第17回

 小学生くらいの女の子が数人、はしゃぎながら私の横を通り過ぎていった。そのうちのひとり、もっとも快活そうに見えた少女の足元に視線を奪われ、私は立ち尽くした。

 夏の陽光の下でくっきりと鮮やかな、白地に三本のライン。これね、別注の限定モデルなんだよ、という佳音の得意げな声が耳朶に甦る。いつも私の数歩先をゆく彼女の、跳ねるような足取り。

 アディダスのスニーカーを眼にする機会などいくらでもある。履いていた少女の雰囲気が、どことなくかつての佳音を思わせたせいだろうと、私は自分に言い聞かせた。

 約束の五分前に駅西口の飾り硝子の前に行くと、すでに未散さんがいた。スマートフォンに視線を落としたり、集まって無駄話に興じたりしている人々が、なんとなく彼女を気にしている様子が見て取れた。モデルかな、という囁きも耳にした。

 私は人混みを縫って彼女に近づいた。未散さんは気づいて手を振ってくれた。

「検査の結果が出ないと判らないそうです」と、彼女だってとっくに知っているに違いないことを話した。家族で長野へ旅行中だったんです、目が覚めたら突然だって言ってました――。

 未散さんは最後まで遮らずに聞いてくれた。私が黙るとようやく、

「大丈夫だよ。佳音ちゃんは強いから。すぐに元気になって、休んでた分の夏休みを取り返すぞって言いだすよ」

 彼女はいつも通り前向きで、自然体で、お洒落だった。知らせを聞くなり大慌てして、ひとり勝手に気持ちを沈ませていた自分が、少し情けなくなった。

 善き月のしるしを着けてくればよかったと、彼女の顔を見て気づく。必要なものは昨夜のうちに準備したつもりだったのに、この調子だと忘れ物だらけかもしれない。

 やがて緋色が来た。彼女もまた表面的には普段通りで、

「しょぼくれてても仕方ないよ、お通夜に行くわけじゃないんだし」

 宵宮市立病院へと向かう途中で、私たちは百貨店に入っている花屋に寄った。緋色が案の定、深紅の薔薇の前で足を止めたので、

「これにする?」

「私はこれがいいな。でも、お見舞いにはどうなんだろ」

 彼女は近くにいた女性の店員を呼び、友人が入院しているのでお見舞いに行く、花を選ぶマナーはありますか、と訊ねた。

「真っ赤だと血を連想させるから避けたほうがいい、という人はいますね」

 説明を聞いた緋色はありありと悄気た。店員は微笑しながら、

「ただ、お友達が好きな花ならば、それを贈るのが一番だと、私個人としては思いますよ」

「すみません、好きなのは私です」と緋色。頬をほんの少し、赤く染めている。

「謝るようなことではないですよ。お花の好きなお友達が選んでくれたお花なら、貰った人はきっと嬉しいはずですから。ただ私に提案させていただけるなら――そうですね、入院されている方に贈る花は、手間のかからないものが良いかもしれません」

 少々お待ちください、と店の奥へ引き返しかけた店員に向け、緋色ははっきりと、

「大切な友達です」

「かしこまりました」

 戻ってきた店員が勧めてくれたのは、アンティーク風の花器にアレンジされた、淡いピンクとオレンジの薔薇だった。花束というより、花器を含めて一種のインテリアのように見える。これを窓際に飾っておいたなら、どれほど素敵だろうと思う。

「こちらなら水やりも必要ありませんし、長持ちします。といっても造花ではなく、元は本物の花です。生花に特殊な加工を施したものですね。瑞々しくて綺麗でしょう?」

 私たちは揃って感嘆の声をあげた。生花にしか見えなかったのだ。

「どれくらい持ちますか」と私。

「保存状態にもよりますが、だいたい五年くらいは」

 すっかり感心してしまった。本当にインテリアだ。

「プリザーブドフラワー、と呼ばれるものです。こちらは薔薇ですから、プリザーブドローズ」

 保存兼鑑賞用のクリアケースと、メッセージカードも付けてくれるという。ただ、予算よりもずいぶん高価だ。私と緋色が顔を見合わせていると、

「これにしようよ」と未散さんが言った。「これ絶対、佳音ちゃんにあげたくなっちゃった。ね?」

 私たちが迷いつづけているうちに、未散さんがさっと右手を挙げて、

「店員さん、これにしまーす」

 彼女が半分を出してくれた。それでようやく、当初の予算と同じくらいになる計算だ。

 私たちは何度もお礼を言ったが、彼女はけろりとして、

「ふたりがこれを佳音ちゃんにプレゼントしてるところを想像したら、あたしもう我慢できなくなっちゃったんだもん。だからあくまで、ふたり名義であげてね? それが条件」

 そう言って頑なに、未散さんはメッセージカードに自分の名前を入れようとしなかった。

 カードのデザインと文面を決めるよう店員に言われた。ちょっと相談してきますと断って、上の階にあった喫茶店に移る。

 私と緋色が、なにを書くの、どっちの名前を先にするのと話し合っているあいだに、未散さんはふっと姿を消した。意見がようやく纏まりかけたころに戻ってきた彼女は、フェアリーアイランドの袋を携えていた。

「じゃーん」

 梨の天使らふらんのイラスト入り包装のクッキーと、同じくキャラクターデザインのカードを自慢げに広げる。そこにはすでに、柔らかな手書き文字で「佳音ちゃんへ 早く元気になってね みちる」とあった。

「こっちがあたしから」と未散さんは片目をつぶってみせた。

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