第26回

「よくぞお戻りになりました!」部屋に入るなり、ラナークが長身を深々と折って私に一礼する。「遊覧船での飛行中に、グリフィンめに襲われたとか。船が街の外に落下したとの報告を受け、捜索隊の出動準備をしていたところでございます。本当に、ご無事でなによりでした」

 人形館に戻った途端、私は侍女めいた格好をした人形たちに囲まれ、今いる一室に連れ込まれたのだった。天蓋付きのベッドに寝かされ、あれこれ軀を調べられそうになったのには困惑した。怪我はしていないと強く言い聞かせ、世話を焼こうとする人形たちを追い払うと、代わってラナークがやってきたのである。

 私は彼を向かいの席に坐らせると、

「他の乗客や、アルマは無事でしたか」

「おかげさまで。アルマは船が壊れたショックで寝込んでしまいましたが、なに、修理が済めば元に戻るでしょうから、心配は無用です」

「ならよかったです」言いながら、私は少し複雑な気持ちになっていた。

 グリフィン――。

 自分の乗る船を襲い、墜落させた相手への怒りはある。人形たちを平然と傷つけられる、冷酷な人物なのだとも思う。しかしグリフィンが自分と同じ人間で、私たちのためにわざわざ警告を発してきたという事実は、私の中で強い存在感を放っていた。船を襲ったのも、なにかの理由があってのことではないか、という気がしてならないのだ。自分がなぜこれほどグリフィンの肩を持つのか判らなかったが、直感は私にそう告げていた。普段なら、直感に判断を任せることなどめったにないはずなのに……。


 ……あの不安げな■■たちは――望まぬうちに人形の国に迷い込んだのではないか。帰り道を求めて彷徨っていたのではないか。人形たちはその内面を見透かして、優しく愉快な玩具を演じたのではないか。心の隙間に取り入られてしまった■■は■■に変えられ、辛うじて免れたもうひとりの■■だけが、■■言うところの■■■■に助け出されたのではないか。……


「大丈夫ですか?」というラナークの声で、私ははっと我に返った。脳裡に泛んだイメージは瞬時に飛び去り、自分でもなにを考えていたのか、もはや判らなかった。

慌てて「ええ」と応じると、彼は重々しい口調で、

「伊月さまは妖精の射手として、勇敢にグリフィンめに立ち向かわれたと聞き及んでおります。しかしグリフィン、あの不遜の輩、お客さまにまで手出しするとは……。われら人形の誇りにかけて、これ以上のさばらせておくわけには参りませんな」

 ラナークの兎の耳が天を突くように鋭く立ち上がり、赤く丸い眼も強い光を帯びた。グリフィンはやはり、人形たちの共通の敵らしい。乗客がグリフィンに対して見せた凄まじい悪意を思い返す。私がなんらかの理由で人形たちと敵対したなら、彼らは私にも、あれだけ残酷になるのだろうか。

「私はこの国に来て日が浅いのでよく判らないんですが、グリフィンというのは何者なんでしょうか」

 ラナークは忌々しげに握り拳を作り、

「盗人です。われら人形が、必ずや撃ち滅ぼさなければならない宿敵。奴は大胆不敵なことに、デイジーの所有物を盗むのです」

 盗人。確かにアルマもそう言っていた。その標的はデイジーの所有物……。盗人が標的にしそうな財宝を、デイジーは持っているのだろうか。一国の主なのだから、持っていても当然不思議ではないが。

「どういうものが盗まれたんですか?」

 私の問いかけに、ラナークはかぶりを振り、

「具体的なことは存じませんし、われらが知るべきことでもありません。問題は、われらの主の所有物が盗み出された、というただ一点です」

 よほど貴重な宝物なのか。これまでの言動や、与えられている役割からして、ラナークはそれなりに地位の高い人形だろう。そうした側近でさえ知らされていないような。

 いや待て。私はパープルヘイズ、そしてドロテアとの対話を思い出していた。彼らはどちらも、所有物、所有権という言葉を使っていたではないか。この国の人形たちはみなデイジーの所有物であり、持ち主に忘れられた人形は死ぬ。パープルヘイズはそうして死んだ人形の幽霊であり、ドロテアに従っていた怪物たちは元々、デイジーが所有権を放棄した人形だった。

 デイジーの所有物とは人形それ自体のこと……だとしよう。ではグリフィンは人形を盗む? 遊覧船を襲ってきたときは、ナイフ投げで人形たちを倒していたが……。あれは、人形を盗むためにやったことだったのだろうか。手に入れた人形を自らの支配下に置き、デイジー、ドロテアに次ぐ新たな勢力を確立するために。

 しかし、人形というのは盗んだだけで命令を聞くようになるのだろうか。人間の立場で考えれば、ありえない気がする。

 おそらく、人形の国の考え方でもそうだ。バジリスクやコカトリスがドロテアを慕っていたのは、元の所有者だったデイジーからドロテアへ所有権が移動していたからだろう。元の持ち主が所有権を放棄しない限り、別の誰かがその人形の所有者になることはできないのではないか。

 だとしたら、人形の軀だけ盗み出しても無意味だ。デイジーが所有権を持っているあいだは、人形がグリフィンに従うことはありえないのだから。

 判らない。グリフィンはなにを考えているのか。そして私に寄越した警告はどういう意味なのか――。

「奴のことはわれわれにお任せください。必ずや、首を取ってご覧にいれましょう」

 私は曖昧な笑みを泛べて応じると、一時思考を中断し、ラナークに訊ねた。

「あの、佳音はどうしてますか」

「体調が優れないということで、お休みになっています。環境が変わったことでお疲れになり、調子を崩されるお客さまは、これまでにもいらっしゃいました。今は双子が交代で看ていますから、どうかご心配なく」

「まだ会って話せる状態ではないんですか?」

「残念ながら。佳音さまにご臨席いただけないのは残念ですが、今夜はささやかな歓迎会を催す予定でございます。伊月さまにおかれましては、ぜひともご出席をお願いいたします」

 佳音のことをあっさり流されてしまったように感じて、私は不満だったのだが、食い下がっても答えは変わらない気がした。人形たちは理由をつけて私と佳音を会わせないようにしているのではないかと、これもまた直感だけで、私は疑っていたのだ。

 ドロテアとの約束を思い返す。壁の内側の様子を、彼女に伝えなければならない。大勢の人形が集まるであろう歓迎会は、格好のサンプルになるはずだ。

 私が頷くと、ラナークは喜色満面といった表情になった。

「ありがとうございます。では私は、準備の続きにかかります。お時間になりましたら、お迎えにあがります。それまではどうか、ごゆるりとお過ごしください」

 ラナークはそう言い残して、部屋を出ていった。

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