖昧であること、ルビー・チューズデイのライヴで買ったCDでエクリプスを知ったこと、ほどなくして佳音が入院したこと、「月蝕」の歌詞に引っかかったこと――。

「人形と月と夢か」

彰仁くんは腕組みし、

「こういう仮説はどうだろう。人形のなにかを――プリシラの書いた歌詞に従うなら『胸の裂け目』と言うべきかな。それを深入りして覗いた者は夢を見るようになる」

 私はラックからCDを取り出し、歌詞カードを広げた。


  この胸の裂け目を覗いてごらんよ その眼で

  突き立てた刃の甘やかさを想い

  君の軀を盗み 遠い街へ連れてく

  淡い世界 塗りつぶして 夢の中へと沈める

  僕のそばに

  白い膚に走る 傷の記憶が誘う

  虚ろだった 瞳の奥 夜の底まで彷徨う

  止まらないで

  あの月の欠片を奪ってあげるよ この手で

  横たわった君の器にくちづけて


「夢を見た者は、その中で取引を迫られる。応じると特殊な能力が身に付く。その代償としてなにかを失う。最終的にはすべて奪われて――完全に人形になる。プリシラのように」

 曖昧だった空想が言語化され、結晶化したように思えた。佳音は人形にされようとしている。そして私は――。

「待って。もし伊月も同じ夢を見てるんだとしたら……。でもまだ、取引はしてない状態なのかな。伊月は特別な能力が急に芽生えたりはしてないから」

「その可能性が高いと思う。おそらく夢自体は見ているんだ。でもまだ取引にまで至ってない」

「だからって、夢をコントロールして取引を避けるとか、夢自体を見ないようにするってのは不可能だし」

 緋色は俯いて、

「あの日、私だけ酔っぱらって寝てたから……ふたりは危険な目に遭ってるのに」

 私はすぐさま、

「そんなのどうしようもないよ。緋色がいなかったら、私はエクリプスも彰仁くんも知らなかったわけだし、たぶんなにも判らないままだった」

「緋色があいだに入ってくれたおかげだ。佳音さんとプリシラを両方とも助ける方法が見つかるかもしれない。おまえまで夢に囚われていたなら、きっとここまで来られなかった」

 うん、と緋色は頷いた。彼女は自分に言い聞かせるような口調で、

「私が夢の中に入っていって、なにか助けになるなら、その方法があるなら、すぐそうする。でも私だけがこっちに居残ってることが強みになるんだったら、こっちでやるべきことをする」

「おまえだけじゃない。俺もこっち側だ」と彰仁くんが言う。「夢の中のことは、俺たちじゃ手出しできない。でも幸いにして、向こう側とこっち側は相互作用してるらしい。現実でやったことが、夢の中で役立つこともあるはずだ」

 そのとき彰仁くんがはっとしたようにポケットを弄りはじめた。スマートフォンが振動しているのだ。彼は画面を覗いた途端、

「プリシラの姉さんだ」

 彰仁くんは電話に出た。端末を顔から離し、私たちに目配せする。

「――どこまで気づいてるの?」

 相手の声が届いた。どこか位相がはっきりしない、ぼやけた感じの音声だった。姉だとあらかじめ知らされていたおかげで女性的に聞えるが、そうでなければ判らなかったかもしれない。少年のものとも少女のものとも取れる、性別不明の響きだ。

「なにに。いきなりで話が呑み込めないんだけど」

「今さら空惚けるのは無しにしよう。槙奈の――プリシラのこと。人形の夢について、なにか知ってるんでしょう?」

「プリシラは大事なバンドのメンバーだ。あまりに不可解なことがあれば、俺だって少しは調べるよ。ただの病気じゃなさそうなことぐらいは判る」

「随分と慎重な言葉遣いだね。誰かがそっちにいるのかな? まあ、誰があなたに入れ知恵したかは見当がついてるから、ごまかさなくてもいいよ」

「ごまかしたつもりはない。俺にも友人はいるし、繋がりもある。協力してくれる人もいる。俺だってプリシラを助けたいんだ。君と同じように」

「そこの利害が一致してるなら、私の言うとおりにして。これ以上、あなたはなにもしないで。人形の群れに近づかないで」

 彰仁くんは強く、

「なぜ。危険だから? そのくらいは承知してるつもりだ。利害が一致してるからこそ、協力するべきじゃないのか」

 ち、と舌打ちの音が響いた。電話機を離しも手で押さえもせずに、あえて彰仁くんに聞かせたものとしか思えない音だった。

「あなたはなにも判ってない。槙奈はあなたの手の届かないところにいるんだし、余計に動かれても犠牲者が増えるだけなんだよ。私の手に負えなくなる。見殺しにするしかなくなるんだ。槙奈は絶対に私が助けるから、どうか手を引いて。誰もこの件に近づけさせないで。それがあなたに出来る最善の方法」

 一方的にそう告げると、相手は鋭い声で、

「警告はしたよ。それでも首を突っ込むなら、もう知ったことじゃない。私は槙奈を最優先する。邪魔する奴は誰もかれも――どうにでもなればいい」

 それきり電話が切れた。彰仁くんは溜息をついて、スマートフォンをポケットにしまった。

「気に入らない」と緋色が吐き捨てるように言った。「さっきの奴、なにもかも自分で背負いこんで、ほかの人間を邪魔者扱いして」

「……いちおう、私たちを気遣ってくれたと受け止められなくもないけど」と私が曖昧にプリシラのお姉さんを弁護すると、緋色ははっきりと、

「犠牲者を出したくない、なにも知らない人を巻き込みたくないって気持ちは判る。判るから腹が立つの。あいつが間違ってるとは思わない。でも気に入らない。これは私の感情の問題」

 彼女はテーブルの上にあった缶ビールを一息に干した。それ、彰仁くんが飲み残していたものではなかったろうか。

「佳音の最初のお見舞いに行ってから――ううん、本当はもっと前から、私は胸騒ぎがしてた。あの夜、伊月が電話くれたとき、実はずっと待ってたんだ。なんだか電話が鳴るような気がして。そしたら本当に電話が来て――私を信じて頼ってくれたんだって思って、凄く嬉しかった」

「ここまで大ごとになるって思ってなかったから。ただ本当に、ちょっとエクリプスの話を聞きたいだけだったんだよ。最初から判ってたら、私も緋色や彰仁くんを巻き込まないようにしたと思う」

「でも実際はそうなってない。伊月も今さら、危ないから止めろなんて言わないよね?」

「どうせ聞かないだろうし」と彰仁くんが笑う。「決まりだ。せっかく忠告してもらったのに申し訳ないけど、俺たちは俺たちで解決策を捜そう。それでいいよな」

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