第21回

 少し緑がかった水色の空には、乾いた絵筆で擦ったような雲が泛んでいる。もし月が溶けて広がったら、空はきっとこういう色に染まるのではないか。

 夜よりは少し明るいが、大差はなく感じられた。どちらを向いても太陽が見当たらない。

 昼の人形の国を歩くのは初めてだ。大勢の人形で賑わっているが、今のところ見咎められたりはしていない。

 パープルヘイズの話が真実なら、表層的には平和なこの街においても、陰で呪いの力が働いているということになる。毀したくなる衝動と、所有者の凶行を嬉々として受け入れる人形の心理――それを異常だと感じる者は、この国では歓迎されない。デイジーを悪く言わないこと。そしてグリフィンからの警告――取引に応じないこと。

「大丈夫」と口の奥でつぶやく。まずは観察してみるほかない。

 道路を挟んでずらりと並んだ建物は、近くで眺めるとより奇妙だった。

 踊っている最中に一時停止したかのように形の歪んだもの。上の階がやたら大きいのに下側が頼りない、逆ピラミッドに近い構造のもの。ねじれた塔みたいなもの。空中に浮遊しているのかと思いきや、ひどく細い階段で隣の家と連結した、鳥の巣箱のようなもの。

 歩き廻るうちに発見した事実がある。圧倒的に遊戯場が多いのだ。建物全体の半数くらいはそうなのでは、と思うほど。喫茶店やレストラン、服屋などもちらほら目に付くのだが、遊戯場よりは明らかに目立っていない。

 ひとつずつ看板を読んでいく。射的、釣り堀、レース……このあたりはいい。しかし「蜘蛛投げ」「人形遣いの人形遣いの人形遣い」といった、なにをやっているのか想像しがたい店もある。蜘蛛というのはあの蜘蛛? 手で投げるのだろうか。道行く人形たちは特に臆する様子もなく、今日はここで遊びましょう、などと言い合って建物に吸い込まれていく。

「ねえ、遊ぼうよ」

 声のしたほうへ振り返ると、丸く大きな瞳が私を見上げていた。いつの間にか傍らに少年の人形がいる。きちんと切り揃えられた栗色の髪に、僅かに赤みが差した頬。学校の制服と思しいブレザーを着て、ネクタイを締めていた。

「一緒に遊ぼうよ」少年は繰り返し、手招くような仕種をした。「なにして?」と問うと、少年はかたかたと音を立てながら口を開け閉めした。笑っているようだった。

「楽しいこと。きっと気に入ってくれるよ」

 話に乗るべきだろうか。邪気はなさそうだ――まったく怪しくないと言えば嘘になるけれど。

 遊戯場がこれだけあるところを見ると、人形は遊び好きなのだ。人形の本分は遊ぶこと、と考えればしっくりくる。誘われた遊びを断る人形というのは、ちょっとまずいかもしれない。

 突っ立っている私の袖を少年が引いた。ひとまず抗わないで着いていくことにする。

小さなアーケードのなかへと導かれた。床が石畳から、チェス盤のような白と黒のチェック柄に変わる。

 頭上には、白地に赤で「PENNY ARCADE」と書かれた、どこかレトロチックな看板があった。隣にプロペラ式の飛行機の模型がぶら下がっている。

 歩きながら左右を見廻す。昔ながらのピンボールマシンや、木枠の硝子ケースに景品が詰め込まれたクレーンゲームなどがあちこちに並んでいる。ゼンマイ仕掛けらしい模型自動車を駆った人形が向こうからやってきて、私たちとすれ違う。

 筐体に寄り集まって遊びに興じる、子供の姿をした人形たちがいた。その傍らでは、両親なのだろうか、男女の人形が木馬に跨って前後に揺れている。私を先導している少年は、脇目も振らずにその横を通り過ぎていった。彼らと一緒に遊ぶわけではないようだ。

 ペニーすなわち一セント、小銭で遊べるゲームが揃っているゲームセンターをペニーアーケードと呼ぶ、という程度の知識はあった。現実に流行ったのは確か、二十世紀の頭くらいまでだった気がする。その雰囲気を再現した場所なのだ。

「これをやろうよ」と少年が看板を指さす。「妖精の射手」とあった。

 入口にかかっている幕を左右に分け、少年がなかに入っていった。後に続く。

 奥行きのある空間に出た。向こう側の壁は赤いカーテンで覆われている。かなり手前の位置に肘の高さほどのカウンターらしきものがあって、仕切りの役割を果たしている。

「いらっしゃい」受付に坐っていた、鷲鼻の男性の人形に声をかけられた。ここの店主のようだ。「この遊びは初めてかな?」

 頷く。結構、と店主は言い、「初回は無料だ。ルールはとても簡単。そこから的を狙って撃つ。使うのはこいつだ」

 取り出したのはY字型のパチンコ、いわゆるスリングショットである。左手を伸ばして構え、右手でゴムを引っ張ってみせる。びいん、と一度空撃ちしてから、私に寄越した。 

 作りは単純そのものだが、硬い木が使われているらしく、頑丈そうだった。子供のころ、適当な木の枝でこれと同じものを作って遊んだことがあるのだが、すぐに曲がってしまって使い物にならなかった。そういうことはなさそうだ――子供の工作と比べるのも失礼だけれど。

 袋に詰めた弾を渡された。ひとつを取り出して眺めてみる。シャボン玉みたいに角度によって色味が変わる、透明の石ころだった。ワンゲーム十発だという。

「的はこれだ」店主が開いて差し出した掌の上で、宝石の結晶のような緑色の八面体が、くるくると回転している。どういう仕組みなのかさっぱり判らない。

 彼が軽く勢いをつけて押し上げるような動作をすると、的はゆっくりと宙に泛んでいき、天井に触れた瞬間にぱしゃん、と音を立てて割れた。

「ご覧のとおり脆い的だ。弾が当たればすぐさまばらばらになる。色によって得点が違って、通常の的は上から順に赤、青、緑の三種類」

 僕は後でいい、と少年は言い、お先にどうぞと掌をカウンターのほうに向けた。店主が私に立ち位置を示す。一発目の弾を番えてゴムを引き絞った。

「準備はいいかな――では、スタートだ」

 するするとカーテンが左右に開き、なかの空間が顕わになった。雰囲気を出すためなのか、背景として横に長く引き伸ばしたような荒野の絵が貼ってある。遮蔽物などはなく、端から端まで見渡せた。

 まずはひとつ、右から左に向けて緑色の的が流れてくる。さっき天井に泛んでいったものとほぼ同じ速さだ。軌道が完全にまっすぐだったので、狙いやすい位置まで来るのを待って右手を離した。音とともに的が砕け散った。

 続いて左から右に、緑が横並びでふたつ。ひとつめと同じところで待ち構えて、二発連射した。いずれも当たり。

 ひゅう、と誰かが口笛を吹いた。幸先はよさそうだ。

 四個目の的は青だった。難易度が変わったらしく、下からいきなり飛び上がったかと思うと急速に落下する、少し厄介な動きだった。最高点に到達してから落ち始める直前を狙って、これもクリアする。

 五個目と六個目の青が間髪入れず流れてきて面食らう。緑とは段違いの速さで、真正面のタイミングを逃してしまった。腰を捻って離れていく的を追いかけ、反対側の壁にぶつかって割れるぎりぎりのところで弾を命中させる。

 七個目が左、八個目が右から出現する。どちらも赤。反射的に早く出たほうを狙いかけて、手を止める。この動きならば、ちょうど真ん中でふたつが重なる瞬間があるはずだ。ゴムを引いたまま待ち――撃つ。ぱりんぱりん、と連続した打撃音。

 九個目と十個目は曲芸する海豚のように、両端からアーチを描いて中央へと落ちていく赤的だった。さっき掴んだ感覚を駆使して、一発の弾で取る。

 どっと歓声があがった。狭い店内に、いつの間にやらギャラリーができている。だいぶ集中していたらしく、今の今までまったく気がつかなかった。

「すごいや、全弾命中だ」

「僕なんか青ですら当てたことないのに」

「射撃の名人なんだね」

 人形たちが私に近づいてきて、口々に褒めそやす。気恥ずかしくなってきた。自分でもなぜここまでうまくいったのかよく判らないのだ――意外と射的の才能があった?

 私はカウンターから店主のほうを振り返り、「弾が二発余りましたけど――」

 言いかけて、はっとした。手が勝手にパチンコを構え直していた。視界の隅で確かに、きらきらと輝くものが動いた。

 あった。羽の生えた的が、天井の近くを生き物のように飛び廻っている。ふたつだ――金と銀。

 妖精の的だ、と人形たちが騒ぎはじめる。

「撃って、撃って」

 的を眼だけで追いかけたが、すぐさま見失ってしまう。羽音だけが聞える。

 不意にまた姿を現した。飛ぶ速度がかなり速いうえ、動きがまったく読めない。ヘリコプターのようにホバリングしたり、スピードを落とさないままいきなり向きを変えたり、ふたつがじゃれ合うように同じ軌道で飛んだり――狙いようがない。

 構えたままの腕が疲れてきた。普通に照準をつけて撃ったのでは当たりっこない。

 人形たちの視線を感じる。どうしようもなくなった私は、自分でも信じられないような奇怪な行動に出た。パチンコのゴムを引き絞ったまま、固く眼をつぶったのである。

 なぜそんなことをしたのかは判らない。直感? ともかく私は、突然降ってきたようなその感覚に身を任せることにしたのだ。

 まだ……まだ……まだ……。手許が震えはじめた。しかしまだだ……。

 今!

 頭のなかで閃光が炸裂した。その瞬間、私はぱっと右手を離した。

 永遠に思えるほど長い一瞬の静寂が、きらきら、と星の瞬くような音で破られた。

 眼を開けた。私の真正面、店の隅の床のうえに、粉々になった硝子片みたいなものが散らばって、光を跳ね返している。金と銀が混ざり合った、このうえなく美しい乱反射。

「妖精の的を取った」

「しかも一発で」

 おおおおお、と太い叫び声。口笛、指笛、拍手の音。私はあっという間に、濁流のように押し寄せてきた人形たちに囲まれて、身動きが取れなくなってしまった。

「妖精の射手だ! 妖精の射手だ!」

 店主が人混みを掻き分け、私に歩み寄ってきた。「なんてことだ。この店始まって以来だ。赤の的はともかく、妖精の的まで一撃で撃ち落とすとは――信じられない」

「えっと、ありがとうございます。射的なんてやったことなかったんですけど――上手くできたみたいで嬉しいです」

「上手いどころの話じゃない。君は妖精の射手として名を残すだろう。そう――名前を教えてくれないか。偉大な射手の名を壁に飾らねば」

 即答できなかった。長壁伊月、と正直に伝えたら、私が人間であることが知られてしまうかもしれない。調子に乗って忘れかけていたが、私の目的はあくまで、人形のふりをしてこの国の様子を探ることだ。

「イズです」私はそう言いながら、空中に人差指で文字を書いた。I、Z、Z。

「そうか、イズ」と店主は疑った様子もなかった。「妖精の射手。おっとそうだ、君に商品をあげなくては」

 店主はポケットを弄り、茶色い革のケースに入ったカードを取り出して、恭しげに私に差し出した。店主は厳かな声で、

「それはフリーパスだ。人形の国にあるあらゆる遊戯場、乗り物を好きなだけ利用できる」

 ちょっとびっくりしてしまった。豪華すぎるのでは? 射的の一等の景品といったら普通――なんだろう、ゲーム機とか? そういう類のものではないだろうか。

 私は軽く頭を下げながら両手で商品を受け取った。また拍手が起こった。

 ベルトのあいだに挟んでいたパチンコを抜き出して返そうとすると、店主は手を振り、「そのパチンコも差し上げる。妖精の射手に使ってもらえるほど光栄なことはない」

 私をここに連れてきた少年の人形がまた近づいてきて、

「せっかくだから乗り物に乗ってみようよ」

「射的がしたかったんじゃないの? 待ってるから、やったら?」

 少年は例の、口をかたかた鳴らすような笑い方をして、

「射的は好きだけど、妖精の射手の後じゃできないよ。さあ、行こう」

 ぱっと出入り口の幕をくぐり、私たちは店を後にした。ペニーアーケードを出て、大きな通りを歩いていく。方向が駅とは反対だ。

「電車に乗るんじゃないの?」

「もっと面白い乗り物だよ」

 ショッピングモールのような大掛かりな施設の敷地に入った。複数の四角い建物が並ぶ傍らに、円錐の形をした塔がある。ぐるぐると巻きつくように設置された階段を上りはじめた。しばらく行くと「1」と書かれたゲートが立っていて、階段から二又に分かれた細い通路が空中に向かって伸びている。通りすぎてもう一周ほど上ると、今度は「2」のゲートがあった。形状は同じだ。植物の葉が伸びるように、螺旋階段状にゲートと通路が備え付けられているようだ。

 次の「3」をくぐった。風に頬をなぶられる。手摺がついているとはいえ、空へと突き出した道の上だ。飛び込み台にでも立っている感じで、単純に怖い。

「遊覧船が来るよ」と少年が言い、空の一点を指さした。大きな影がゆったりと波を分けるように浮き沈みしながら、こちらへ向かってくる。

 船は子供のころ恐竜博で見た首長竜に近い形をしていた。ヴァイキング船から帆を取り去ったものにも少し似ている。

 丸っこい胴の鰭に当たる位置から四本の白い羽が生えていて、うねるように宙を掻いている。すっと長く伸びた舳先、竜の頭部に、祈りを捧げるように胸の前で腕を組み合わせた少女の人形が跨っていた。

 船が横向きに止まった。横っ腹にはちゃんと窓がある――と思いきや、くり抜かれたように穴がいくつも開いているのみだった。すでに乗船している人形たちの顔が見える。

 ずるずると引きずるような音をさせながら手摺の一部が下へ引っ込み、船が高度を下げた。通路と船の甲板、首長竜の背中が地続きになる。

 少年が背中に乗り移った。私も意を決して後を追う。

 踏みしめた甲板は硬く、それなりに安定感があった。ここはビルの屋上、ここはビルの屋上、と自分に言い聞かせる。

 甲板に潜水艦のハッチのようなものがあった。少年が蓋を開けて私を手招いた。内側に付いている梯子を使って、ゆっくりと下りる。床に足が付いた。ひとまず安堵がこみ上げた。

 制服らしい衣装を身に纏った男性の人形が「ご乗船ありがとう」と私たちに声をかけてきた。少年がポケットからコインを出して手渡す。私はさっき貰ったフリーパスを見せた。搭乗員の人形は一瞬、眼を丸く見開いたが、すぐさま表情を元に戻し、ただ頷いただけでなにも言わなかった。フリーパス乗船というのはやはり珍しいものなのだろう。

 少年と共に船室に通された。電車の車両一両ほどの広さで、先客は十名程度だった。窓際の席に、ふたりで隣り合って坐る。

「では出発いたします。ご案内は私、搭乗員のルース。揺れますので注意」

搭乗員の声と同時に、お腹がふわりと引っ張られるような感覚が生じた。船が空へと泳ぎ出したのだ。

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