第27回

 ダンスホールだ。シャンデリアの暖色の灯りが投げかけられた床は、踵を踏み鳴らせばかつん、かつんと音が響くような板張りだった。学校の体育館ほどの広さがあり、正面の壁には赤い幕のかかった舞台がある。

 すでに大勢の人形が詰めかけていた。きちんと夜会服を着込んでいる人形もいれば、薄着で膚を、球体関節を、見せつけているような人形もいる。

 歓迎会と言われて、坐って食事をしたり挨拶をしたりする類のものを漠然と想像していたのだが、まるで違ったらしい。

「私、ダンスはできないんですけど」と傍らのラナークに洩らす。彼も臙脂色の上下に身を包んでいて、少し華やかな印象になっている。

「心配は無用です。ダンス以外にも催しはあります。必ずや、楽しんでいただけますかと」

 ラナークは歯を剥き出して笑った。

「あなたの得意な遊びも、ね」

 どこからか音楽が流れてきた。佳音や双子と一緒に聴いた、あの楽団が演奏しているのだろうか。ダンスのバックミュージックらしくリズミカルな曲調。

 人形たちが踊りはじめた。私は壁際に寄ったまま、茫然とその様子を見物していた。

 鬼気迫る踊りぶりだった。人形の手足はしなやかな鞭のように自在に伸び、寸分狂わずに回転し、廻って廻って、途端にぴたりと静止して彫像のようなポーズを決める。高々と飛び上がれば、空中で脚を開いたまま固まっていると思える瞬間がある。なにかに憑かれているのでは、と感じられるほどに、彼らは踊り狂っていた。

 人形にあんな動きをさせたら毀れてしまうのではないか、それとも人形だからこそできる動きなのだろうか。そんなことを考えていたときだった。

 音楽が止み、人形たちがヴィデオの一時停止をかけたように、ぴたりと静止した。息遣いも、瞬きさえもない。人形だから当然と言えば当然なのだが、唐突に魔法が解けてしまったようで、私は困惑した。

 照明が暗くなり、代わって、閉じたままの赤い幕の付近だけが明るくなる。

黒い影が泛びあがった。スカートを穿いているのだろうか、極端に括れた腰と、その下が膨らんで広がった、女性的なシルエットだった。

 最初に動き出したのはラナークだった。影のほうへと向き直ると、すっと跪いたのだ。

「デイジー。われら人形の女王。よくぞおいでくださいました」

 あの向こうにいるのが、デイジー……。挨拶するなり平伏するなり、相応のアクションを取るべきなのだろうが、軀が固まってしまい、私はなにをすることもできなかった。

「そちらが人間のお客さま。お目にかかれて光栄です」

 影がスカートの裾をつまんで、優雅に一礼したのが判った。私もようやく、「女王にお目通りできて、嬉しく思います」

 デイジーの声は人間の女性のものに近く、どこかねっとりと耳に絡み付くような響きを帯びていた。人間の年齢で言えば私よりは年上なのだろうが、老いた印象はまったくない。若くして女王の座に君臨したために、相応の貫録を身に付けた人の声音、という感じだった。

「ラナーク、ダンスはお終いにしなさい。人間のお客さまには素晴らしい特技がおありとのこと。そうだったでしょう?」

「はは。伊月さまはこの人形の国にやってきてから、妖精の射手の称号を得ております。これは人間の来訪者としては初の快挙であります」

 ふふふ、と幕の向こうの影が含み笑いをする。

「それは、それは――。私もその腕前を見せていただきたいもの。ラナーク、準備は整っているのでしょうね」

「無論でございます」

 ラナークは身を起こし、ホールの入り口のほうに向かって「入れ」と鋭く声をあげた。私もつられるように、そちらへ視線を向ける。

 目を凝らして、それきり、声も出せなくなった。

 次々と運び込まれてきたのは、背の高い十字架だった――そのすべてに、人形が磔になった。

 波が引くように会場の人形たちが退いて、スペースを開ける。十字架は、デイジーのいる舞台と反対側の壁に並べて置かれた。下部を、男性の人形たちが数名がかりで支えている。

「この程度では余興にもならない。妖精の射手のお手を煩わせるほどのことではありませんね。誰かほかの者、的当てをして見せなさい」

 じゃあ私がやる、と三つ編みの少女の人形が前に進み出てきた。そばにいた別の人形が彼女に手渡したのは、どう見ても拳銃だった。

 動作こそ素人そのものだったが、彼女はなんの躊躇いもなく銃を構えると、同胞に狙いをつけて引き金をひいた。

 二発、三発。乾いた銃声が、ホールに響き渡った。

 一発が命中した。硝子の砕けるようなけたたましい音があがり、十字架にかけられていた人形の右腕が粉々になる。釘で打ちつけられていたらしい掌だけが残り、肩から下のほかのパーツは、ばらばらな断片と化して落下した。

 十字架の下に立っていた支え役の人形たちは、頭上から降り注いだ腕の残骸にひるむでもなく、床にたまったぶんを無造作に足で蹴散らした。そのあいだ誰ひとり、表情すら変えなかった。

 見物していた人形たちから、やんやの大喝采があがった。

「デイジー、私、上手にできたでしょう? ご褒美をちょうだい」

 三つ編みの人形が胸を張りながら言うと、幕の向こうから、小さく息をつく音がした。影が右手をゆっくりと持ち上げるような仕種をする。それに呼応するように、三つ編みの人形の軀が宙に泛びあがった。

「妖精の射手を前にして、あれしきの的に一発で当てられないとは……。恥ずかしい。遊びの下手な人形には――こう」

 三つ編みの人形の頭部が、ぐるりと回転した。首がみしみしと軋み、それから、なにかが弾ける厭な音が轟く。

 軀は吊り下げられたように空中に留まったままで、首だけが百八十度廻って背中側を向いていた。得意げな笑顔を張り付けた、少女の貌。

 影が手を下ろすと、支えを失ったように、三つ編みの人形はあっけなく落下した。

「遊びの下手な人形にはこう、遊びの下手な人形にはこう」

 周りの人形たちが連呼しながら、硬い床に投げ出された少女の頭部や胴体を踏みつける。また踏みつける。

 やがて人形たちが離れた。少女の手足は潰れ、くにゃりと折れ曲がり、ところどころが砕けて、内部の空洞が覗いていた。頭部はかろうじて原形を留めているが、頬はひび割れ、嵌め込まれていた眼球が零れ落ちて、右眼だった部分は髑髏のような孔になっている。

 その孔から、ふわりと少女の姿をした影が立ち上った。幽霊――ではない。パープルヘイズと違って、まだ原型を留めている。きっとこれは人形の魂だ。

「直して……くれるよね? ヴィトリオールに頼んで」

 少女の魂は、困惑したように自分自身を見下ろしたあと、怖々とした声でそう問いかけた。

 幕の向こうの影はゆっくりとかぶりを振った。それから再び右手を上げ、今度は自分の蟀谷に指を突き付けながら、

「まさか。あなたみたいな人形のことはもう知らない。忘れちゃった」

 そう嘲るような口調で言うと、右手を振り払うように下ろして、

「あなたには完全な消滅をあげる。消えなさい」

 言葉通りになった。少女の魂は一瞬にして掻き消え、なにも残らなかった。

 あはははははは――と高らかな哄笑が響いた。デイジーの笑い声だった。

「ああ、面白い。ではそろそろ、妖精の射手の技を見せていただきましょう。あなたは射撃がとてもお上手なんでしょう?」

「やめてください!」

 大声をあげていた。

「こんな残酷なこと、私はやりません。今すぐやめさせてください!」

 あらあら、と子供をあやすような口調で、デイジーが応じる。

「あなたが妖精の射手になれたのはなぜだと思う? この国で初めてやった的当てが上手くいくなんて信じられなかったでしょう? 上手くいったのは、元の世界のあなたが望んでいたから。そういう遊びをしたいと願っていたから。あなたはずっとずっと昔から、力が欲しいと思っていたの。誰かの軀を粉々にしたかったの。だからあなたは、この国で自分の望む自分になれた。ここではいくらでも、その力を使って遊んでいいの」

 愕然とした。妖精の射手になったのは、私自身の望み?

 私は強くなりたかった。確かにそうだ。でも――。

「違う!」

 拳を痛いほど固く握りしめ、私は声を張った。私が望んだのは、こんなことじゃない。私がなりたかったのは――。


 ……■■は強いよ。みんなも。大丈夫だって言ってくれるのは、いつも■■や■■や■■■■なんだもん。……


「私は、あなたの思い通りにはならない。あなたに魅入られるほど、私は弱くないから」

 人形たちの視線が一斉にこちらを向いた。全員が完璧に同じタイミングで、機械じみた動きだった。背筋が凍りつきそうな感覚に襲われた。

 一瞬の静寂。

 人形たちが私を直視したまま、するすると左右に分かれた。あいだに出来た通路を歩いてきたのは、双子の片割れだった。

 人形の瞳は爛々として、私を映しかえしていた。この眼を見たことがある。そう、彼女たちに初めて会ったとき、私が口を滑らせたときの眼だ。

「デイジーを悪く言わないで」

 あのときとまったく同じ口調で、双子の片割れはそう発した。低く平坦な、獰猛な蜂の羽音を思わせる声音。

 私を睨みつけているに違いないのに、眼の焦点が微妙に合っていないような不安定さを感じて、それが余計に恐ろしかった。まるで瞬かないその瞳に射竦められたように、私は身動きひとつ取れなくなってしまった。

 蒼白い手が私の腕を掴んだ。いつの間にそんなに近づいたのかと困惑する暇もなかった。万力のように締め上げられたかと思えば、信じがたい激痛に襲われたのだ。

 咽が切り裂けんばかりの悲鳴が、勝手に飛び出していた。身を仰け反らせて逃れようにも、腕は完全に固定されてぴくりとも動かない。

 足腰にまるで力が入らない。全身が痙攣し、その場に崩れ落ちて腰を強く打った。自分がどういう姿勢になっているのかももはや判らない。双子の片割れの白い貌が私を見下ろしている。

「痛い?」

 嘲るようなその口調と、無論のこと耐え難い苦痛に、私は激昂した。気がつくと弾けるように立ち上がって、自由な右腕を無我夢中で振り回していた。掌が硝子窓に突き当たったような感触があり、ぱりん、となにかがひび割れる音が耳朶を打った。

 唐突に痛みが止んだ。私はへたり込んで、荒い息を吐いた。

 手がぬるぬるする。脂汗かと思ったが、右の掌はべったりと血に染まっていた。血は後から後から噴き出してくるようだったが、感覚が麻痺しているのか、痛みはほとんどなかった。

 視線を上げる。双子の片割れは、唇の端を湾曲させていた。

真っ白い頬に、大きな亀裂が入っている。彼女はその傷を、愛撫するようにゆっくりと指先で撫で上げると、

「嬉しい。これであんたのこと、ずっと覚えていられるよ。長壁伊月さん」

 恍惚とした表情を泛べていた。瞳が濡れたような輝きを帯びた。

 遊んだ証拠を、ちゃんと刻んでおかないと駄目なの。双子の片割れはあのとき、確かにそう言った。ばらばらに、粉々にされたあと、ヴィトリオールに修理してもらうとき、わざと少しだけ、その繋ぎ目を残しておいてもらうんだ。相手のことを思い出すために。

 人形の言葉が甦り、私は総毛立った。これで彼女のなかに、私の記憶が刻まれてしまったのだ。双子は絶対に私を忘れない――人形の女王に抗った私を。

 ダンスホールに破裂音が轟いた。窓のひとつが砕け、黒い影が躍り込んでくる。同時に、複数の人形たちが、悲鳴を上げながら後ろざまにひっくり返った。

 鈍い輝きが私の眼を射た。何本ものナイフが舞い、次々と人形たちを打ち倒していく。

 グリフィン?

 そう発する間もなく、私は腰のあたりを抱きかかえられ、宙へと泛んでいた。強く引き寄せられるような感覚と共に、破られた窓をくぐり抜けた。そのまま勢いよく外へと連れ出される。

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