第20回

 奇妙なリズムの正体がノックだと気づかず、私はしばらく身動きできずにいた。ドアを打楽器に見立てて叩いているようだと最初は感じ、それからなんらかのメッセージが含まれている可能性に思い至って、枕の上で耳をそばだてていたのである。

「朝だぞお」

 双子のどちらかの声。起こしに来たようだ。だとするとさっきのは――人形流のノック? ともかく私は布団を押しやって起き出し、ドアを開けた。昨日とまったく同じ格好の、双子の片方が立っていた。

「ねぼすけ」と顔を合わせるなり莫迦にされた。ということは、佳音はもう起きているのだ。思い出した。昨日の話をしなければ。人形の横をすり抜け、隣の部屋へ向かおうとすると、

「ストップ」唐突にパジャマの左の袖を掴まれた。小さく白い手は思いのほか力が強く、私はバランスを崩しかけた。

「なに? ちょっと佳音に用があるんだけど」

「佳音って誰だっけ」

「友達。私と一緒に来た女の子」

「ああ、もうひとりのほうね」

 お得意の奇妙な理屈で納得した様子だったが、まだ手を離してはくれない。「あのね、私――」

「なんか、調子が悪いみたいだよ。まだベッドの中」

 言い聞かせようとしたのを、そう遮られた。え? と声をあげて人形の顔を見やった。

「いつから? なんで?」

「いつだっけ。とにかく朝行ったら具合が悪いからって言われた。理由は知らない」

「いつだっけ、じゃないよ」私は少し屈んで人形の耳元に唇を近づけ、「昨日の夜、佳音はどこに行ってたの? 連れてったのはあなた? もうひとり?」

「覚えてない」

 そう答えるに決まっていたのだが、空惚けられたようで私は苛立った。

「もういい、離して。佳音と話があるから。話ぐらいできるでしょ?」

 振りほどこうとした袖を、逆に引き寄せられた。怪力と言ってよかった。ぱちぱち、とパジャマの糸が切れる音がし、私は立ち竦んだ。

「駄目」と人形が断じる。それから声を高くして、「病気だったらどうするの。人間どうしだとうつっちゃうよ。ちゃんと私たちが看てるから」

「……人形に、人間の軀のことが判るの? 毀れたら修理できるようには出来てないんだよ?」

 ふふ、と人形が口元だけで薄く笑った。

「看病したこと、何回もあるもん。ご飯作って、あーんして食べさせて、氷枕も準備するし、子守唄だって歌ってあげる」

 楽しげな口ぶりで言い、眠れよい子よ――と本当に歌いはじめた。上機嫌な歌声だった。握った手をまるで緩めないまま、延々と歌いつづける。聴いているうちに背筋が薄ら寒くなってきた。人形のベッドに寝かされた女の子。なんだろう、どこかで――。


 ……部屋の中央に置かれた木製の寝台の上で、すっぽりと厚い毛布にくるまれている誰かの周りを、人形たちが囲んでいるという■だ。……


 だんだんと意識がぼうっとしてきた。私は頭を振って、どうにか思考をはっきりさせる。ひとまずは「判ったよ」と言わざるを得なかった。

「佳音が元気になるのを待つから」

 左手が自由になった。後ずさって人形から距離を取った。

「でもなるべく、余計なことはしないで。話せるようになったらすぐに会わせて」

 できる限り強い口調で告げた。人形が頷いたのを確認する。立ち去ろうとした彼女が、あ、となにか思いついたように発し、こちらを振り返った。どきりとした。

「別にどこへ行っててもいいけど、夕飯までには帰ってきて。ラナークが歓迎会をするみたいだから。この国のみんなに、お客さんを紹介するんだって」

 後姿が見えなくなってから、私は自分の寝室に引っ込み、内側から鍵をかけた。双子の、少なくとも昨夜私と同行したほうは鍵束を持っていたのを思い出したが、開け放しておく気にはなれなかった。

 ひとりで街に偵察に行こう、と私は心を決めていた。

 ひとまずシャワーを使い、軀をすっきりさせる。鏡の横に下がっていたドライヤーで髪を乾かし、バスタオルだけ巻いて浴室を出る。複数あるクローゼットのうちひとつを引き開けた。色とりどりの服がずらりと並んでいる。着せ替え人形用の衣装が取り揃えられているようだった。下の段には鞄や靴もあり、頭から爪先まで着飾れそうだ。

 ここじゃなかったか、と扉を閉じかけて、ふと思いついた。「好きに使っていい」と説明されたのだから、着ても文句は言われないだろう。

 なるべく人形らしく見える服を捜す。ファッショナブルすぎる、際どすぎる、真っ白なウェディングドレス――などと除外していっても、それなりの数が残った。

 アンティークドレスを現代風にアレンジした感じのものを選び、身に着けてみる。測ったようにサイズが合っていたのが驚きだった。

 姿見の前に立ち、駅で見た光景を思い起こした。すれ違った人形たちの服装はてんでばらばらだったが、それでも全員が衣装を着ている、という感覚はあった。普段着丸出しの人形は、たぶんいなかった。この格好のほうが溶け込みやすいはず――と思い込むことにする。

 私たちが人間だとすでに知っているのは、デイジーと人形館の人形たち――ラナーク、ハーヴェイとハーカウェイの双子。そして墓守のポーリーとパープルヘイズ。ほかに可能性があるのは歓迎の音楽を演奏していた楽団の人形たち。歌い女のプリシラや、指揮者のトビアス。それ以外の街の住人たちには、今夜の歓迎会まで知らされないはずだ。

 この人形の国にやってきたとき、ラナークは「素性が洩れると騒ぎになる」と言っていた。騒がれるのを避けつつ、人形の国の様子を探るには、人形らしく振舞うべきだろう。

 地図を捜した。机のいちばん上の引き出しからあっさり見つかった。屏風のように折り畳まれていたので、広げてざっと眺める。遊園地の入り口で貰えるような、デフォルメの効いたデザインだが、目印になりそうな場所や建物はきちんと載っている。これで用は足りそうだ。

 最初に降りた駅は「乙女の心臓」駅というらしい。この駅を中心として、路線が毛細血管のように伸びているのが判る。駅から人形館までの道順を思い返しながら、指先で地図を辿ってみる。そう複雑な道のりではない。駅から離れ過ぎなければ、私でも迷子にはならないだろう。

 中央部の地名には「人形」、あるいは「乙女」「娘」といった語がよく使われていた。周囲をぐるりと壁に囲まれていて、城郭都市のようになっている。その外側の地名は「鈍色の羊」だの「蛇の吐息」だのといった調子。羊や蛇の人形が多く棲んででもいるのだろうかと思う。

 枕元の引き出しを開け、グリフィンを名乗る人物から送られたメッセージ入りの招待状を取り出す。私自身のものは、この国に来たときに穿いていたジーンズのポケットのなかだ。片端からクローゼットを開けて、自分のジーンズを見つけ出す。

 招待状をふたつ、並べて見比べた。表側に描かれているのは同じ、お城と人形と下弦の月だ。ただ微妙に月の形が違う。私のもののほうが、少し細くなっているのだ。

 二枚の絵のあいだで時間が経過している。グリフィンのほうが私たちより先にこの国へ来たからだろうか。

 迷ったが、自分の招待状を持っていくことに決める。荷物をまとめ終えてから、外してあったダリ風の腕時計を着けた。相変わらず出鱈目な文字盤の配置だったが、時間を読むことはできた。私は部屋を出て、人形の街へ向かうべく歩きだした。

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