第24回

 岩で作られた神殿だと思ったが、近づくにつれ、洞窟に精緻な細工を施してそう見せているのだと気づいた。岸壁に開いた入口には、蛇が巻きついたような紋様の彫り込まれた門がある。足元は石畳になっていて、緩やかな階段のていを成している。私の知る神殿のイメージにきわめて近い建造物が、そこにはあった。

「大昔に私がいた場所を模して造らせたのだ」とドロテアが言いながら、階段を下っていく。炎が燈された蝋燭が等間隔に備え付けられ、神殿の内部を照らしていた。もはや彼女に従うほか生き長らえる術はないと腹をくくっていた、というより、単純に恐怖に縛られて言われるがままになっていた私は、こくこくと頷きながら後に続いた。

「そう縮こまるな。繰り返すが、ただ話をしたいだけだ」

 狭い通路だ。壁に声が反射し、四方八方から聞えるように錯覚する。訊きたいこと、とはなんだろう。どういう話なのか見当もつかない。なぜ私ひとりを連れてきたのかも判らない。

 ときおり右に折れ左に折れしながら、階段は長々と続いている。ここまでは延々と下りだから、上りつづければ引き返せる――というほど単純ではないだろうが、少なくとも、下りにぶつかったら明確な間違いだとは判断がつく。もっとも、ひとりきりでここから脱出せざるを得ないような事態に陥るのは、なんとしても避けたいところだけれど。

 歩きながら壁を観察してみる。軽く触れる。表面はざらついた石の感触そのものだが、少し冷たかった。地上とはやはり温度差があるのだろうかと思う。

 天井や壁の高いところには、蛇をモチーフとした絵が描かれている。タッチは古代の宗教画風で、私の手元にある招待状にあるイラストとはまるで印象が違った。同じ国でも、城壁の内側と外側では文化が異なっているようだ。

 やがて空間が開け、小部屋のような場所に出た。太い柱に四方を支えられた、長方形の空間だった。石が長机と椅子の形に削り出されている。

 ドロテアはそこに腰掛け、「坐れ」と私に命じた。言われた通り、彼女の向かいに坐った。お尻がひやりとする。自然と背筋が伸びた。

「おまえは人間だな?」

 着席するなり唐突にそう問われた。

 即答できなかった。確かにそうなのだが――人形たちの誰にも気づかれなかったので、ドロテアも知らないものだと思い込んでいた。

 私の困惑を読み取ったのか、彼女は唇の端を釣り上げて、

「連中と違って、私はあらゆる感覚が鋭敏なのさ。人間のことはすぐにそうと判る。おまえが人間だと気づいたからこそ、わざわざここへ連れてきた。だから人間のおまえが知る、正直なことを話すのだ」

 だからアルマを先に帰したのか、とようやく合点がいった。私が、人形のふりをして人形と行動を共にしているだけの人間だということも、彼女にはお見通しだったというわけだ。

「判りました」と素直に頷くと、ドロテアは笑み、

「話を始める前に、おまえの本当の名前を聞きたい」

「長壁伊月です」そう口にしてみて、ずいぶん長いこと、この名前を忘れていたような気がした。佳音と引き離されてから――まだ一日も経っていないはずなのに、遠い過去のことのように思える。

「私はドロテア。地を這う者ども、蛇たちの王だ」

 頭髪の蛇が、くねくねと踊るように身をよじらせる。すべてが違う動きをしているので、やはり別個の生物のようだ。髪の一本一本に神経のようなものが通っていて、ドロテア自身が制御しているのかもしれないが、傍目には生きた大蛇そのものとしか思えなかった。

 私は小さく頭を下げ、「よろしくお願いします」

「こちらこそ。では話を始めよう。よく聴け」

 また頷くと、彼女は少しだけ冥想するように考え込み、それからゆっくりと口を開いた。

 

 ここは私がかつていた場所を模して造らせた、と言ったのを覚えているか。おまえも人間なら、気づいていたかもしれない。この建物の作りは人形の国の様式とはまったく違う。そう、人間の世界のものに近いのだ。もっとも記憶を頼りに命じたものだから、細部の誤差はあるだろうが。

 つまるところ私は昔、人間の世界にいたのだ。

 自分がなんという国にいたのかは覚えていない。数えきれないほどの場所をたらい回しにされたものでな。誰に作られたのかも、今となっては判らない。遠い昔のことだ。

 ただはっきりしていたのは、私が人間たちにとって忌まわしい存在だった――邪悪なるものの化身として生み出された、ということだ。場所や時代によっていろいろな呼び方をされたが、蛇の女怪であることに変わりはなかった。私はあらゆる人間に恐れられ、憎まれる、暗黒邪神像だったのだ。

 人間に怨みがないわけではない。しかし終わった話だ。私も私で、水を枯らせたり病を流行らせたり、ずいぶんと奴らを痛めつけたから、お相子というやつだな。おまえが人間だからといって危害を加えたりはしないから、安心するがいい。

 さて、あるとき――旅人が登場する。おまえと同じ人間の旅人だ。奇妙な男で、世界中を廻っては珍しいものを収集せずにはいられなかった。

 旅人は私を見つけた。そして現地の人々に、この像を買うと申し出たのだ。人々はむろん喜んで、私を売り渡した。

 男は旅を続けた。そして、この人形の国へやってきた。

 人形の国にはすでにデイジーがいて、人形たちを支配していた。しかしお気に召さない人形もいたようで、奴は要らない人形の所有権をすべて放棄した。自分の気に入った人形だけを街に住まわせ、そのほかの人形を壁の外に追放したのだ。

 そう、ここにいる怪物たちのことだ。人型をしていない、おぞましい毒蜥蜴や毒鶏の人形は、みな捨てられた。所有者に忘れられれば、あとは軀が朽ちて死ぬのを待つばかり。それが人形の国の定めだ。

 おまえは人形の死について知っているか? 誰からも忘れ去られ、打ち捨てられ、その軀が失われたとき、人形は死ぬ。持ち主に捨てられるということは、遅かれ早かれ死に至るということだ。

 しかし奴らは生きた。じっと石のように固まって、時を待ちつづけたのだ。

 旅人は私をこの国へ連れてきた。そして、見捨てられた怪物たちの王になるように言った。ここがおまえのいるべき場所なのだ、と。私はそれに従った。私の居場所は、人間の世界からこの人形の国になった。怪物たちは新しい主を得た。彼らにしてみれば、私は違う世界からのお土産というわけだ。

 随分な土産があったものだな。しかし私でなければ、奴らを従えることは出来なかったろう。そうは思わないか?

 私は蛇たちを代表してデイジーと交渉し、必要がない限り互いの棲み処を侵さないよう約束した。だから長らく、われらが壁の内側へ足を踏み入れることはなかった。

 そうして平和に、われらのような邪悪な者どもが平和という言葉を使うのもおかしいが、何事もなく過ごしてきた。蛇たちはみな私を慕ってくれ、主を得られてよかったと喜んでくれた。私もまた、人間に憎まれずにいられるのが嬉しかった。

 ところが、あるときのことだ。われらは忌まわしい気配を感じた。邪悪なわれらからしても忌まわしく感じるような、それは凄まじい気配だった。地上になにか恐ろしいことが起こる、全員がそう直感した。

 どうしたと思う? 穴に潜り込んでやり過ごしたのだ。実に蛇らしいやり方だろう? われらは気配が過ぎ去るのを、息を潜めて待った。そしてようやく気配が去ったと思えたとき、土から這い出したのだ。

 おまえに問いたい。あの忌まわしい気配の正体がなんだったのか。この人形の国になにが起きたのか――。

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